第11話 アンドロイドは美しきゲームオーバーを知らない 1 コラムス
火星往還航路二十六週間の長旅を終えて、ついにコータくんが帰ってくる。
もっとエンジン出力の大きな船だったり、もっと火星が近くにある時期だったりすれば航路は短くなるってのに。そこは弱小運送会社に背負わされた十字架、課せられたさだめ、元請け様には逆らえないと言う奴か。
もっとも、コータくんにとっては二十六週間の単独航行で誰にも邪魔されずにスーファミRPGを堪能し尽くした充実した旅路だったらしいし、長期航行手当もついて美味しい仕事らしい。
そもそもが火星単独航行なんて誰もやりたがらない仕事だ。長い。やる事いっぱいある。暇だ。すべての責任がのしかかる。下手したら死ぬ。淋しい。
そしてそれは帰りを待つ家族も同じ事。無事に還ってくるまで同じスーファミRPGをプレイして旅の安全を祈るのだ。
「コータくんは二十時間後ベイドックに着船し、荷渡し、引き継ぎを済ませ、メディカルチェックを受けて三十二時間後に私達のうちに還ってきまーす!」
サクラコが声高々に宣言する。
「イエーッ!」
あたしもそれに乗っておく。
「と言う訳で、私達は三十二時間以内に、この部屋を完璧な状態まで整理整頓しなければなりません!」
「ええーっ!」
あたし一人でブーイング。
二十六週間にも及ぶ女だらけのゲーム飲み会場と化した月面高級多層マンションは、見事に生活感と言う奴をこれでもかとばら撒いた、庶民がひどく自堕落に暮らした痕跡まみれになっていた。
キッチン周りは、本来なら壁収納で食器やカトラリー類は目の届かない所に静かに眠ってるはずなのが、どうせすぐ使うからとシンク周辺に雑多に積み重ねられている。食器洗い機から直に取りだされて冷凍食品を解凍して食器洗い機に直行するお皿も珍しくない。
壁掛けテレビ周辺には古今東西ありとあらゆる据置ゲームハード(さすがに本物ではなくライセンス販売や認証エミュ機だけど)がカーペットに直置きされて、電源コードや有線コントローラが見事に絡まる事なく美しい紋様を描いている。月面の低重力下ではイヤホンなどコードの絡まり係数が著しく低くなると論文書けそうだ。イグ・ノーベル賞狙ってみるか。
リビングをぐるっと囲うようなソファもクッションが落ち物パズルゲームで連鎖消しに失敗したかのごとくに色形の法則性もなく積み重ねられ、そもそも人がすっぽり座れるスペースもなくソファではなく背もたれと化している。気が付けばクッションの山は洗濯物の峰々に取って代わり、どうせすぐ着るし、とクローゼットに仕舞われる事なくその衣服の山から切り崩していくざまだ。
幸いにも資源リサイクルゴミはマンションの共有スペースに回収ボックスが常設されているので、週一回のゴミ出し当番をゲームのスコアアタックで決めればいいだけだった。
少々のホコリゴミは空気清浄機でカバー出来るし。知ってる? 月面の低重力下では男性の抜け毛が減少する傾向にあるんだって。毛髪に悩みを抱えてる人は月へおいでよ。てくらいにチリゴミは少ない。掃除機も思い出した時にかけるくらいがちょうどいい。
そうして二十六週間の時を経て、ルピンデルさんやミナミナさんが非番の度に泊まりがけで遊びに来るこの部屋は、あたしとサクラコにとって最高に居心地のいい空間へと成長を遂げたが、それは一般的美意識からすればすっごく散らかった物置と呼ばれるに相応しい部屋だ。
ソルバルウ号の居住スペースも似たようなものだが、コータくんはコクピットや貨物区はきちんと整理整頓された空間を維持していてとても仕事しやすい環境を保っている。それに比べて、半年ぶりに我が家に帰ってみたらこんな有様だったなんて、これではさすがにコータくんに申し訳ない。
しかしながら、いったん落ち着いて現状を理解してしまったのか、サクラコは不安気に視線をさまよわせて黙り込んでしまった。そりゃそうだ。あたしだってどこから手を付けたらいいか皆目見当もつかない。そんな棒立ちのサクラコに言ってやる。
「でもでもー、あたし達にはヴィー子と言う強い味方がいまーす!」
サクラコの身体3Dデータを完璧にモデリングしたメイド型アンドロイド、メイドロイドのヴィー子がいるじゃないか。掃除なんてまさにメイドのお仕事。
「……それがね」
サクラコのリアクションはあたしの予想と違った。はあっと軽くため息をついて、サクラコは乱雑に置かれた据置ゲーム機達の前にぺたんと座る。
「アンドロイドと人との決定的な違いがあるの。制御プログラム開発者の間では、絶対的越えられない壁って呼ばれてる問題」
「何か大袈裟っぽいね」
あたしもサクラコの隣に座って、とりあえず話を聞いてやる。
「シンプルな問題よ。アンドロイドに美学はない」
「美学?」
これはまた珍妙な学説を打ち上げてくれちゃってまあ。
「ブリギッテは美学って何だと思う?」
サクラコはとりあえず一番手前にあったPC-エンジンCD-ROMをつつっと手で押して、横に寝かせている三段カラーボックスへ押しやった。我が家ではこの横に寝かせたカラーボックスがゲームハード収納箱となっている。
「美学ねえ。いかにして生きていかにして死ぬかってこと」
「ずいぶんやさぐれた十三歳の言葉だな、おい」
「そりゃどうも。じゃあさ、サクラコにとって美学って何さ」
そっくりそのまま返してやる。
「ヒトがどこに美しさを感じ、それを追い求めるかが、そのヒトの美学よ」
「人それぞれって言ってるように聞こえるよ」
「そうとも言う」
それはずるい答えだ。そういいかけたが、サクラコはまだ続きを言いたそうだった。サクラコの細い腕が初代XBOXの黒くて男らしいフォルムの機体を持ち上げて、カラーボックスの別の段に仕舞う。
「じゃあアンドロイドにもそれぞれ美学があるのか。答えは、なし。言語だろうと情態だろうと、制御プログラムの領域は決して飛び越えられないの」
まあ、それはそうだろうけど。アンドロイドがそう簡単にヒトの思惑を越えてしまっては困る。ロボットの叛乱に直結する。
「アンドロイドは美しさを感じない。それが結論よ」
サクラコは言い切った。薄い胸を張って、手にはゲームキューブ本体を持って。そのオレンジ色の立方体を初代XBOXの上にちょこんと置く。
「確かに、それはロボット工学においての重要なテーゼの一つとは思うけど、それが部屋の掃除とどう関係するの?」
「すなわち、ロボットに整理整頓は出来ない作業なの。例えば、テトリスみたいに隙間を埋めるプログラムを書いたとして……」
サクラコはそう続けながら、ゲームキューブの本体に接続するはずのゲームボーイプレイヤーをゲームキューブの上に置いた。
「……プログラム通りに隙間を数ミリ単位で埋め尽くす整理整頓を見せるよ。ロボットだもん。それくらいは出来る。でも、そこから先の領域、美しく整理しろってコマンドはロボットには理解出来ないの。美学がないから」
いや、何となく違う気がする。ロボットに関してはサクラコが言ってる事は全体的に正しい。けれど、サクラコの手先と言うか、カラーボックスの中身と言うか、ゲームハード達の並び方があまりにアレではないかな。
「ロボットに美しい絵を描かせるとするじゃない?」
サクラコが次に手にしたのはWii本体だ。細く縦置きが可能なそれを、彼女はPC-エンジンCD-ROMの上に横に置いた。
「正確無比に模写しそうね」
「そう。風景画を描かせれば、それはまさに写真のように正確に描きあげる事が出来る。でもそれははたして芸術か。答えはニェットよ」
たぶんロシア語だろうけど、ニェットってヤー、ナインどっちよ。
「ロボットが絵を描く事は、デジカメで撮ったデータをプリントアウトするのと同義なの」
「うん、一理ある」
「視覚の光学的情報を数値化して指と言うインターフェイスで出力するだけ。そこに美しさを求めると言う美学はない。言ってしまえば、人間もおんなじだけどね」
ずいぶん哲学的な話になってきちゃったけど。そんなメランコリックなサクラコはメガドライブにマスターシステムを乗っけようとしてる。違う違う。乗せるの違うよ。
「でもそれが整理整頓とどう関係してくるの?」
三年間一緒に暮らして、今初めて気が付いた。サクラコは絶対的に片付けが出来ないタイプの人間だ。このゲームハード達の片付けようを見れば一目瞭然だ。
「説明よりも実践がいいかもね。ヴィー子! こっちにおいでー!」
サクラコは寝室で待機モードになっているはずのヴィー子を呼んだ。
「ゲームは、コラムスでいいかな?」
たった今片付けたメガドライブ本体をカラーボックスからずるっと引きずり出す。おかげで上に乗っていたマスターシステムがさながら落ちものパズルゲームのようにごとっと下に落ちて、カラーボックス内は整理整頓と言う言葉から最もかけ離れた空間となっていった。ほら、片付けられない人間の典型的行動パターンだ。
「何するのさ」
「ヴィー子と対戦コラムスしよ。アンドロイドに美学がないと実感出来るから」
それはいいけど、あたし達って今お掃除中じゃなかったっけ? こんなんじゃ三十二時間後もゲームしてそうだ。あたしが何とかしなくては。
「いいよ。ちょっとだけ条件があるけど」
「何よ」
「対戦コラムスで、負けた方が部屋の掃除をする事。ヤー?」
サクラコはニヤリと笑った。
「ダー」