5.5
一目で、圧倒された。
言葉など、なくともわかる。
視線の先に現れたその者は、まさしく、王であった。
胸が、高鳴る。
若かりし頃、まだ青い少年期に体験した初恋とは、全く異なる興奮を感じていた。
その存在がそこにいるだけで、今すぐにでも彼の足元で膝をつき、頭を垂れたくなる。
それが、異国の同胞たちの王。
ラドゥが知る誰よりも、かつて所属していた群れの王よりも、遥かに王の器に相応しい。
エルトバイアスによって手渡された妻を、王はその腕に囲い愛でている。若い彼女が彼の膝に乗れば、ふたつの体格差は見事なほど――――――――ああ、額に口づけを落とす姿のなんと美しいことか。
そして、子守役が言っていたとおりに、砂雨は柔弱なのだろう。
すでに限界のようだった。疲れから眠気に襲われているらしく、彼女の潤んだ瞳は、しきりに瞬きを繰り返している。不機嫌そうに喉を震わせては、あやそうとする夫の手を拒んでいた。それでも本能にかてないとばかりに広い胸に頭を擦りつけ、小さな拳は相手の衣服に皺をつくっている。
そのような甘えた仕種も見せているのだから、なるほど、夫婦仲が悪いわけではないらしい。
「おい」
辛抱強く機嫌をとる王の姿を、無言で見守っていた。
そんななか、決して弱くない力で肩を小突かれ、ラドゥは慌てて振り返る。
「あんた。いつまで其処で、ボサッと突っ立ってるつもりだ」
やや下の位置から向けられる、棘のある瞳。
同族の雄だ。まだ若い。
きつく睨まれているが、力だけなら己のほうが上であろう。なめられるな。屈するべきではない。
本能がそう訴えていた。隣に立つ彼からは、あまり血の濃さを感じられない。
だが、すでに群れに混ざる気でいるラドゥにとって彼は古参にあたる。そんな相手に、わざわざそれを告げ、険悪になる必要はないはずだ。
ラドゥという男は、争いを好まぬ雄であった。そして、それが故郷から離れた理由にもなっている。血気盛んな親兄弟と共に生きていくことは、孤独よりも苦痛と感じたからゆえに。
そして、その孤独を今の彼は手離したく思っている。
欲しい。
この群れの仲間が。
欲しい。
あの王の信頼が。
心から、欲している。
王の尊き子を庇護し、慈しむその権利を。
だからこそ、青年の言葉に従順に頷きかけたラドゥだったが。
「いや、しかし……」
ちらりと戻した視線の先では、なんとも魅力的な場面が繰り広げられていた。
なかなか寝入ろうとしない砂雨を膝に抱いた王が、ふいに小さな耳に唇を寄せ、こちらには聞き取れない音量で何かを囁いている。伏せ目がちのそれは、これ以上ないほど穏やかな光を宿しているのだ。
どうしてもこの場から離れがたく、足掻くラドゥには、盛大な舌打ちが返ってきた。
「察してくれよ」
「……、いったい何を」
「――――っだから! あいつらから説明されたんだろ!」
いまいちピンときていないラドゥに、青年は苛立ちをあからさまなものへと変えた。
「エルトバイアスは言ったはずだぜ、難しい子供だってな。ただでさえ、馴れてない生活で参ってんだ。そこに、あんたの興奮が伝染しちまって、いつまで経っても寝つけねえんだよ」
王に気に入られたいならば、邪魔をするな。
早口に告げられたのは、非難ではなく忠告だった。
「……あ」
「あんたも、格下の奴に従いたくないだろうがな。ここは俺の言うことを聞いておいたほうが、身のためだと思うぜ?」
青年の言葉は、もっともだった。
王の不況を買うのは、ラドゥだって避けたい。
「そうだな、そうさせてもらうとしよう…………すまなかったね」
「いいよ、べつに」
歯をみせて笑う青年は、気持ちいい性格をしているようだ。
好意には好意で応える。
そんな同族も珍しい。
「とりあえず、移動しようぜ。あんたに色々教えてやるように、エルトバイアスにも言われているしな」
「どちらに?」
「俺の部屋でもいいけど、肖の……うちで唯一の雌のとこ行くか。あいつを味方につけておいて損はねえだろうし、他の奴も集まっているみたいだしな」
それは、他の仲間に紹介してくれるということだろうか。まだ王の許可も頂いていないのだが。
疑問は、顔に出ていたのだろう。
振り返り、ラドゥを見上げた青年は、悪戯が成功した子供のように笑った。
「この部屋に入れた時点で気付けよな」




