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ドラクエ世界の町の様子は、前後左右8キャラ分しか表示できないせいか、とても寂しいものに思えた。
VR空間が町の途中でぶっつりと途切れているが、そこから真っ青な空と雪をかぶった鋭く尖った山々が背景として見えているので窮屈さは感じない。真っ黒い壁のように情報が遮断されていたら息苦しさにも似た閉塞感を覚えたかも知れないが、やっぱり空って雄大だ。
感覚的には20メートル四方の実物大の箱庭ディオラマの中心にカメラを設置してそれを通して内部を見ているようなものだ。
「FPS視点で見ると以外としょぼいだろ」
隣に立つドットの塊の勇者様が言った。
「容量の節約とは言え、ドラクエと言うゲームとして成立する最低限度のオブジェクトで町を組めばこうも殺風景になるさ」
「殺風景ねえ」
殺風景と言うよりも、圧倒的に情報量が足りないと言った感が強い。町であるはずなのに建物が異様に小さいし、棟数も少ない。町民も画面内に二人いるかいないか。そりゃあそうだ。ゲームなんだ。実際の町じゃないんだ。
「ファミコンのゲームなんだから仕方ないじゃん」
「ゲームだから、の一言で片付けたら面白くないよ。勇者に友達がいるかどうか、それを気にしたのはブリギッテ自身なんだよ」
「じゃあどうすればいいの?」
「想像力こそ最大の調味料である」
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「考える事を楽しむんだよ。まずは武器屋行こう。レベル1素手じゃスライムも強敵だろ?」
コータくんの勇者様がトコトコと画面上部に歩いて行ってあたしの視界からフレームアウトした。
しようがない。少し付き合ってあげるか。
あたしがコータくんの勇者様の後について行こうとした時、ふと、町民Aと言うか、名もなき町の青年と言うか、一体のNPCがこっちを見るように立っているの気が付いた。
ここはドラクエのはじまりの町。どんな台詞喋るんだっけっかとそいつに話しかけようとしたら、ぷいとそいつは背中を見せてあらぬ方向へ歩いて行ってしまった。
「ブリギッテ、どうした?」
画面外からコータくんが呼ぶ。
「ハーイ、今行く」
町民Aはとりあえず置いといて、コータくんの消えた方向に歩いて行くと、勇者様と武器屋の看板が見えてきた。キャラ的に同じ大きさってのがすごい違和感あるが、いちいちつっこんではいられない。
「さあ、思考実験だ」
何か? アキレスと亀にかけっこでもさせようって言うのか。とりあえずドラクエ的にコータくんの勇者様にぴったりとくっついて並んでみる。
「さっき戦ったスライムだけど、ブリギッテの一般人、レベル1、素手のステータスじゃギリギリ勝てるかどうかってとこだよな」
あたしはあたしのステータスを表示させた。あたしのキャラは勇者ではないらしく、そのスペックも限りなくゼロに近い1とかが並んでいるんだろう。スライムとほぼ互角の戦いを展開させた。
「そこでちょっといい値段の武器と防具を装備する。これならどうだ?」
アイテムウインドウが開いて「どうのつるぎ」と「くさりかたびら」が追加された。あたしはコータくんがどんな解答を望んでいるのか、推測しながら答えてみた。
「それぞれ攻撃力、防御力が上がってスライムごときに負けなくなる」
「正解だ。一般人でも武器や防具を装備すればスライムに勝てる。すなわち、レベルアップも可能だ」
あたしは武器、防具を装備した。ステータスの数値が上がり、確かにスライムを蹴散らせるくらい強くなったはずだ。
「勇者の勇者たる所以はその成長率にあるんだろうけど、一般人であろうと装備とレベル次第でモンスター達と十分戦えることをパラメータが示している。レベルアップした人達が徒党を組めば竜王の島までは制圧できそうだろ?」
HPや攻撃力など、数字だけで考えればその理屈は通る。数値だけで考えれば、だ。
「でもそれじゃゲームにならないよ」
「ゲームとしては成立するけど、もはや別なゲームだな。少なくともRPGじゃない」
それだとリアルタイムストラテジーとか、そっちのジャンルになるな。
「前にジャレッドとこの仮説を元にしてシミュレータを動かしたことがあるんだ」
「ジャレッドさんと?」
コータくんの数少ないお友達の登場だ。ひょっとしてコータくんはこんな風に友達がいるんだぞって言いたいがためにこんな話をしているのか?
「生態系の展開モデルみたいなのを試したんだよ。アレフガルドに点在する町の人間全員にパラメータを振って、武器を装備させ、モンスターは無限に湧いてくるって条件で」
「変な事してんのね」
「見てて面白かったよ。人々が徐々にレベルアップして、ついに蜂起して城塞都市メルキドを解放した辺りは思わず声が出たよ」
コータくんとジャレッドさんが興奮して小躍りする様子が容易に想像できて笑えてくる。同時に、ちょっと面白そうと思ってしまった自分がいて悔しくなる。
「やれば出来るNPCの人々。でもやらない。町からも出ず、勇者と言うたった一人の客ために武器屋を営み、宿屋を経営する」
「NPC問題はいいとして、それだと勇者に友達いない説が確定しちゃうよ」
自我も意思も持たないNPCと勇者との間に友情は芽生えない。当然だ。相手はプログラムだ。
「うん。いったんそれは置いといて、次は勇者の出自だ。彼はレベル1で王様の前に突然現れた。今まで何処で何をしていたんだ?」
この箱庭のような世界に突然登場した勇者様。そうだ。それまで、彼はレベル1でNPCの一人としてこの箱庭の中に囚われていたのか。それとも異世界から舞い降りるようにやってきたのか。
「ある日突然勇者としての能力に目覚めた、とか?」
あたしは当たり障りのない事を言ってみた。でもそれはコータくんの想定範囲内だったようだ。コータくんはすらすらと次の問題を投げかけてくる。
「だとしたら、それまでモンスター達はいたのか、いなかったのか、と言う問題が浮き上がってくる。答えは、いた、だ。メルキドの城塞都市がその証拠だ。モンスター達はすでにいた。竜王はすでに世界を支配していた」
「そして勇者が現れた」
「うん。まるで舞台が整うのを待っていたかのようにね」
ドットの塊の勇者様が言う。
「物語中、たった一回だけ、メタ視的な台詞がでてくるんだけど心当たりはないかな?」
一応竜王とのラストバトルまではゲームを進めている。ほとんどの台詞を聞いたはずだ。その中で印象に残っているのは。
「世界の半分をおまえにやろう、かな?」
「それだ」
巨大なドットで形作られた小さな箱庭世界に風が吹いた気がした。この世界は何のために作られた?
「僕とジャレッドのドラクエに関する見解は、あの世界は勇者のために作られた世界じゃないって事だ」
「じゃあ誰のため?」
答えは解っている。でも、聞かずにはいられない。
「竜王だよ。この世界は竜王のために作られて、竜王が理想の形に育て上げた世界なんだよ。勇者は竜王が生み出した世界に対するレゾンデートルだ。アンチテーゼと言ってもいいかな」
レゾンデートル、存在の意義。アンチテーゼ、相反する別な概念。竜王は何を望んで勇者を生み出したのか。
「そんな事を考えながらドラクエで遊んでいたの?」
「そんな事を考えながらドラクエで遊んでみな」
目の前にいるドットの塊の勇者様が笑っているように見えた。
「つまり、勇者にとっての友達ってのは」
「勇者にとっての友達とは、王様でもお姫様でもなく、竜王ただ一人だ」
「変なの」
「ブリギッテの好きに解釈していいよ。さて、もう業務報告書を作らなきゃ。一人で遊んでるか?」
HMDをちょいとずらして見ると、コータくんはもうすでにHMDを脱いでこっちを見上げていた。コ・パイロットシートからコータくんを見下ろし、あたしはもう一度HMDを被り直した。
「もうちょっとこっちで遊んでていい?」
「いいよ。睡眠時間になったら声かけるから」
竜王にとってのドラクエ世界の存在理由、世界に対して反対の位置付けにある概念。それが勇者であり、竜王にとって勇者とは世界で唯一自分の力が及ばない存在であり、それは友達と呼べる者である。
いかにもコータくんらしい天邪鬼な解答だ。
で、今、あたしはドラクエ世界で遊んでいる訳だが、さっき気になった事があり、町の中を歩き回っていた。あるキャラを探して。
いた。町民Aだ。
「ねえ、あんた。誰なの? いつからここにいたの?」
ボイスチャットを投げかけてみる。それでもドットの塊の町民Aはこっちを見たまま足踏みしているだけだった。
「ドラクエ世界ではね、NPCはずっと前を向いたまま歩くのよ。さっきあんた背中見せたじゃない? つまりあんたはプレイヤーキャラクター。黙って人のプレイを見てるのはあんまりいい事じゃないよ」
そこまで言ってやって、初めて町民Aが反応を示した。
『やあ、バレちゃったか。何か面白そうなお話してたから、つい盗み聴きしちゃったよ』
「ふん。やっぱり、誰か紛れ込んでいたか。で、誰なの?」
町民Aがこっちに近付いてくる。この世界は基本ドラクエのまんまだ。PC同士での戦闘は起こり得ない。あたしは警戒する事なく返事を待った。
『僕の名前はアトム。さっきの面白い考えする人はもういないの?』
「あたしはブリギッテ。さっきの人はあたしのパパ」
ドラクエらしくぴったり横について会話する。
『はじめまして、ブリギッテ。実は偶然迷い込んだんだよ。見たことない世界だったから興味が湧いてあちこち見ていたんだ。盗み聴きした事は謝るよ』
「そう? ねえ、暇だったら遊んでいかない? あたし一人だとちょっと弱くてきついの」
アトムと名乗るこの人が誰だろうと、竜王に対する勇者か、勇者にとっての竜王か、どちらにしろ遊び相手としてちょうど良かった。
あたしはアトムとドラクエで遊んだ。思えば、コータくんやサクラコ達とは別の、はじめての友達だったかも知れない。