1話
今日もいつも通りの日だった。
熱く焼けたアスファルトから立ち上る熱気が、夕方の風に吹かれて少し和らぐ。
蝉の声と鴉の声が混じって、夏の夕方の気配を空気に滲ませる。
自転車のチェーンの軽やかな音。遊び終えた子供の声。
傾いた日差しに照らされる道に、長い影を落として歩くいつもの道は、本当に只々、いつも通りだった。
その、いつもの日が、唐突に終わってしまうなんて、誰が思っただろう。
「あれは……なんだ?」
「てるてる坊主……?」
突然、往来のど真ん中に奇怪な恰好の人達が現れたのだ。
その数、50人程、だろうか。
ぼんやりその様子を見ていると、その人達は案外近くまでやってきた。
思わずちょっと避ける。
しかし、この人達はなんでみんな、フードのついたマント……てるてる坊主みたいな恰好をしているんだろう。
コスプレかな。何かのイベントなのかな。それとも単にちょっと頭が不思議な人達なんだろうか。
周りの人と一緒に、ただそれを不思議に思いつつ眺めていると、空から来た人達は私達の目の前で止まった。
「では、これより異世界のコアを摘出する!」
そして、そんなことを言ったかと思うと、一番立派なてるてる坊主ルックの人が進み出て、その手に持っていた杖みたいなものを地面に突く。
すると、他のてるてる坊主達も杖を取り出して、アスファルトの上に模様を描き始めた。
何かのパフォーマンスなんだろうか。
見ている内に、模様は出来上がる。
円と星と文字を組み合わせたようなこれは……魔法陣、とでも言うべきだろうか。
なんだろう、この人達、いい年して中二病を患ってるんだろうか。
オーディエンスがなんとも言えない顔をして遠巻きに眺める中……一番立派なてるてる坊主が、地面に手を突っ込んだ。
地面に、手を、突っ込んだ。
まるで、水の中に手を入れるみたいに、地面に、手を、突っ込んだ。
立て続けに起こる不可思議な現象を、私はただ見ていることしかできない。
「よし、見つけたぞ!」
そして、一番立派なてるてる坊主はそう言ったかと思うと、その手を地面から引き抜き……その手には、青い涙型の宝石が握られていたのだった。
その瞬間、凄まじい地震が、私達を襲った。
立っていられない程の揺れの中、しかし、てるてる坊主集団はそのまま立っていた。
……よく見たら、彼らは地面に足が着いていない。数センチメートル、浮いているのだ。
もしやこのてるてる坊主たちは未来から来た猫型ロボットなんだろうか。
「あ、もう崩壊が始まるみたいですよ」
「世界はコアを元に魔力を集め、組みたてたもの。コアに刻まれた情報が無ければ、全てが魔力となって霧散する……うむ!全てはヴメノスの魔導書の通りだな!」
「魔力の回収も上手くいっているようですね!世界1つ分の魔力があれば、グランデムなんて敵じゃないですよ!」
そして、てるてる坊主達が楽しげに話す中……世界が、崩れた。
何が起きているのか、確かめる間も無い。
ただ、揺れた地面が溶けるように消えてしまうのが見えた。
アスファルトが消え、マンホールが消え、つつじの植え込みが消え……そこに居た人も、消えていく。
人の悲鳴が耳の奥に響いて脳を麻痺させる。
私をはじめとして、道行く人々は何が起きているのか分からない。
ただ、崩れる地面に巻き込まれて落ちて行ったり、そのまま消えてしまったりするだけだ。
それを楽し気に眺めるてるてる坊主集団。
……不意に、足元がぐらり、と崩れた。
その時、私の足は思考より速く動いて地面を蹴った。
私の後ろで、地面が崩れていくのが分かる。
体が動いて、やっと、頭も動き始めた。
一番安全な場所はどこか。
どこにいれば助かるか。
或いは、どうすれば、この世界の崩壊を止められるのか。
……一番安全なのは、てるてる坊主集団の側だ。あそこが一番崩れていない。
そして、そして……もしかしたら、きっと。
「しかし、この世界の異世界人共も、碌に抵抗しませんね」
「ただぽかんとしてるだけだもんな、楽で助かるよ」
私の足は崩れていく地面を蹴って、進む。
進んで、進んで、悠長に会話しているてるてる坊主集団に迫り……そして。
「さて、そろそろ世界の崩壊もここまで及ぶ。そろそろ……うわっ、な、なんだーっ!」
崩れていく地面のせいで、死角からの攻撃になったからだろう。
一番立派なてるてる坊主は、私渾身の飛び蹴りをもろに受けて倒れた。
「ま、マリアード様ーっ!」
他のてるてる坊主が駆け寄ってくるより先に、私は立派なてるてる坊主さんの手から、涙型の青い石……『世界のコア』と連中が呼んでいたものを取り戻した。
「あっ、世界のコアが!」
「こいつっ、異世界人の分際でよくも!」
手の中に『世界のコア』とやらを握りしめて、さっき立派なてるてる坊主さんがやっていたように、地面に手を突っ込んでみる。
……が、何も起こらなかった。
てるてる坊主集団が私から『世界のコア』を取り戻そうとしてくるので、一旦逃げた。
崩れる地面を飛び移って、比較的まだ崩れていない方へ向かう。
「待て、異世界人!我らの邪魔をする気か!」
が、私の後を、てるてる坊主が1人、追ってくる。
「おい、よせ、オッフル!深追いするな!」
「もういい!戻れ!もう崩壊が……!」
背後で慌てているらしいてるてる坊主達の声を聞きながら、私は走った。
走って、走って、そして、崩れていない地面に辿りついて、そこに『世界のコア』を握った手を。
手を、地面についた瞬間。
ついに、地面が完全に消え去った。
宙に投げ出される。
私はもがくけれど、何も掴むことができない。
掴むものはすべて、すぐに溶けるように消えて行ってしまう。
……私と同じように、たくさんの人が落ちていく。
そして、その人達は落ちていく途中でみんな、消えていってしまうのだ。
悲鳴を上げながら、或いは、悲鳴を上げることすらできずに。
知っている人も知らない人も、幾多の命が消えていった。
しかし、その中で私は消えることなく落ち続けた。
世界が消えていく。私を残して、全てが消えていく。
……あまりにも絶望的な光景だった。
自分が得てきたもの、自分を形作ってきたもの、自分と共に在ったもの。それら全てが消えていく。
その瞬間を全て網膜に刻みながら、私はひたすら落ち続けたのだった。
自分の中で何かがふつり、と切れていくのを感じながら。
『世界のコア』を握りしめたまま。
目が覚める。
起き上がる時、体中が酷く痛んだ。
けれど、動かそうと思えば動かせる。多分、骨まではいってないんだと思う。精々、打撲、っていうところか。
……さて、ここはどこだろう。
起き上がって見渡すと、ここはどうやら、石造りの部屋の中、らしかった。
石づくりの部屋は薄青の光にぼんやりと照らされて明るい。
部屋の床にはファンタジーに出てきそうな魔法陣が大きく広がり、壁には古びたタペストリーと華奢な細工の壁鏡。
それから、大きな砂時計のようなオブジェと、シンプルなだけにものの良さが分かるような、重厚な玉座。
以上がこの部屋の全貌である。
……いや、もう1つ、あった。
「うーん……いてて……あ」
私と、もう1人。
「き、貴様は……異世界人!おい、『世界のコア』を返せ!」
そう。私を追っていたてるてる坊主さんが、一緒にここに来てしまっていたらしい。
手の中にはまだ、『世界のコア』が握られている。
けれどこれを渡してやる気は無い。
じりじりと迫ってくるてるてる坊主さんに合わせて、私もじりじりと後退する。
……この部屋、よく見たら出入り口が無い。なのにどうやって入ってしまったのかは分からないけれど……つまり、逃げ場がない。
「大人しくしろ、異世界人……!」
そして、てるてる坊主さんは懐からナイフを取り出した。
部屋を満たす薄青の光に、ナイフの鋭い刃が煌めく。
……うわあ。これは、まずい気がする。
私は無手だ。なのに相手には得物があって……そして、私を間違いなく、殺す気でいる。
多分、彼らにとって『異世界人』というものは家畜みたいなものなんじゃないだろうか。
つまり、殺すことに良心が全く咎めない、という。
思えば、てるてる坊主集団が私の居た世界を壊した時も、全く罪悪感なんて感じていなさそうな顔をしていた。
人の悲鳴を聞いて、それでも楽しそうに笑ってさえいたじゃないか。
……だからきっと、目の前のてるてる坊主もまた、私を殺すことを躊躇なんてしないはずだ。
だから、話せばわかる、なんて悠長な手段をとっている暇は無い。
そして、逃げる場所も、戦うための武器も、無いのだった。
「くそ、殺してやる!」
本当に暇が無い。
てるてる坊主さんは痺れを切らして、一気に突っ込んできた。
構えられたナイフの刃に、体が竦みそうになる。
……けれど、体に理性で鞭打って、私は身を屈めた。
そして突っ込んできたてるてる坊主さんの足元にスライディングするように、逆に突っ込んでいく。
「なっ」
すると、てるてる坊主さんは私の狙い通り、足元を払われてバランスを崩した。
そして、勢い余って前のめりに倒れていき……。
「ぐあっ!……ぐ、く、くそ……」
……自分自身の構えていたナイフによって、腹を刺していた。
流石に私、これは狙ってなかった。
そしてそのまま、てるてる坊主さんをぼんやり眺めていたら、やがて、てるてる坊主さんは動かなくなった。
……けれど、相手はよく分からない魔法みたいな何かで私の居た世界を壊した一味だ。
何か、罠の可能性もある。いきなり生き返ったりするかもしれない。
……恐る恐る、私はてるてる坊主さんに近づいて、その生死を確認した。
「……死んでる……」
しかし、てるてる坊主さんは死んでいた。
……案外、人ってあっさり死ぬんだなあ、と、ここ数時間ですっかり希薄になってしまった生命観でぼんやり考えた。
さて。
危機は去った。
けれど、根本的なところが何一つとして解決していない。
私は世界を失ったままだったし、そもそも、この密室に閉じ込められたままでもある。
何をするにしても、せめて、この部屋からは出られないとまずい。
ここには食べ物になりそうな物は……てるてる坊主さんの死体しかない。
いや、私、流石にあれは食べたくない。なんか、こう、罪悪感とかじゃなくて、なんかこうもっとべつの何かが『あれは食べたくない』と言っている。
……というか、仮にてるてる坊主さんが美味しそうなアジの干物とかだったとしても、ここから出なくていい理由にはならない。
何がなんだか分からないけれど、とにかく、ここを出なければ。さもなきゃ、状況の1つも分かりやしない。
という事で、私は改めて、部屋の中を探索することにしたのだった。
それからしばらく部屋の中を探った。
けれど、出入り口になりそうなものは何1つとして見つからなかったのである。
タペストリーの裏も、壁掛け鏡の裏も確認したし、玉座の後ろや、砂時計型オブジェの後ろまで確認したけれど、本当に何もない。
果てはてるてる坊主さんの死体の下とかも念のため確認したけれど、ただ石の床があるだけであった。
壁の石も叩いて確認したし、床も確認した。
しかし、やっぱり出入り口になりそうなものは何も無かったのである。
……絶望の後にまた絶望。
私が一体何をしたっていうんだ。
何度も何度も部屋の中を確認している内に、心も体も疲れてしまった。
考えれば考える程、状況は絶望的だ。
私が居た世界は何もかも無くなってしまった。
家族も友人も、みんな消えてしまった。
……駄目だ、もうなんか、駄目だ。
何も考えたくない。もう生きているのもめんどくさい。
よく考えたら、別にもう生きていなくてもいいんじゃないだろうか。
一応、てるてる坊主への報復みたいなことは……足りない気もするけれど、一応、できたのだし。
敵討ちには到底足りないけれど、一矢ぐらいは報いたし。
……少し、眠ろう。
そう考えて、私は玉座を借りることにした。
玉座は大きくてふかふかしてたし、少なくとも石の床で眠るよりはいいんじゃないかと思ったのだ。
どうせここには私以外、てるてる坊主さんの死体しか無い。
もし誰かに怒られたら、その時は素直に謝るか……素直に殺されてやろう。
どっこいしょ。
私は潔く玉座に腰を下ろして座り込んで、肘掛けに腕をのせ、背もたれに背中と頭を預けた。
その瞬間、私の頭の中に私の知らない情報が流れ込んできた。
そして、私の中でよく分からない力が働いて、『私が広がっていく』ような感覚があった。
頭の中が引っ掻き回されて、感覚が狂って、天地も分からないぐらいにぐちゃぐちゃになって……。
……それが終わった後、私の頭の中には整頓された情報が並んだのである。
ここはダンジョン。
人を殺してその魂を奪い、糧とする、古代魔道施設。
今まで眠っていたダンジョンが、人の魂を捧げられ、また、玉座に座る者が現れたために目覚めた。
そして私は『ダンジョンに成った』。
これから私は、殺した人間の魂を使えばこのダンジョンの中でいろんなことができそうである。
まだ頭の中の整理が済んでいないけれど、多分、ダンジョンの内装を弄ったり、トラップを仕掛けたりできるんだろう。それこそ、人間を殺すようなかんじに。
或いは……この手の中にある、『世界のコア』。
これを元にして、私は元の世界を取り戻せるかもしれない。
……『可能である』と、私の中のダンジョン部分が言う。
膨大な数の魂があれば、それもまた、可能である、と。
なんなら調べてみればいい、とも。
ふむ、私の中のダンジョン部分は優秀らしい。
ならば、ということで、手の中の青い石に集中してみた。
『世界のコア』
ぼんやり、情報が伝わってくる。成程、こんなかんじか。
さらに集中すると、『世界のコア』から作れるものの一覧が見えてくる。
『魔剣エルデラ』
私には包丁で十分だ。
『英雄の魂1000個』
そんなに英雄ばっかり生んでどうするんだろう。
『神』
間に合ってます。
『世界』
……うん、これだ。
そう。『世界』。
『世界』の詳細を調べるべくまた集中すると、それもぼんやり見えてくる。
……だめだ、目が霞む。子細な数字とかが全然見えない。
けれどとりあえず、『世界のコア』と『膨大な数の魂』があれば、『世界』が作れるらしい。
多分、私の望む通りの姿で。
……なんとなく、薄らぼんやりと希望が見えてきた。そんな気がする。
……しかし、『ダンジョンに成った』かあ。
手を握ったり開いたりしてみるけれど、感覚はそうおかしくない。
ただ、体の中というか、外というかに、『自分の体では無い感覚』があるのである。
まるで、自分の腕が増えたような、というか
……うん。成程。……つまり、『このダンジョンは全て私の一部なのだ』という感覚、というか。
ということは、もしかして、もしかするだろうか。
私は、指を動かすような感覚で、正面……玉座の向かいにある壁を動かそうとした。
……すると、自分の体が滑らかに動くように、或いは、命令した部下がスムーズに仕事をこなしてくれたように、壁に穴が開き、向こう側にあった空間をのぞかせたのである。
これは本格的に、人間を卒業してしまった気がする。
そんな実感が今更ながら、じんわり湧いてきた。