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VIPラウンジは部屋に入った瞬間に空気の質すらワンランク上だと解るくらい上質な雰囲気に満たされた空間だった。あたし達とは違う世界に住んでいる人間が集う優雅なエリア。そもそもある一定レベル以上の人間にしか入室が許されない会員制クラブ。そんな感じだ。
ここにいる人達は宇宙の真っ黒い風景を見る必要なんかないのでウインドウはない。わざわざ地球から打ち上げられた絵画が窓の代わりに壁を飾っている。あの絵はネット美術館で観た事ある。フェルメールだ。
たぶんモーツァルトだろうクラシック音楽が柔らかな音色を控えめに響かせて、生地の質からしてコータくんが着た事もないようなてらてらした光沢のあるスーツをさりげなく着こなしたオジ様達が、無重力対応ドレスを当たり前の部屋着のように纏ったオバ様達と談笑しながらふっかふかのソファに身体を寄せている。
学生みたいなジャージ姿や作業員のような対静電気パーカー姿の人間なんて誰一人いやしない。無重力をふわふわと楽しんでいる人間すらいない。
「セレブって余裕のある人達の事を言うのね」
あたしはこっそりとサクラコに耳打ちした。そう、このVIPラウンジにいらっしゃる方々は、みんな余裕たっぷりってオーラをぷんぷんと放っていた。せっかく宇宙にいるってのに、みんな無重力感を味わったり、窓の外の漆黒空間を見て興奮して鼻息を荒くしたりしない。無重力空間で上手にコーヒーを飲んでいたりしていらっしゃる。
「びびるな。私らも一応はVIPの一員だ」
サクラコはこれ見よがしにVIPラウンジ会員カードを首からぶら下げて、ファミコンカラーのジャージのファスナーを目一杯上げて薄い胸を張った。いや、ここにいる人達はそもそもそんなサラリーマンみたいにタグをゆらゆらと首からぶら下げたりはしてないって。
「元管制オペレーターかつ、惑星間および軌道圏A級ライセンスパイロットの家族特権のラウンジ使用許可証が目に入らぬか、ってなもんよ」
たぶん誰の目にも入らないと思う。それどころかジャージ女とパーカー娘なんて気にも止めないだろう。それがVIPと言う人種だ。
「さ、ブリギッテはソファをキープしといて。飲み放題のコーヒーもらってくる」
「チョコパフェチョコ大盛りで」
飲み放題とか大盛りとか、おおよそVIPラウンジでは使われる事なんかなさそうな低レベル呪文をさらっと言っちゃうあたし達であった。
まるで何でも買えちゃう魔法のクレジットカードであるかのように、ラウンジ使用許可証をきらりと掲げて、サクラコはラウンジカウンターへ意気揚々と向かった。
しかしながら、VIPラウンジはまったくもって贅沢な空間の使い方をしている。さすがはセレブ達のための部屋だ。
月面の低重力とは違い、物体の座標固定が容易な無重力環境だ。通常の宇宙ビジネスホテルなんかは壁面や天井も有効活用している。無重力では部屋の六面すべてが床になり、同時にベッドに、シャワールームに、クローゼットになる。
で、このラウンジは無駄にスペースを余らせて地球環境を再現していた。壁面には絵画しか飾られてない。天井には間接照明器具だけが設置されている。床となる面に無重力では意味をなさないふかふかしたソファとローテーブルが広い間隔で置かれている。
ソルバルウのプライベートルームなんてこれでもかと言うくらい表面積をフルに活用させてるから、どうにも何もない壁と言う奴が勿体無くてしょうがない。
せっかく宇宙に来たって言うのに、地球と同じ環境設定にしてどうするんだろう。いやいや、そんな考え方が庶民の証明であり、セレブの贅沢な遊びと対極にあるんだろうな。
適当に空いているソファを陣取ってぷかりと浮かばないように低反発マットにしっかりとお尻を埋めて、あたしは3DS(もちろんオリジナルではなくライセンス販売のものだけど)を開いてポケモンを始めた。
このポケモンは3DSの位置情報と連動していて、その場所でしか出会えないレアポケモンが登場するヴァージョンだ。最近のレトロゲーマーの中でも3DS派、ポケモンファンに特に人気がある一本なのだ。
地球から38万キロ離れた月面では月面っぽいポケモンが捕獲出来て、地球で生活しているレトロゲーマー達がこぞってトレードを希望してくるので、なかなかゲーム本編が進められず野生ポケモン探しばかりする羽目になってしまう。
レアと言えば、月の上空を平均高度240キロの楕円軌道に乗っているこの月周回軌道港もレアポケモンの発生ポイントだ。
一般の人がそう頻繁に訪れる場所ではないし、月地球間を往来するとしても軌道港での滞在時間もそう長いものではない。それ故に、軌道港で捕まえられる野生ポケモンはかなりレアな奴になる。
セレブ達のハイソサエティなディスカッションを盗み聞きしながら野生ポケモンでも探してやろうかとしてると、ラウンジに新たなお客様が入室してきた。それがまた、一目見ただけでレアだと解る一団だ。
明らかにSPだと見て解るいかつい二人を前衛に置き、VIPラウンジなんて日常空間だとばかりに堂々と歩くその姿は悠然としてそこそこ無重力慣れしていそうだ。ネットニュースで観た事ある顔だ。ブラウンのロン毛をオールバックにまとめて後頭部で一本に縛るそのヘアスタイルが特徴だけど、何のニュースだったかな。
壮年期の男性相応の深いシワが刻まれていて、ややタレ気味の目はラウンジ内をさあっと流して見ている。立ち姿がしゃんとしていて、うーん、まるで往年の映画スターみたいな渋い風貌に見憶えあるけど、ほんと、誰だったか。
そのSPに囲まれた映画スターっぽいオジ様はラウンジ内を一通り見渡すと、VIPルームにはとても似つかわしくない一人でぽつんとソファに乗っかっている女の子の方へ歩み寄った。
身体のサイズに合っていないぶかぶかの対静電気パーカーを港内作業員のようにラフに羽織って、くすんだブロンドを耳の上でツインテールにまとめてふわふわと漂わせて、拡張現実端末である黒縁眼鏡の奥からジロリと睨み付ける女の子。そう、あたしだ。
「失礼、ブリギッテ・カンバラさんですよね?」
オジ様、誰よ?




