126話
あとは、全ての魂を最初のダンジョンに集めて、3億の魂と『世界のコア』を使って、元の世界を復活させれば、これで全部終わりだ。
魂の移動は、そんなに労無く終わるはず。だって、右手から左手に物を移す程度の労力で済むのだろうから。
「……ご飯、食べて、寝て、明日にしよう」
でも、体調は万全にして臨みたい。
だから、あと1晩だけ、世界の復活は後に回すことにした。
ご飯は春子さんと一緒にのんびり食べて、それから、お風呂は皆で入った。
金属製品達は入りたがらなかったけれど、今回はボレアスも一緒。
お風呂に入るついでにもみ洗いしてあげた。
前回同様、春子さんはプカプカ湯船に浮いているし、リリーとモンちゃんは私に装備されっぱなした状態でパタパタカタカタはしゃぎながら、時々《スプラッシュ》で水遊びしている。
ボレアスは湯船に入って、てぬぐいでやるみたいに、『くらげ』を作って遊んでいる。そこをつついて空気抜いて私も遊んでいる。
そしてムツキ君は、湯船に浸かっている私の影の中で温まっているらしい。
お風呂から出たら、真っ先に秋子が飛びついてきた。
顔面が血塗れになったかと思ったら、また血が全て消え、代わりに目の前に秋子が飛んでいる。
……何度見ても、不思議な生き物だと思う。
ある程度私の体から湿気が飛んだら、最初にクロウの手入れを行った。
クロウはほとんど使わないから、刃もそんなに汚れていない。けれど一応、一通り汚れを落として、不思議な光沢の刃の上に薄く油を塗って、また鞘に納めた。
ホークとピジョンも同様に。
そして、ガイ君。
「着替えようか」
オリゾレッタの宝物庫で手に入れた、ブルーグレイの鎧に、ガイ君を合成し直した。
最後に、宝石飾りも合成し直して、できあがり。
「うん。綺麗になった」
鎧だから、戦えば戦う程、凹んだり傷ついたりしていく。
けれど、新品の鎧に着替えた今、ガイ君は傷も凹みも無く、すっかり綺麗な状態になっていた。
ガイ君は嬉しそうに、がしゃがしゃ、と揺れた。
「明日、何かあったらよろしくね」
寝るのは、最初のダンジョンで。
粗末なベッドだけれど、案外これが落ち着く。
布団を被ると、リリーとモンちゃんがずりずりころころやってきて、私の枕元に陣取る。
春子さんと秋子が反対側の枕元にもっちり居座ると、ボレアスが掛け布団の上から被さってきた。
クロウは飛んできて、布団の中に入った。……寝返りうって踏んづけたらごめんね。
ホークとピジョンとガイ君は、それぞれベッドの横で待機の姿勢らしい。
ムツキ君は……ベッドの下に潜り込んでいるらしい。ベッドの下から、にゅっ、と影の腕が伸びて親指を立てて見せてくれた。
「じゃあ、おやすみなさい」
ムツキ君用に明かりをベッドの下に入れて、私は眠ることにした。
翌日。
軽くご飯を食べて、装備モンスターを装備する。
それから、持ち物の確認。
薬は一通り持っている。包帯なんかも、一応。この辺りは春子さんと秋子が居るから、そうそう問題ないとは思うのだけれど。
それから、ロープ、マッチ、油……等々も大丈夫。ダンジョンの外で、ジョーレム君も待機している。
……何度確認しても落ち着かない程度には、緊張している。
でも、いつまでもこのままでいる訳にもいかない。
「じゃあ、始めようか」
私は私が居た世界を復活させる。
それぞれのダンジョンが機能停止しない程度の魂は残して、3億の魂を最初のダンジョンに集める。
魂を移す作業は、集中こそしたけれど、そう難しい作業でもなかった。
そうして、5分もすれば、砂時計型オブジェの上半分がいっぱいになった。
液体とも気体ともつかない不思議な物質が砂時計型オブジェの中で薄青に輝いて、部屋の中がとても明るい。
これが、私が今までダンジョンとして頑張った成果。
「案外、コンパクト」
砂時計型オブジェは、大きいとはいえ精々3m程度。
そこに収まってしまう成果は、とても小さく見える。
……けれど、案外こんなものなのかな、とも思う。
魔法陣の上に立つ。
『世界のコア』は、私の首に着けたまま。
やり方は、やろうとすれば自然と頭の中に流れ込んできた。
私が居た世界を思い浮かべて、とっかかりを作る。
すると、『世界のコア』が共鳴した。
そこから魂を注ぎ込むと、『世界のコア』に従って、魂は形を変えていく。もっと、純粋で、力強くて、静かで、大きな何かへと。
……今までには無い感覚だった。
形が無いものができていくような感覚。目に見えないものが目に見えない位置で凝り固まって、1つの大きな何かへと変わっていく感覚。
それが、私の手を通して行われている、という感覚。
世界が作り直されていく。
最初は、薄青の球体だった。
そこに、ありとあらゆる色が吸い込まれていくようにして、球体はどんどん色づいて、大きくなっていく。
……そして、ある一点を超えたところから、一気に膨れ上がって、一気に色づいて……爆発して、私を飲み込んだ。
鴉の声夕焼けの色焼けたアスファルト熱く重い空気長い影点滅する信号機ビルの窓ガラスに反射する夕陽夕ご飯の匂い微かに揺れる電線歩道を舗装するタイル子供の声それからそれからそれからそれから。
それから。
……そこで、ふつり、と、感覚が途切れた。
車のエンジン音が、私の横を通り過ぎていく。
一泊遅れて、生ぬるい風が私を撫でていった。
蝉の鳴き声がじわじわと響く、蒸し暑い空気。オレンジ色に染まった街並み。
……見上げた空には、鴉が飛んでいた。
道の端でしばらく、道行く人達を見ていた。
忙しなく歩くスーツ姿の人。買い物帰りの主婦。遊び終えた小学生や、帰宅途中の高校生も。
彼らの内何人かは、立ったまま動かない私を不審げに見ながら通り過ぎていく。
ごくごく普通の、なんてことない街の風景だ。
幾度となく歩いた道の、幾度となく見た風景。
何もかもが懐かしい、あの日のままだった。
空がオレンジから青へと変わり、町に街灯が灯り始めた頃、私は歩き始めた。
最寄り駅から2駅程度の高校に通っていて、部活に入っている訳でもない私はいつも、夕方6時には帰宅していたから、夏にこの空を見て歩くことは珍しい。
慣れ親しんだ、久しぶりの道を歩く。
くすんだ赤と緑のタイルが並んだ道を歩いて、薬局の看板の手前で曲がる。
紫陽花の植え込みが茂る公園の横をずっと歩いて、曲がり角をもう1つ曲がる。
そうして、電柱を3本ほど数えたところに……私の家がある。
私の足は、踏み慣れた玄関マットを踏んでいた。薄緑で、つる草の模様が織り込んである奴。
一歩踏み出せば、足はフローリングの上に着地した。
フローリングの廊下を進んで、開け慣れたドアを開ける。
「あら、お帰りなさい。遅かったのね」
聞き慣れていたはずの声が随分と懐かしい。
ソファに座りながらテレビを見ていた母が振り帰って、私を見ていた。
「お姉ちゃん、お帰り!」
机の上で宿題を進めているらしい妹の顔を、どのくらいぶりに見たんだろう。
「……どうしたの?具合悪いの?」
でも、私は動けなかった。
代わりに、居間の時計を見つめる。
6時57分。
「……お姉ちゃん?」
6時58分。
「ちょっと、どうしちゃったのよ……ねえ、何かあったの?」
6時59分。
……。
7時。
「これは偽物だよね」
問うても、母も妹も、表情を変えなかった。
「ミセリア・マリスフォールさん」
ぱちり、と、シャボン玉がはじけるように、世界が消し飛んだ。
暖かい空気は、冷たく湿った空気へ。
フローリングの床は、石畳へ。
壁掛け時計は、壁掛け鏡。
ソファの代わりに玉座。
ラグがあった場所には、薄青に輝く魔法陣。
そして、母や妹の代わりに。
……私にそっくりな誰かが、そこに立っていた。
「ミセリア・マリスフォール」
呟くと、私にそっくりな誰かは、少し首を傾げて薄く笑って言った。
「久しぶりね、私」
 




