6
あたしとしたことが、一瞬パニクってしまった。
高速で衝突して爆散するソルバルウ号のイメージが頭の中に浮かぶ。周囲に破片をばら撒いて軌道港に大ダメージを与えてしまうソルバルウ号。船体がひしゃげてコックピットが露出して宇宙空間に放り出されるコータくん。桟橋で他の船に絡むようなあんなふざけた停泊の仕方してるからだ。
でもその悲惨な絵はすぐに掻き消える。コータくんに限って、そんな重大な操船ミスはあり得ない。せいぜいゲームボーイで遊んでて前方不注意で壁に接触してセンサーアンテナ類をへし折る程度だろう。
「事故って何が? パパが? どこで? おじさん達は?」
まだちょっと焦ってるのか、つい矢継ぎ早に聞き返してしまう。港内作業員のグレーのジャケットを着込んだ二人はいったん顔を見合わせて、一人は関係者通路ドアの外へ顔を出してからおもむろにドアを閉じて、もう一人はひざまずくようにしてあたしと目線の高さを合わせて、子供に言い聞かせるようなゆっくりとした口調で話しかけてきた。
「いいかい、落ち着いて聞くんだよ。君はパパのお仕事でこの宇宙港に来たんだよね?」
そりゃあおじさんから見ればあたしなんて背も小さくって身体も細っこいお子様だろうけど、もうちょっと対象年齢を上げてくれてもいいよ。あたしにも一応貨物船乗組員としてプライドってのがあるんだ。
「パパの事知ってるんですか?」
あえて毅然とした態度を取ってやる。作業員のおじさんを真っ直ぐに見つめ返して、一瞬だけでもパニクってしまった事を悟られないように。
「君のパパが事故に巻き込まれて怪我したって言ったよね。今この入港モジュールに移動規制がかかっているんだ。通路に誰もいなかったろ? 事故の規模は大した事なくて、君のパパとお仕事で一緒にいた人達は安全な区画に避難しているんだ」
そうっと触れるか触れないかの微妙な力加減でおじさんがあたしの肩に手を置く。
「でもいつ空気漏れが起きるかわからない。だからパパが君の事を心配して一緒にいるようにと探していたんだ。さあ、パパのところに行くよ」
ぞくっと首筋に鳥肌が立った。違う。何かが違う。おじさんの猫撫で声の奥にはピリピリとした緊張感が隠れている。そこに潜んだ緊張感はあたしを怖がらせないための優しげな緊張ではなく、あたしを逃がさないための凶暴な緊張だ。
「……あたしの事知ってんの?」
「そりゃあそうさ。君のパパに連れてくるよう頼まれたんだから」
作業員のおじさんはあたしの肩を掴むように力を込めて、ジャケットのポケットからカード型スマホを取り出してあたしに向けた。
「ほら、デービッド・デスピオ財務大臣のお嬢さんだろ? さあ、一緒に行こう」
おじさんのスマホにはインスタグラムの画像が映し出されていた。ついさっきVIPラウンジでデデデさんと一緒に撮った変顔の画像だ。
ヤバイ。脳内アラームがビリビリ鳴り響いた。あたしは今とんでもない事に巻き込まれようとしている。もう反射的に身体が動いた。
とんっとほんの少しの力で床を蹴る。肩に置かれたおじさんの手を振り払うように浮き上がると同時に身体を大きく後ろへ反らして、おじさんの胸板を踏み台にドロップキックをぶちかますように飛び上がった。
「このっ!」
さっきまでの猫撫で声から打って変わって動物の鳴き声のように叫ぶおじさん。
あたしから見れば上方に、おじさんからすれば前方に、無重力の慣性を活かして一気に飛ぶ。たなびくツインテールにおじさんの手が伸びたが、間一髪、するりとすり抜けた。
「逃げやがった!」
「何やってんだ!」
ドアのところにいたもう一人が飛んで来てあたしが蹴飛ばした反動でグルグル回ってるおじさんをがしっと捕まえた。そして二人そろってあたしをぎろりと睨む。この二人組が何者かはわからないけど、まともな港内作業員じゃあないって事だけは確かだ。もう完全に敵キャラって顔付きをしている。
狭い通路を一直線に飛んで行き、T字路に差し掛かるギリギリ手前で壁を蹴り慣性のベクトルを変えてやる。あたしは曲がり角をドリフトするみたいにして斜めに飛んで壁に着地し、そのまま四つん這いになって壁を走った。
何が何だかわからないけど、とにかくあのままあいつらに捕まるのはまずい。すごくヤバイ事になりそうだ。
「せっかくデスピオの娘を見つけたんだ。逃がすな!」
「わかってる! こんなチャンス、見逃せるか!」
曲がり角の向こうから唸り声が近づいて来る。インスタグラムの画像のせいでデデデさんの子供と勘違いされてるようだ。人違いだって言ったところで聞き入れてもらえそうにない雰囲気だし、捕まったらとにかくまずい事になる。
「どうなってんのさ、もう!」
ついつい口から漏れてしまう愚痴。あたしの声に反応して通路の向こうから度号が迫ってくる。無重力状態と言うこっちに有利な条件であるってのがせめてもの幸運か。あのおじさん達よりあたしの方が圧倒的に体重が軽い。少ない脚力でも速く空間移動できる。方向転換も軽いもんだ。
右へ左へ、ダンジョンのように入り組んだ関係者通路を飛びながらAR眼鏡を起動させる。変な小部屋に入って立てこもるよりも、このまま高速移動して振り切っちゃった方がいいだろう。そのためにもとにかくコータくんかサクラコに電話だ。
「お願い、繋がって」
しばらくコネクティング状態が続いた後、あたしの視界に接続不可の文字列が並んだ。ああ、もう、ネット環境はまだ復帰していないか。
と、思ったら。視界が一瞬だけ淡いグリーンに染まり、ワイヤーフレームが世界を取り込むように拡大してって、やった、AR眼鏡が起動してくれた。ネット接続不可エリアを抜けたのか、緊急措置が緩和されたのか。どっちにしろこれであたしのターンだ。
コータくんかサクラコに連絡がつけばなんとかなる。何だったらさっき3DSのアドレス交換したデデデさんにメールしてもいいし。そうだ、こうなったのもデデデさんが不用心にも画像をアップしたせいだ。強そうなSPも引き連れていたし、きっちり責任取ってもらうか。
飛びながらAR眼鏡のフレームをタップして電話アプリを呼び出していると、不意に誰かの声が耳に飛び込んできた。いつの間にか電話が繋がっていた。
『ブリギッテ、大丈夫? 何か事件に巻き込まれてる系かな?』
まるで対戦ゲームで遊んでいるみたいな明るい少年の声だ。この声は……。
「アトム? 何でアトムが?」




