第四十五話 ご主人様は…
今日の夕食や日用品を自宅兼職場であるラーンバティー邸に運び終えサロンで一息つく。扉には鍵が掛かっていたしまだ誰も帰ってきてはいないらしい。確かに今はお昼と夕方の中間くらいなのでリオンもアリシアも学校だし
奥様は職場から……いつ出てくるのかしら?
私のご主人様であるテミス・ド・ラーンバティ様は王宮図書館の司書長を務めているとかで殆ど王宮図書館に篭りきりで一応睡眠をとるために何時間かは帰ってこられるのだけど深夜にいつの間にか帰ってきて早朝にはいなくなっているのだからなかなか会うのが難しい。
しかも当然待女であるなら主人の帰りまで万全の態勢で起きているのが当然なのにここで働く際に『私の生活リズムに巻き込むのはちょっと可哀想だし、リオン君とアリシアちゃんだっているんだから別に合わせなくていいわよ』と気遣ってくれた。
およそ1年とちょっと前、私達はリオンとアリシアから聞いたあの英雄プロトゴノス様が情報を届けるように頼んだ住所、王都の城下町6番街……正式には王都第四地区6番街のテミスなる人物を訪ねてやってきた。まさか英雄とまで面識があったとは…リオンから初めて聞いたときはびっくりしてしまった。本当にアサギさんは凄いのか…そうでないのか…よく分からない。
それはともかく、私たちの目の前には巨大な豪邸。表札には城下6番街との表記。あれ?報告っていうから王宮の軍事施設とかではなかったのかしら?でも住所はここで間違いないみたいだしと玄関のベルを鳴らしてみたのだけれど誰も出てこない…。こういう屋敷って主人不在なら分かるけど従者は何人か居るはずなんだけどなぁ…?
「あら?可愛らしいお客様ね。家になにかご用かしら?」
それからどれだけ待ったことだろうか?既に日が傾きかけて親子3人茫然としていると、現れたのは黄金の髪を流し真っ赤なローブに身を包んだ美しい令嬢。
「あの…私達ここに住んでおられるテミスさんに会いに来たのですが…家ということはもしかして…?」
「ええ、私がこの屋敷の主テミス・ド・ラーンバティよ。それでどんなご用かしら?」
「……なるほど、そういうことね。あの人の旧名を知っているということはその情報は確かなのでしょうね。分かりましたその情報は王宮の方へ上げておくわ」
邸宅のサロンへ案内された私達は紅茶を淹れてもらってまずプロトゴノス様が言われていたアーロンの名前を出してからダークネス・ドラゴンを白の国が召喚、操っていたこと。魔物召喚に白の国が関わっていることなどを話した。
「それにしてもまさか言伝だとはねぇ…しかもあんな悲惨な戦争があったべラストニアから……。辛かったでしょう?それにあの人もあの人よ!こんな女の子に言伝を押し付けて、しかも私を残して自分だけ戦死しようだなんて!せめて5人子供を産ませてから死になさい」
テミスさんはプロトゴノス様の奥様だけど当然英雄はあらゆる場所へ飛んでいくからなかなか会うことが出来ないようだ。しかも黒い笑顔で
「せめて一人でも、男の子が出来ればあの人亡き後その子と結婚すればいいのよ!そうよ!そもそもあの人は何時もお母様のことばっかり尊敬して!
いっそ自分の息子にこの私を寝取られてしまえばいいんだわ!」と、とんでもない発言をしていた所を見ると相当気を病んでしまっているようだ…。
「最初ね、家の前に銀髪で可愛い女の子と子供二人が居たからちょっとびっくりしたの。あの人がついに不義を働いて出来た子供なんじゃないかって、それで家督を分けろって来たんじゃないかって心配しちゃった。ごめんね?…でも私の旦那様には少し届かないけどリオン君もかなりの美形だしアリシアちゃんなんてまるでお姫様みたいにとっても綺麗じゃない。これは将来修羅場になるんじゃないかしら?」
……ごめんなさい。もう母親の段階で修羅場に突入しています…。
「そういえばべラストニアから身の着のままで逃げてここまで来たのでしょう?そうね……貴女さえ良ければなのだけど、この屋敷で私の従者をやってもらえないかしら?多分まだ新しい家も決まってないでしょう?住み込みでいいから」
「従者、ですか…?一応昔メイドだったので経験はありますが……よろしいのですか?自分で言うのも何ですが素性もあまり知れない者をお屋敷に入れるというのは危険なのでは?」
確かにこんなお屋敷で働かせて頂いて、しかも住み込みとなると王都に着いたばかりでこれからどうやって生活していくのか迷っていた私達にとってはこれほど有難い話は無いのだけど。基本貴族の従者はその家に連なるものか真に信頼されるものでなければまず雇われない。
私は…エンディミオン様に孤児院から引き取られる形でメイドになった特殊なケースだけどセリアメイド長からそんなことを聞いたことがあった。
「いいのよいいのよ。どうせ今は権力争いで下手に貴族の家とか味方だと思っている家から従者取ったら実は敵派閥の間者だったとか殆どだし、それにプロトゴノス(あの人)が自分の旧名まで語った人なんですもの。信用には十分値するわ。それにいい加減こう家が荒れ放題だと何かと…特にお母様が五月蠅くてね~」
どうやら風の国の貴族の間でも色々と派閥争いが勃発して大変なようだ。確かにそういった状況だと部外者の方が敵派閥と接触がないからまだ安心といったところなのかな?
「……それでは…雇っていただいてよろしいでしょうか?」
「ええ、これからよろしくね。あ、まだ正式な自己紹介がまだだったわね?」
「す、すみません。私はソフィア。ソフィア・リーシェライトです。もう名乗りましたが息子はリオン、娘はアリシアです」
「ではこちらも。私はテミス・ド・ラーンバティ……というのは偽名で本名はテミス・ル・ウィンディーネ。役職は風の国第三王女で王宮図書館司書長を務めております。これからよろしくね?ソフィアちゃん」
「………え?」
こうしてまさかの風の国第三王女様が私のご主人様になってしまった………。
「――――――んっ……」
ふと、肩に掛かる柔らかい重みに目を覚ました。
「やだ、私寝ちゃっていたんだ…あれ毛布?」
「ごめんね、気持ちよさそうに眠っていたから毛布掛けてあげようと思ったのだけど起こしちゃったみたいね」
未だ寝ぼけて霞む私の目の前には美しく流れる黄金の髪と柔らかな微笑顔が……奥様の姿があった。
「あぁ別に起きなくていいから、屋敷の手入れも終わっているし夕飯もどうやら氷ちゃんがやってくれたみたいだし」
キッチンに目を向けると可愛らしい歌を歌いながら氷ちゃんが野菜を切っている。ありがとう氷ちゃん。
「そういえば今日は姫ちゃんなのね。お庭にスターチス植えたでしょう?姫ちゃんらしくてとても可愛らしかったわ」
そう言い残すと奥様は書斎へ篭もってしまった。多分午前中に私が分けたあの量の書類をこれから捌くのでしょう…。奥様は私とアサギさんの両方の存在を知っている。どうやら二重人格として認識しているため私を姫ちゃん、アサギさんを助手ちゃんと呼んで分けている。二重人格(厳密には違うけど…)がバレてしまった日も私達二人と対話して特によく聞く猟奇的な性格になったり自分に危害を加えるようなそれではないし、私は大人しいけどメイドの仕事が完璧、アサギさんはメイドの仕事はイマイチだけどやたら元気で愉快な気分になると『一人で二人分の気分を味わえる。こんなのも面白そうじゃない』と認めてくれたのだ。
「ただいまぁー!お腹減ったよお母さん」
「ただいま!これは……シチューの匂いだ!あ、氷ちゃんが作ってくれたんだ!」
元気のいい子供たちの声が玄関から響いてくる。これは久々にお屋敷の全員が食卓に着くことになりそうね。今日はちょっと奮発して私も二三品作ろうかしら?そんなことを考えながら私もキッチンに向かう今日この日。
補足:テミスさんはべラストニア戦争前からプロトゴノスと会っていないためソフィアについてやさらには図書館から殆ど出て来なくて世間に疎いのでエンディミオンについても知りません。




