第三十八話 エルフの魔法
精霊を召喚したリリアさんは先ほどまでの少~し緩くなった空気を打ち払うかのようにレイピアを一振り、二振りすると切っ先を魔物に向けて鋭い眼光で睨みつけた。
「さて、遅れましたが散々人の体をいいようにしたお礼を返しませんと」
聖霊を従えながら魔物の方へゆっくりとした歩調で向かう。対して魔物は驚いた表情から一転、憮然とした様な表情で見下すかの如く背中の竜巻をリリアに向ける。
「あれだけ吸収してまだ聖霊が召喚出来るだけの魔力が残っていたのには驚いたが、聖霊の欠片しか使役出来ぬエルフの力などたかが知れる。小娘が調子に乗るなよ、
今すぐ叩き潰して我の完全なる復活のため、魔力の糧としてやろう。」
流石は歴戦の魔物、プレッシャーも言葉の迫力も違う。そのただでさえ震え上がるような地に響く声だけで戦意を喪失している冒険者たちだったが、気がつけば魔物の凄みにやられて次々に膝を折っていた。
今この場で立ち上がっているのはリリアさん、ダゴナス始め上級ランカーの一握り、及び腰だけどなんとか私、そしてリオンとアリシア。…リオンとアリシア!?
「ねーお兄ちゃん、あの魔物の言い回しとか話し方って暴走した時のお母さんそっくりだね」
「多分あれがチュウニビョウっていうのじゃないかな?母さんも邪気眼がどうとか言ってたし」
…原因は俺かよ。確かに我とか調子に乗るなよとか強靭無敵最強とかって言われたらどこをどうとってもただの痛い子だよね。…いや、そもそも原産は向こうだったか。
そんな余計な思案をしている間も睨み合うリリアさんと魔物。そして一枚の葉が両者の間を横切った瞬間、天に轟くような音を発しながら魔物はその背に生える竜巻を放出し、リリアさんは…消えた!?
「なにぃ!?また小賢しい魔法を使ったか!どこだ小娘!」
魔物も突如姿を消したリリアさんに戸惑い放出寸前だった竜巻を収めて先のレイピアによる高速斬撃から警戒したのか周囲に風の刃を展開するような結界を張って踏み込めないようにする。
どうやら魔物の方も口では取るに足らんとか言っておきながら警戒強く本気になっているようで、風の刃の威力は強力。その余波だけで周囲にいた冒険者達を次々に吹き飛ばして私もリオンとアリシアに覆いかぶさって必死に暴風をやりすごす。
「くはははは!これならば貴様のその珍妙な技も届くまいて!分かったらいい加減諦めて姿を現し我の糧となれ!!…もしや既に我の強大な風の力で死んでしまったか?ふ、あっけな―――」
得意げに笑い声を上げていた魔物だったが突如その声は止まる。視線は上空、そこには一閃の煌く流れ星の姿があった。
「確かに、そちらの方が絶対的な魔力は上のようですが――――」
それは流れ星ではなく氷の精霊がその周囲を飛び回りクリスタルのような結晶を降り注がせ、刀身をみるみるうちに水色へと変色させたレイピアを煌かせながら旋風のようなスピードで魔物の巨体のさらに上空から冷気を纏ったレイピアを抱えるような独特の構えで一気に降下するリリアさんの姿。
重撃、氷月雷斬――――
一体どんな魔法を使ったのか、けたたましい金きり音とピキピキというクラックのような音を響かせながらレイピアは魔物の肉体に食い込み、そのまま豆腐のように抵抗なくその体を両断した。いや、それだけじゃない。
青い閃光と共に繰り出された一撃は黒き竜巻ごと魔物の肩口から腿までをバッサリと両断しただけでなく、その後に降るはずの血の雨は何故か魔物の切り口から噴出する瞬間に固まってしまい、まるで奇怪なオブジェクトのような突起を多数生み出した。
「グァァァァアアアアアアアアアアアア!!!!」
「魔力の大きさだけで驕っているようでは私の戦場では10秒もしない内に始末されるでしょうね」
魔物の血を振り払いながら語るリリアさん。先ほどの一撃、何故風の結界による究極の防御にに囲まれた魔物を一撃も受けることなく無事に両断できたのだろうか?と疑問が沸いてきたが、よく見れば魔物は結界の風の刃を確かに周囲には展開していたが上…性格には魔物自身の周囲に竜巻を発生させるような形の結界だったがために丁度頭上には結界の効果が及んでいなかったのだ。
だが、いくら頭上に効果が及んでいなかったといってもそれはほんの直径1mも無いほどの狭い範囲であり、仮にあの結界の弱点を見抜いたものがいたとしてもその小さな隙間に入り込んで攻撃出来るものなどあの娘以外いないだろう。
なにしろその隙間の外は風の刃が荒れ狂う結界空間であり少しでも、体の一部でもそこに入り込んでしまえば全身が引きずり込まれてズタズタに引き裂かれてしまう。だがそれをこの少女はさも当然のようにやってのけてしまった。
だからなのか初級冒険者や中級冒険者だけでなく上級冒険者、果てはギルドマスターのダゴナスすら目を見開き口を空けて唖然としていた。か弱いエルフのそれも少女にも関わらず魔法によるごり押しではなく純粋な体術だけでそれだけのことをやってのけたことに。
「…今度はその醜くて不細工な顔を両断して差し上げましょうか?それとも頭ごと真っ二つのほうが好みで?」
レイピアを軽く回してながら刃に滴る血と氷の精霊の残存冷気を払うようにして、二の腕に担ぎ不適な表情で魔物を見るリリアさん。対して魔物は牙をギリギリと鳴らしながら呻るような声を上げて背中の竜巻をより強めていく。
「ぐ……ぐぐぐぐぐ!!舐めるな小娘の分際が!今度こそ終わりだ!はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
魔物はその手を突き出すと、掌から漆黒の濁流が放出さた。悪魔の遠吠えを天に響かせ、坂から流れ落ちる水のようにそれはリリアさんを飲み込もうと迫る。
それを見据えてリリアもレイピアを肩から外して片手で構え、昨日のイノシシの魔物討伐の際に見せた片手でレイピアを突き出し、もう片方は照準機のようにする独特の突きの構えで迎え撃つ。
――――秘伝・緋燕突
濁流は一瞬にしてモーゼの海割りのように二つへ割れてまるで神聖な存在に道を譲るかのように魔物への道を作り出す。その道をリリアさんはゆっくりとした足取りで進み余程自信があった攻撃が破られたからであろう呆然としていた魔物の前までたどり着くと、羽のように飛び上がりその漆黒で邪悪な顔面を一閃の元に切り裂いた。
「――――――――――――――――――――!?」
痛みによりようやく正気に戻った魔物は今度はその顔を切られた痛みでもがき苦しむ。しかも顔の位置は見事に上下でズレている。
「チクショォォォォォォ!!フザケルナァァァ!!フザケルナァァァァァ!!この我が!このコルテュスが下等な人間やエルフごときにここまでコケにされるだと!?」
まるで魔物の絶叫に答えるかのように空は黒く染まり風は不気味な咆哮を上げ、常時吹き荒れる風もその強さを増してとてもじゃないが普通に立っていられないほどまでの強さへと変わった。
それに伴って魔物の背中の竜巻も心なしか太く大きくなっているような気がする。魔物は未だリリアさんから受けた傷も再生していない真っ二つの状態で態勢を強引に立て直して背中の翼からツイスターのような暴風を巻き起こしてあらゆる物を吹き飛ばそうとする。完全に乱心していた。
対してリリアはそれを詮無いことのように冷静にレイピアを構えて止めを刺そうとする。
そんな時だった、状況が大きく変わってしまったのは。
「ぁ…ああ…もうおしまいよ!何であの魔物がこんなに村の近くにいるのよ!」
「風が、怖いかぜが来るよぉ!ママー!!」
「おい押すなよ!俺だって死にたくないんだ!!」
「―――――な!?何故村に避難していた者たちがこんな所に!?」
微かに遠方のほうから聞こえてきていたざわめきが途端に大きくなって振り向けばそこには魔物出現から避難していたはずの初級冒険者や婦女子が何故か魔物との戦場であるこの平原にまで逃げてきていた。ギルドマスターのダゴナスは信じられない表情で近くにいた初級ランカーをひっ捕まえて事情を聞きだす。
「黒い壁が…猛風の壁が時間が経つに連れてこちらに向かってきて…もう村の半分以上を飲み込んでしまって…しかもあの壁まだ止まる気配が無くて…」
息を切らす初級ランカーの指し示す先には遠目で見え辛いがおよそ20軒以上あった建物をたった5軒残してその他の全てを飲み込んでしまった黒い壁があった。
しかも心なしか黒い壁が最初に見たときより高く見えることから恐らく壁が徐々に迫ってきて狭くなっているというのは本当なのだろう。そもそもそうでなければ魔物に怯え、村に避難した人たちがわざわざ危険なこの場に来ること自体がおかしい。
「く……くくくく……くくくくくくく!!これは幸い!」
避難してきた村人を見た魔物は突如口元を吊り上げて不気味な気配を漂わせ、それをいち早く察知したリリアさんは即座にマントを翻して腰のベルトにあるものを取り出そうとする。そして次の瞬間、避難してきた村人、初級冒険者、突然の事態に唖然としながらも武器を構えていた上級冒険者、ギルドマスターのダゴナス、そしてソフィア、リオン、アリシア、レイピアにて魔物に止めを刺すタイミングを逃してしまったリリアさん、その場の全員に猛烈な衝撃が襲い掛かった。
――――――キィィィィィィィィ
不気味な音を走らせながら衝撃は草を薙ぎ、木をへし折り、岩を転がし、地を抉る。その光景に場の全員は逃げるどころか動くことも、瞬きすることも、そしてあまりに早い攻撃と信じられない光景に反応することすら出来なかった。
「――――っ!!行きなさい風の精霊!風円結界!!」
咄嗟に精霊石を投げてリリアが張ったと思われる薄緑色の結界によって全員に襲い掛かった衝撃は緩まり誰一人空へと放り出されることは無かったが結界はたった一度の攻撃を防いだだけでガラスが割れるような音を残して跡形も無く粉砕されてしまった。
しかし魔物が放った衝撃が完全に伝わる寸前のところで張り出されたためか、誰一人大きな怪我人を出すことなく凌ぎきることが出来た。これでもし結界による緩衝がなければ全員跡形も無く吹き飛んでいたことだろう。だが、それでもたった一度の攻撃で強力なエルフの魔力結界を粉砕した魔物の衝撃波は脅威に値し、村人も冒険者も恐怖で足を震わせながら静かに後退する。
幸いなのは皆並でない恐怖に支配されているせいでパニックを起こすことが出来ないところだろうか。
「う~ん…単純威力ならダークネス・ドラゴンのほうが怖かったなぁ」
「そうだね。だってあれ黒い炎で焼かれたら建物だって灰になっちゃうもんね」
私も…やたら反応のイマイチなリオンとアリシアの手を引いて魔物からジリジリと距離を取る。というか正気なら早いとこ走って逃げなさいよ……。
衝撃で巻き上がった砂煙で魔物の方は私達が存命なのには気づいていないようだ。そうなると今のうちにここから離れて少なくとも子供たちだけでも安全な岩の影に避難させるべきだろうと判断して我先に…といいたい所だが既に村人たちは駆け足で戦場から離れだしているので魔物の動きに注意しながら後方へ歩みを進めたそんな時だった。
ねっとりと粘りつくような、だがしかし万力に挟まれたかのような痛い程の力で肩をガッシリと掴まれて後方へ私の体が放り出されたのは。
「ようやく捕まえた。僕のソフィア」
まるで流れるような景色を唖然と眺めながら後方へと倒れる私の目の前には醜く顔を歪ませ狂気的な笑顔のスニーティがいた。




