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 一目見て良い物だと解るスーツを着こなしたその人は、無重力慣れしたしっかりと軸がぶれていない動きでエレベーターを降りて、エアロビクスのレッスンが出来そうなくらいだだっ広いエレベーターホールをぐるっと見回してからあたしに視点を定めた。


「アトム、どう言う事?」


 あたしは囁くような小声でアトムに問いかけた。テロリストをおびき寄せるって言わなかった?


『宇宙船パイロットは軌道港の有事の際に警備隊と協力して事件に対処すべし。ブリギッテもパイロットを目指してるんでしょ? ここらでポイント稼いでおこうよ』


 アトムはさらっととんでもない事を言ってのけた。ポイント稼げって簡単に言うけど、あたしごときが大人の男の人をどうこう出来る訳がない。


「相手はテロリストでしょ? 勝てっこないって」


『あと数分で君のパパがここに来る。それまで彼を逃がさないよう時間を稼げばいいよ。僕は他にテロリストが残っていないか調べるよ。じゃあね』


「そんな、無茶なー」


 口ひげスーツのテロリストの人はたっぷりあたしを見つめて、やはり軸のぶれない体重移動とゆったりとした仕草で床を蹴り、水平移動であたしに近付いてきた。どう考えても無重力慣れし過ぎてる身のこなしだ。あたし一人でどうしろって言うんだ。


 考えてたってどうしようもない。何かしなくちゃ。お互いまだ正体を掴めていないってポイントを最大限に利用して相手の意表を突く。それしかない。


「おじさんはパパが言っていた仕事仲間の人ですか?」


「仕事、仲間?」


 あたしの先制攻撃。ヒゲスーツの男は動きを止めた。怪しんでいるようだ。


「パパがここで待ってろって言ってて。でも帰って来なくって。今モスバーガーでは何か事件が起きてるんでしょ?」


「モスバーガーって、月周回軌道宇宙港の事だよね。君のパパって誰の事だい?」


 ヒゲスーツはあたしの目の前で床に脚を伸ばして姿勢制御してきれいに立ち止まり、膝を曲げて目線の高さを合わせてきた。


「これを見て」


 だぶだぶの対静電気パーカーのポケットから3DSを引っ張り出して一枚の画像を見せてやる。ヒゲスーツは少し前屈みになって3DSの画面を覗き込んだ。そこに写っているのは呑気に変顔してるデデデさんとあたし。


「……やっぱりか。君はデスピオ経済大臣のお嬢さん?」


 食いつき気味にヒゲスーツは言った。あたしは肩をすくめて見せるだけで答えて、ちょんっと床を蹴って壁際までゆったりと飛び下がった。壁に寄りかかるように体重を預けて、宙を漂うツインテールを目で追いながら言う。


「ここで待ってろって言われたけど誰も来ないからラウンジに戻ろうかって考えてたとこ」


「じゃあ私と一緒に行くかい? 私もデスピオ大臣に用があって探していたところだ。ここにいると仲間がメールをくれたから来てみたものの、君しかいなかった訳だし」


 その仲間からのメールって、ひょっとしてアトムがヒゲスーツを誘き寄せるために打った偽メールかもしんない。すべてアトムの手のひらの上で踊らされてるだけか。ヒゲスーツも、コータくんも、そしてあたしも。


「……うん。パパが来るまでもうちょっと待っても?」


「あまり時間に余裕はないが、少しだけなら……」


 と、突然に激しい衝突音がホールに鳴り響いた。エレベーター上部の壁面パネルが一枚ばきっと膨らんで、何やら怒鳴り声が壁の中から漏れ聞こえてくる。妙に聞き覚えのある声だ。さらにもう一度衝撃音が響き、壁面パネルがひしゃげて吹き飛び、そこから誰かの脚が突き出た。


「何事だ?」


 ヒゲスーツが壁に空いた穴に注意を向けた。その隙にあたしは横っ飛びして距離を開ける。


「もう少しスマートにやれないものか」


 壁の穴から男の人が顔を出して言った。あたしから見て逆さまで、そのせいかやたらしかめっ面に見えてしまう。謎の男の人は眉間にくっきりとしわを寄せて、エレベーターホールを一瞥してあたしとヒゲスーツをじろっと睨む。


「いた。コータ、ターゲットを視認した。敵と保護対象と双方だ」


「見えたんならとっとと突入する! 後がつかえてるんです!」


 コータくんの声が壁の中から聞こえてきた。さらに続けてもう一枚壁面パネルが蹴り飛ばされて懐かしのコータくんが現れた。しかしながら何で壁を蹴破って登場するかな。エレベーターから優雅の登場したいい服着たヒゲスーツと壁を破って姿を現した薄汚れた格好のコータくん。これじゃあどっちがテロリストでどっちがヒーローか解らない。


「よし、コータ、飛べ」


「はいよ!」


 謎の男がコータくんの腕を掴み取ってぐいっと勢い良く振り回し、コータくんは壁を蹴ってその反動でさらに加速して一気にこちらへ飛んできた。


 ヒゲスーツは少し脚を開いて半身になるように姿勢を立て直し、対静電気パーカーをマントのように翻してすごい勢いで飛んでくるコータくんに対峙した。やる気か。やる気だな。そうはさせるか。


「ヒゲスーツおじさん、飛んでるあれがあたしのパパよ。ハグしてあげて」


「えっ」


 あたしの突然の告白にヒゲスーツはすごくナチュラルな疑問形の声を上げて振り返った。その一瞬の隙で勝負は決したようなものだ。


「必殺! 運動エネルギー全譲渡!」


 コータくんが何か必殺技名を叫んでくるりと空中で反転した。そしてその勢いのままに背中全体でヒゲスーツに体当たりをぶちかまし、必殺技名のごとくコータくんはピタリとその場に座標固定されて代わりにヒゲスーツがぐふうって吐息とともにものすごい勢いで吹き飛んで壁に激突し、無重力スカッシュみたいにきれいに跳ね返って天井に向かって飛んで行った。


「コータくん、遅い!」


「ブリギッテ、まだだ!」


 コータくんに飛び付こうとしたら止められた。びしっと手のひらを見せて格闘技のようなポーズを取って立ち位置を微調整した。ヒゲスーツの反射角を読んで射線に入ろうとしてるっぽい。


 ガンガンと天井と壁にぶつかって跳ね返ってきたヒゲスーツに対して、コータくんはまたも大声を張り上げた。少しだけ照れ臭そうに、だけど。


「エンドレスワルツ!」


 飛んできたヒゲスーツの身体を見事に捌き、運動エネルギーを縦軸の回転力に転換させてその場でぐるぐると回転させた。


「よし、もういいよ。大丈夫か、ブリギッテ」


 哀れ、ヒゲスーツは座標固定されてしまいもはや自力では脱出不可能な回転の中にいた。外部から力が働かなければ回転し続けるしかない運命だ。まさにエンドレスワルツか。それにしても、エンドレスワルツって叫ぶの、恥ずかしくないのかな。


「えーと、聞きたい事いっぱいあるんだけど、まず、必殺技名を叫ばなきゃなんないルールなの?」


「半年ぶりに会ったってのにいきなりそれ?」


「エンドレスワルツ! って、ちょっと恥ずい」


「いやー、まー、うん、ちょっとね」


 コータくんはそっと視線を外して言った。そこへコータくんと一緒に登場した謎の男の人が親子の再会の会話に乱入してきた。


「無重力格闘術、アンチ・グラヴィティ・オルタナティブ・アーツはただの喧嘩の道具ではない。心身を鍛えるスポーツだ。従って正々堂々と、技を仕掛ける前に技名を宣言しなければならないのだ」


「ちょっと何言ってるかわかんない」


「紹介するよ、アレクサンダー・ニューマンさんだ。ずっと火星宙域を担当していたけど、配置換えで久しぶりに月に帰って来たんだ。僕の師匠にあたる人だよ」


「師匠って、オルタナティブ・アーツの?」


「宇宙船パイロットのだ」


 コータくんのパイロットの師匠。その言葉だけで、怪しい格闘術を使う謎の男が髪をきっちりとオールバックに整えた紳士に見えてしまうから不思議だ。


「お会い出来て光栄だ。ミス・ブリギッテ・カンバラ」


 イギリス訛りのある英語で握手を求めてくるアレクサンダー師匠。こうして見ると、落ち着いた身のこなし、クールな言葉遣い、確かに師匠キャラっぽい。


「今回の火星からの旅路の間、君の事はコータからよく聞かされた。火星への単独無寄港航行を目標としているんだってな。君さえ良かったら、私ごときで何が出来るか解らないが協力は惜しまないつもりだ」


 アレクサンダーさんと握手しながら、あたしは思わずアレクサンダーさんから顔を背けるようにしてコータくんを見てしまった。コータくんはゆっくりと頷くだけで応えてくれた。


「ハイ、アレクサンダー師匠!」


「うむ。それにしても、目障りだな、このぐるぐる回転男は」


 アレクサンダー師匠は縦軸で回転し続けているヒゲスーツをちらっと見て言った。すうっと静かに深呼吸して、腰をどしっと落とし、アンチ・グラヴィティ・オルタナティブ・アーツの慣例に従って技名を叫ぶ。


「ゼログラヴィティ!」


 回転するヒゲスーツを一撃で仕留める拳。ヒゲスーツはアレクサンダー師匠の拳を受けてびたっと動きを止めて、ぐったりと項垂れて空中に静止した。何の力もかかっていない運動エネルギーゼロ状態。無重力空間ではもはや動きようがない完璧な静止状態だ。


「これでよし。ブリギッテ、君も頑張り次第ですぐにここまで上達出来るはずだ。アンチ・グラヴィティ・オルタナティブ・アーツ・マスターへの道のりは険しいが、努力を怠らないように」


「いやいや、無重力格闘術じゃなくて宇宙船パイロットの修行の方をお願いします」


 こうして、月周回軌道宇宙港にてデデデ経済担当大臣を狙ったテロ事件は、あたしが知らない間に発生して、誰も知らない間に鎮圧されたのであった。


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