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短編集

聖人墓所からの独自世界解釈

作者: 紫陽花の鼬




           ***



 その聖人の地下墓所に入ったのは、二度目になる。


 フランス、パリの地下には『カタコンブ・ド・パリ(Catacombes de Paris)』と呼ばれる地下の迷路がある。壁がひやりと冷たい空気を孕んでいて、時折、どこから吹くのか仄暗い風が、迷える通路の奥から松明の火を揺らしてくる。


 私がこの不気味ながらも、どこか異次元へと迷い込んだような、そんな心地で地下墓地を進むのは二度目。一度目は、まだ大学の頃に考古学を専攻していた貧乏学生として、教授に連れて行ってもらったときだった。


 教授――私にとって、恩師に当たるご高齢の老人は、妙な場所を知っていた。土地の人間などが出入りするカタコンペ(地下墓地のこと)とは違い、教会の下にある墓地なのである。いわゆる、聖人墓地と呼ばれる、その人々が眠る場所であった。

 探索する気分は、仄暗い興奮と、歴史の深層に沈んでゆく不安定さ。気分は、さしずめマッド・イン・アリスといったところか。


「なあ、道は合っているのかい? シャル」

「ええ。問題ないですわ、ベン助教授」


 彼女が、僕の交際相手。

 羨ましいと思うかもしれないが、肌が白く、空を見るような美しい青色の瞳をした、お人形のような女性であった。

 少し、おてんばがかかっており。

 そのせいで父親である教授は苦労されたようであるが……。幸福なことに、私は彼女の人生を託す権利を認められた。つまり、婚約である。



『色々と、妙なところはあるけど』


 それが、複数の持病によって思い煩い。

 ある日は、曇天の空のように沈鬱に病床から窓の外を見て。ある日は、晴れ渡った青空のように、街角を足を掲げて私を引っぱってゆく―――そんな、不思議な彼女の、婚約の際の言葉であった。


「まだ着かないのか」

「焦らないで。ベン助教授」


 たしなめてくる。

 彼女が案内しているのは、彼女が長年『シスター』を務めていた。そんなパリ近郊にある巨大な修道院の地下であった。ここには聖人のカタコンペが存在しているが、容易に立ち入ってよい場所ではない。

 私の恩師である教授が、いわばここの事実上の支配権――つまり、古くから貴族間で共有された、『教会の責任者』ともいえる会合の一人だったためだ。この事実は、フランスにおける考古学上、きわめて重要な意味をもたらすだろう。


 なにせ、恩師である教授は、聖人墓所の『調査』について非常に前向きであり。

 そして、調査員としての優秀さを買われ、この私を助教授の地位にまで引き上げてくださったのだから。

 私はこのご恩に報いるために、世紀の発見をせねばならない。また、そうすることが、考古学の教授への地位を高め、シャルの夫としての面目を施す、世間に向けてのチャンスだからだ。

 私の墓地を進む足にも、自然と力が入る。


 と。


「着いたわ。旦那様」

「ここが」



 私は、呆然と見上げた。

 天険の洞窟の、絶景にたどり着いた――という気分か。

 そこは聖人墓地の中でも、開けた場所であった。フランスのパリのような都会の下に、どうして『カタコンブ・ド・パリ(Catacombes de Paris)』のような場所があるのか――と最初に観光で訪れた人は不思議に思うかもしれないが。


 パリには、このような地下道や、下水道が古くから無数に走っており。一四世紀に起こってしまった黒死病――(欧州の人口を三分の二にまで削ってしまった殺人ウイルス。発生した理由は諸説ある)――によって、フランスにも死者が溢れかえり。腐臭の漂った灰色の街には、死者を収容できる墓所がなく、そこで王室よりの命令で、地下砕石場であった洞窟に死者を移動するように命じられた――というのが、この『カタコンブ・ド・パリ(Catacombes de Paris)』の起源である。


 私はその一角にいる。聖人墓所といえど、カタコンベである本質は変わらない。そのはずだったが、


「……これは」


 私は、息をのんだ。

 その空間には、ほとんど棺や、人骨のようなものは見当たらず。その代わりに、広い部屋の中央には王室が使用するような棺が置かれているのである。さらに異常だったのが、中身が空だったということだ。


(何者かが、この場所より発掘されたのか……。もしくは、中華の始皇帝陵のように、あらかじめ己が入る墓所を建築させていたのか。だから空だというのか)


 私は、シャルに問うた。

 未来の妻の言葉では、少なくとも彼女の知る限り、この墓所が盗掘された記録はないという。さらに、父親である教授の高齢化もあり、実際にこの深部まで足を踏み入れた考古学者は私が最初だという。


(で、あれば)


 松明から、手元の懐中電灯に切り替えた私は、棺の中をのぞいた。

 そこで、発見したのである。古い富貴が記すべき、その埃にまみれた魔道書のような書籍を。





 研究室に持ち帰り、私は研究を再開した。

 もちろん、ここで止まるわけもない。これは人類が驚くべき新発見が隠されている書であったし、私の恩師の長年の悲願でもあった。

 慎重に、ページをめくった。壊さないように考古学研究所のスキャニングを使用して、ページを何度も開閉させることなく、電子の上で老朽化した文献を読み取った。古い文字や、表現の差異はあるものの、異国語と思えば大した問題ではない。


 聖人の地下墓所。

 そこに隠された、黒死病ウイルスの秘密。

 浮かび上がってきたのは、ある歴史的な舞台。サーカス団だった。サーカスとは、動物や人間が曲芸を行って観客を楽しませるもので、円形劇場や天幕の中で古くから興行されてきた。その歴史をさかのぼれば、文献に登場する時代だけでも一七世紀にまでさかのぼる。

 私の手元の資料では、もっと古かった。


 時は十四世紀。

 他国から、他国へと渡り歩く旅人としての集団である『サーカス舞台』は、移動する人員でも最大規模であった。従って、天幕をつむ乗り物から、食料車、動物を運ぶ荷車など、規模を上げればきりがない。

 しかし、もう一つ。歴史の事実が示していることがある。

 それは、華やかなりし芸人集団の裏で、一行に紛れ込み、他国への入国手続きをパスする――いわゆば、『間者』や『スパイ』とも呼ばれる人間、あるいは暗殺者と呼ばれる人間の存在だ。

 彼らは、王国に雇われている。円形劇場で観客の前にて芸を振るい、興行する一方で。有力者を暗殺し、正体をくらませる人間である。


 私の入手した書物には、それが『フランス王国を訪れた』と記されている。どうやら、聖人墓所に記録を残した人間は、文字を書くことができる教養を身につけた王家の人間であったらしい。彼、もしくは彼女の災いを恐れてあの空間に潜んでいたという。その後のことについては書かれていなかった。

 災い。

 その言葉で浮かび上がるのは、黒死病の存在だ。


「――ベン助教授? 熱心なのもいいですけど、ちゃんと家に帰らないとダメですよ?」

「え」


 私は、驚いて顔を上げた。

 気がつくと、夜の七時を回っていたらしい。とっくに日は落ちて、二階研究室からの外の景色は真っ暗。私に声を掛けてきたのは、教授の娘という資格で、実際はキャンパスの職員を装って潜り込んできた女性。シャルだ。


 彼女は、くすりと笑った。

「考古学のことになると、周りが見えなくなるんですから」

「……参ったね。どうにも」


 くしゃ、と頭をかいた。

 彼女にはかなわない。

 正直、交際当初は『恩師の娘だから』とか、『逆玉の輿か』とかいう卑劣な考えが浮かばなかったかというと、嘘になる。頭には浮かびまくっていたし、上手くいけば、美人の奥さんも手に入ると打算を働かせていた。


 しかし、私は一度、エリートコースを転落したことがあった。

 今でも、よく思い出す。私のような三〇過ぎで、助教授にもならなかった人間なんて一人もいなかった。ましてや、華々しい研究の第一線からも離れて、日雇いの労働をして暮らしていた時期もあった。

 しかし、恩師でさえ呆れ、世間が失望する中。

 彼女とは絶対に釣り合わないと途方に暮れて、頭を抱えていた私を救ってくれたのが、彼女だった。

 今の私は、彼女に恩を返したい。

 彼女を幸せにしたい、と真剣に考えるようになっていた。


「もう少しだけ、お願いするわけにはいかないだろうか」

「さあ。どうしようかしら」


 なぜか、懇願してまで許可を取ろうとする私に。

 彼女は、それこそ子供が遊ぶように。クスクスと笑っていた。





 数ヶ月研究して、分かったことがある。

 重要な案件だ。

 まとめるのも、報告書の形でまとめていきたい。

 結論をいうと――私たち欧州の人間を巻き込んだ、黒い災いである黒死病をまき散らしたのは、ある集団であった。

 いや、王国か。

 なにせ、そのサーカス団を含む、商工会のすべてを牛耳っていた国家があるからだ。現在、その国はない。あろう事か、自分たちで毒を仕込み、拡散させた黒死病のウイルスによって――深刻な打撃を受け、国民の七割が生産性を失い、地図から消滅してしまった国だからだ。


 亡国に、責任を追及できない。

 よって、彼らを裁く法廷も存在しない。

 しかし。問題なのは、その犯人であった。

 犯人は『バタフライ・エフェクト』と呼ばれる現象を利用し、はるか何百年も前の中世に毒をまき散らしたと思われる。その手段が、克明に例の書物に記載されていた。一人の少年から始まったという。


 バタフライ・エフェクトとは『小さな事象から、とてつもなく大きな災害につながる』ことや、その可能性を指す言葉である。この学説を発表した気象学者エドワード・ローレンツの講演『ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』からきており、あまりにも小さな蝶の羽ばたきですら、その後の人類を何千と死者たらしめるトルネードを引き起こす―――その事象である。


 ほんの些細なことが、徐々にとんでもない大きな現象の引き金になる。

 そのサーカス団に紛れて、フランス王国内に入った『少年』は、まさに欧州にとってのバタフライであった。


 彼が目標とするべき、王室の重鎮。

 しかし、その病原菌は他の従者たちにも感染し、ウイルスとなって、やがて世界中へと広がることとなったのである。何も少年から発症した病気ではなく、遠方の、違う王国内で流行していた病原菌を、彼を温床として持ち込んだに過ぎない。

 しかし、結果的に彼の存在は、多くのバタフライ・エフェクトによる死者を出し、フランス国内で黒死病を蔓延させ、結果的に『カタコンブ・ド・パリ(Catacombes de Paris)』のような地下墓地を形成するに到った。

 しかし。

 何よりも、この私の目を引いたのが、



 ――――その少年は、すみがかった蒼い瞳をしており―――。


 この一文である。

 ハッとした。

 何かの、悪い予感がした。

 恩師である教授が、どうしてこの件を調べたがっているのか。調べていたのに、なぜ、聖人墓地の奥深くにまで到る通路を進まなかったのか。いや、進む勇気がなかったのか。

 蒼い瞳。それは、どの血族の末裔によるものなのか。

 私のフィアンセ――彼女は、どうして病弱なのに、元気に振る舞うことができるのか。その体質は、病原菌の温床として適正がありすぎるのではないか。


「……っ」


 視界が、昏んだ。

 研究室の机から立ち上がり、肘をつく。拍子に、コーヒーカップに当たり、重力に吸い込まれて床で割れた。しかし、その音にも、私の後ろの研究室の机で眠っている、彼女は起きなかった。

 疲れて眠っているのだ。

 その天使のような寝顔を見つめながら、私は――彼女が深夜遅くまで、研究室で待っていてくれたこと。居残りに渋った表情を見せながらも、こんな私のためにコーヒーを淹れてくれたこと。そして、なによりも私は罪深いことに、そのことにも『書物の解読』に夢中で、ブツブツと呟きながら気づかなかったことを思い出していた。


「……」


 もう一度、彼女を見る。

 愛している。心から。そして、私は視線を移して―――研究室の透明なケースに保管している、聖人墓地から持ち出してきた書物の原本を見る。

 分かったこと。

 それは、恩師である教授が知っていたことだ。

 知っていた。知っていたから、誰にも明かせなかった。旧貴族として生きてきた誇りから、どこかで、自分の出自に気づいていたのかもしれない。確認するのが怖かったはずである。

 だから、私に託した。


 考古学のすべてを。

 このフランスで、『あの時の黒死病の真実』を明かすことは、もはや何の意味もないかもしれない。誰も幸福にはならないし、朝に教会で敬虔な祈りを捧げる人々も、自分たちの先祖の事実を知ったことで、暮らしが変わるわけでもないのかもしれない。

 でも、考古学者なのである。

 人類の歴史の真実を、一つ明るみにして、明日へと進むのが考古学なのである。

 私は、学者だ。

 信念のある、考古学者のつもりだ。

 では、どうするのか。

 ここで発表すれば、私の権威となる。恩師である教授は現在の椅子から転落し、娘であるシャルの風評も、『青色の瞳をした娘』として、AFP―――(Agence France-Presse 世界最古のフランス通信社新聞)らによって書き立てられるのかもしれない。しかし、私は教授の座を手に入れて昇格する。シャルとの地位が、入れ替わる。


 どうするか。


 どうするか。


 彼女と父親を捨て、考古学きっての難題『黒死病』を解明した名誉を手に入れるか。

 それとも人類の明日の『知識』を捨てて、愛すべき彼女を選ぶか。

 決められない。

 頭を抱えて、髪をかきむしっても決められない。それこそ、私が今まで生きてきた、二つの半身を天秤にかけているようなものだった。決められるはずがない。痛みは、引き裂かれるのにも似ている。

 だが。

 私が。


(……いや)


 この私が、決める。

 恩師である教授も迷ってこられたであろう、この難題に終止符を打つ。

 正直、人類の難題を究明するよりも、恩師と、彼女のことを考えるほうが私にとってよほど難しいことだった。しかし、決めた。


「シャル」

「……ふえ?」


 彼女は。

 いつの間にか寝てしまった自分に気づいたのか。年甲斐もなく、焦って顔を上げて。青色の瞳をまたたかせていた。


「僕は。清掃員になる」





 フランスのシャルル・ド・ゴール空港から始まる、市街地までの地下鉄の駅は。なんだかんだで、最もトイレが汚れる場所でもあった。私は毎度のことで辟易としながらも、熱心に前屈みにブラシを動かして、外国人旅行客の汚い靴、しかけ、そして何よりも憂鬱なガムの除去作業をしながら、トイレ掃除を終える。


「おい。ベン! 急げ」

「はーい」


 有名大学では六名の研究生と、三十名を超える専攻学生を抱えていた私も、今では学歴も怪しい、移住系のフランシス紳士様にこき使われながら、たった一人の弟分をやっている。

 充実しているかというと、まだ怪しい手応えしかないが。

 しかし、私は後悔していなかった。


「お前の嫁さん、美人だよな」

「ええ。まあ、自慢の家内です」

「知ってる。っつか、向こうもお前の自慢ばっかりするから、胸くそ悪いぜ。四〇近くの独身男にはな!」


 本当はつばを吐き出したいようだが、そこは清掃員。ぐっと我慢して、鼻を鳴らすことで怒りを抑え、大股で歩いていく。


 あれから。

 私の『研究論文』は、考古学界でもかなりの波乱を読んだらしい。事実的根拠は、確か。しかし、私が妻にしている人物と、私が恩師と慕っている人物の名を聞いて、学会が大いに揺れに揺れたらしい。

 愉快だった。

 どうせ、学術論文なんて、それを見て騒ぐ重鎮方のエサにしかすぎないのだ。

 しかし、そう思うことで私の心は、雨後の青空のごとく晴れ渡っていた。恩師である教授は、私のことを責めなかった。むしろ、誇らしく思ってくれたらしい。考古学者ならば将来の地位が約束される『黒死病』の秘密を解明しておきながら、なおかつ、少しの未練もなく学会を去ったのだから。

 そうして、私は長年追いかけてきた教授への道を捨て。

 しがない、鉄のヘラでガムの汚れを落とす清掃員になったわけだが。


「おい。ベン! 急げって!」

「はい!」


 しかし。私は、それでも不思議と笑みがこぼれてくるのである。



 それこそ。この幸せは。私が未来を切り開いた、バタフライエフェクトのようなものなのだから。




三題噺:サーカス、蝶、ウイルス により、作ったものです。

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