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 ストローで吸うコーヒーはやたら熱いらしい。サクラコはあたしがせっかくアーティスティックに彫り進めていたチョコパフェに無遠慮にかぶりつき、一口分のソフトクリームをもぎ取っていった。


「ひょっほ、ほんあいああうお」


 何やら意味不明の言語を呟いてコーヒーカップのキャップを外して咥えたソフトクリームを投入する。コーヒーフロートの出来上がりだ。冷ますためとは言え、コーヒーを淹れてくれた人にもチョコパフェを捻り出した人にも失礼なやり方。相変わらず乱暴な合理主義的サクラコだ。


「ちょっと何言ってるかわかんない」


 ストロー火傷に気を付けて。コーヒーに限らずホットな飲み物を無重力空間で飲む時の注意点として常識でしょ。サクラコは薄い唇をペロリとやりながらコーヒーフロートを掻き混ぜて言う。


「ひょっと問題発生かもね」


 不恰好にえぐれてしまったあたしのチョコパフェの方が問題だ。せっかくソフトクリームのモアイ像を彫っていたのに。口を開けてイオンリングを吐くところを彫り直しながら聞いてみる。


「問題って?」


「コータくんが電話に出ない」


 カップのキャップを閉めて再びストローで吸うサクラコ。甘っと顔をしかめる。


「着船操作で忙しいんでしょ」


「私の電話に出ない訳がない」


「あーはいはい、おのろけですか?」


「ブリギッテには後でたっぷり見せつけてやるからねー。って、そんなんじゃないの。通信制限がかかってて繋がらない。で、やっとコールしたかと思ったら、後でって切りやがる」


「そりゃ浮気だわ。火星から別の女を連れ帰ってきたんだ。ソルバルウの中でイチャイチャしてんの」


 ジロリとあたしを睨んで、すっかり冷めて甘ったるくなったコーヒーを啜るサクラコ。


「コータくんがそういう事してるの想像出来ないな。私に内緒でまた動かないゲームハードを大量に仕入れたとかなら解るけど」


「じゃあ古いゲーム機とイチャイチャしてんのよ」


「それは許せん。私も混ぜろ」


 ふわりと、不意にあたしのくすんだブロンドのツインテールが視界に漂ってきた。耳の上で結んだ束が広がってしまわないように三箇所バンドで留めているせいで、多関節うねうねキャラのような動きでゆっくりと目の前に浮かんでくる。


「ちょっと待て」


 サクラコがあたしのツインテールをぱしっと掴み取って、口に咥えたストローからコーヒーを小さくぷくっと吐き出した。ソフトクリームと混じってマーブル模様の小さなコーヒー玉はゆったりと空間を漂い、あたしのツインテールと同じ軌道を描いて僅かに遠ざかっていく。


「軌道港が動きを変えた?」


 サクラコが眉をひそめて言った。周囲を見れば、VIPラウンジにくつろぐオジ様オバ様はこの些細な変化に気付いた様子もなく、あたしのように髪留めをしていない髪がふわっと浮いたり、空中に置いといた空のワイングラスが動き出してコツンとぶつかったり、その程度の無重力ならではアクシデントを楽しんでいるみたいだ。


「軌道港が動くって、何かまずいっけ?」


 そもそも月周回軌道宇宙港、このモスバーガー自体が高速で月の周りを飛んでいるんだ。軌道修正なんてしょっちゅうやってるはずだ。


「軌道港と言うより、私らがいるこのモジュールが動いてるって感じだ」


 サクラコは遠くに行きつつあったマーブルコーヒー玉をぱくんと飲み込んで、またどこかにアクセスしようとAR眼鏡のフレームをタップした。


「ブリギッテは軌道港のセキュリティがAI任せだって知ってるよね」


「うん。大地と海と、空だったかの三体のAIでしょ?」


「そ。『アース』と『オーシャン』と『アトモスフィア』、大地と海原と大気って三体のAIが話し合って安全を守ってるの。人が介入するよりよっぽど安心して任せられる」


「それが何か?」


 立ち上がったサクラコはコーヒーの残りを一気に吸い上げて続けた。


「時々、AI達は軌道港の安全を最優先してそこにいる人間の安全を後回しにする事があるの」


 そりゃそうだ。モスバーガーにはものすごい数の人間が乗っかっている。その人間達の一部の都合を優先させて港を危機に陥れでもしたら、万が一の事態が起きればすべての人間が宇宙空間に投げ出されて即死だ。デブリ衝突で機密が破れればそのモジュールにいる人間みんな窒息する。それを避けるためには人間よりも軌道港そのものの安全を最優先させなければならない。当然の選択だ。


「ね、わかんない。それがどうしたの?」


「何のアナウンスもなしにモジュールの軌道を変更したり、通信制限かけたり、ベイドックの入港制限があったり。コータくんとも連絡取れないし。今、この軌道港で何か普通じゃない事が起きてるのかも」


 元宇宙港管制オペレータのサクラコはVIPラウンジを見回して言った。その何らかの異常とやらに気が付いているのはおそらくサクラコのみだ。ラウンジのバーカウンタースタッフにも特に変わった様子は見られない。


「普通じゃないって何よ。気にし過ぎかもよ」


「……わかんない。モジュールマップともアクセス出来ない。AIコンシェルジュも呼びかけても答えない」


 これは、ソフトクリームでモアイ像を彫ってる場合じゃないかも。あたしはモアイの頭からがぶりと噛み付いてチョコパフェを一気に消費しながらサクラコに聞いた。


「コータくんのとこ行く? それとも、うちの会社の設備課事務所ならフランクさんがいるはず。このモジュールから近いよ」


 コータくんがいるであろう桟橋へは幾つもモジュールを渡ってベイドックまで行かなければならない。もしも入港制限がかかったドックが人の立ち入りすら禁止していたらコータくんには会えないけど。それよりも二つ隣のモジュールに設備課の事務所がある。ツバメの巣のように壁一面に各運送会社の事務所が軒を並べるあそこなら、個人としてではなく法人としてネットが使えるから各方面へのアクセス権も強いはずだ。


「もしモジュールが動いてるんならモジュール間の移動は出来っこないし、ここにいるしかないんだけどね。何のアナウンスもなしってのが気に入らない」


 サクラコはAR眼鏡の前で人差し指を小刻みに動かしている。元管制オペレータならではのルートからAIコンシェルジュにアクセスを試みてるんだろうけど、あの眉間のシワっぷりからしてダメなんだろう。


「何かあっても、VIPラウンジなら安全だし、大丈夫だよ」


 確か、VIPラウンジは独立した機密性も保たれていて、最悪モジュールが大破してラウンジごと宇宙空間へ放り出されても問題なく数日間は生きていける設計になってるとか聞いた事がある。


「ブリギッテ、ここにいてね。ちょっと電話通じる場所を探してくる」


「うん、了解」


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