閑話2 変わらない誓い
ジルド視点
注意!残酷表現及び強姦表現あり!苦手な方は閲覧をお控え下さい。
まだ日が山から完全に出てきていない頃屋敷から外へでると冷たい空気が一気に私の体を襲う。だが、そんなことを気にしていては仕事に集中できないので体は寒いけど心の中は暖かいと思い込んで早速倉庫から庭の整備用具と掃除道具を運び、この数年で身に付けた庭師として、そしてこの御屋敷の執事として身に付けた技術と感性で庭を美しく整備して行く。
まだ私以外誰も居ないこの広大な庭には枝鋏で庭木を斬る音だけが寂しく響いていた。
「おはようジルド。朝から精が出ますね」
枝鋏の音だけが響く庭の静寂は鈴のような音色の少女の声…いや、御嬢様の声で破られる。
「お、おおお御嬢様っ!?お、おおおはようございますすす!」
月の様な銀色の髪に朝日のような優しい笑み、どこか神秘的なイメージを沸騰させる灰色の瞳が特徴的なこの屋敷の主であるセシリア・リーシェライト様が庭木を切る私の姿を興味深そうに眺める。それに対して私はたじろいてあせってしまい盛大に朝の御挨拶を噛んでしまった。
この屋敷に執事の一員としてやってきたその日から私はどうしてもセシリア様を前にすると緊張して上がってしまうのだ。思考が上手く回らず口も痺れた感じになって顔が熱くなって…
「…?ジルド、顔が赤くなっていない?もしかして熱でもあるのかしら」
そのままこちらに向かってくるお嬢様。ふいに風が吹きお嬢様のスカートがめくれ上がって…
「ジルド!?ねぇジルド!?どうしたの…!?フラフラして!あ、あぶない……!!」
脚立から落ちたことの浮遊感と鈍くも鋭い衝撃の痛みとともに私の意識は闇に飲み込まれた。
「まったく……ジルドはちょっと焦りすぎよ。ただ女の子のスカートの中を見ただけで慌てるなんて」
「申しわけありませんでした……御嬢様…」
私は脚立から盛大に落ちて頭を打ってしまい、結局御嬢様に医務室まで連れて行ってもらうという大失態を犯してしまった。でもあまり丈の長くないスカートを穿いて外に出られる御嬢様もどうかと思う。どうせそう切り返すと「だって動きにくいじゃない」と返すのであろうが…
「そういえばお庭で育てていたあの白い花ってどういう名前?」
白い花?庭の情景を思い返して探ってみる。そういえば3日前だったか近隣の町まで食材を買いにいった時に見つけて丁度鉢植えになりそうなものがあったから試しに庭先に植えてみたのだがたった1つだけの花によく気がつくものだ。
でもあの花の名前なんて知らないしそもそも試しで採ってきたのでどんな育て方をすればよいのかも全く不明。
「今度調べておきましょう。それよりも御嬢様、本日はお客様がお見えになられる日では…」
途端無表情になって見る見るうちに顔の色が青くなる御嬢様。
「まあ!わ、忘れていました!!ジルド、急いでドレスとお迎えする準備を!」
「承知しましたがあんまり慌てられると―――」
私の言葉も終わらぬ内にバターンという音と共に御嬢様の顔が地面に押し付けられた。
「転び……大丈夫ですか?というか御嬢様も人のこと言えないじゃないですか」
「う……うぅ…うぇ~~~ん!いたいよぉ~~~」
仕舞内には泣き出してしまった。もういいお年頃だというのにこの方は根っこのところはいつまでも子供だから困る。泣きじゃくる御嬢様の背中を優しく撫でてそっと抱きしめているとやがて御嬢様は泣き止んだ。これもいったいいつまで続いているのだろうか?
「ほら、とりあえずお顔をお見せ下さい……傷は無いようですね。念のため消毒だけでもしておきましょう」
「消毒って……あの痛い塗り薬?やだー!痛いのやだ!そ、そうです!今はお客様への準備の方が最優先!私の治療は後にしましょうそうしましょう」
喚きながら治療を拒もうとする御嬢様を上手いこと押さえ込んで消毒液で塗らした布を軽く押し付けると傷に薬が染み込んだのか御嬢様はビクッとしながら顔をしかめて目に涙を溜めて耐えている。
……正直その姿がとても扇情的で酷くいけないことをしているような感じがして顔に熱が溜まっていく様な感覚がする。
「……よし、終わりましたよ御嬢様。それでは来客の仕度を致しますので御嬢様はお着替えの方をお願いします」
指を鳴らして部屋の外に待機しているメイドを呼んでドレスの着付けを申し付ける。そして私は客室の整理とお茶の準備に向かおうと一礼して退出しようとすると御嬢様が「また後でね!ジルド」と笑顔で手を振って見送った。それを軽く受け流して部屋を出た私は今までの疲れと恥ずかしさが一気に押し寄せてきてへたり込んでしまったのは秘密だ。
「何を惚けているのだジルド!貴様それでも誇り高きリーシェライトの執事か!」
廊下から飛んできた叱咤にビクリとそちらを見ると甲冑に剣を帯刀した男が一人、騎士のクラウスが私を睨みつけながら叫ぶ。
「貴様……いくら御嬢様のお気に入りだからといって弛みすぎだぞジルド!そこに直れ!この私が鍛えなおしてくれよう」
「はぁ……またか。そう言っておいてお前はいつになったら私に勝てるのだ?」
クラウスは御嬢様直属の執事である私が気に入らないのかこうやってちょくちょく決闘を挑んでくる。まぁ大抵は…
――――キィィィィィン
「出直して来い」
私の圧勝なのだが。
「く…くそぉぉぉ!覚えてろ、私は絶対いつか貴様より強くなって貴様をボロボロのケチョンケチョンに―――」
「こらぁぁぁぁ!クラウス!こんなとこで何をサボっとるかぁぁーーーーー!!」
と、そのまま騎士団長に引きずられて行くクラウス。……と、私も早くお客様をお迎えする準備をしなければいけなかったのだった!!私のサーベルとうっかりクラウスが弾き飛ばされてから気が付かなかったのか置きっ放しにしているサーベルを速やかに片付けて、執事服を整え、私は私の戦場に向かった。
季節が廻り、冬が来た。私はいつものように町へ食材を買いに来ている。今日は朝から天気が悪く雪でも降るだろうかと思っていたら案の定町へ到着した時にはシンシンと雪が降っていた。一応防寒着や御嬢様が作ってくださったマフラーをしているから問題は無いがあまり遅くなると雪が積もって帰り道が大変なので速やかに市場へ向かい小麦や果物、魚や干し肉を購入して行く。
丁度正午を告げる時計塔の鐘がなる頃全ての買い物が終わったがとてもいい買い物が出来た。特に肉が交渉に交渉の末肉屋の店主からいつもより品質の良い肉を買うことが出来たのだ。いつもは御嬢様の食事はシェフに任せているが昨日『久々にジルドの作ったご飯が食べたいです……作ってくれませんか?』と小首を傾げて言われてしまったのだから断れるはずもなく承諾してしまったから今日は私が作ってみるか。この材料なら軽く肉と野菜をソテーにしてジルド特性スープと小麦を麺状にして茹でたものを絡めたあの料理にするのも悪くない。
そうして今晩のレシピと御嬢様の美味しく食べる顔を思い描きながら歩を進めていたら足に何かの衝撃を感じて少しよろけてしまう。
「おっととと!?こんな所に箱?誰かの積荷の落し物だろうか」
箱は酷く簡素な作りで少なくとも商品を運ぶには向いていないような木箱。少し気にはなったが別に中身に果物があろうと自分は貧乏人ではないから落し物を拾って食べるなどリーシェライトに使えるものとして恥もいいところだし品質も保証されていないような得体の知れないものを主の食卓や使用人の賄いに出すわけにも行かない。ということで箱は特に気にせず無視することにした。
……それを聞くまでは。
「……ぁぁ…ぅ…おぎゃぁぁ……ぉぎゃぁ……」
「………これは……」
「……ということでして、勘違いさせてしまう様な行いをしてしまい申しわけありません御嬢様…」
「…っなんですか!それならそうと早く言いなさいバカジルド!てっきり貴方の隠し子だと思いましたよ!」
ベットで毛布に包まれた赤子を挟んで御嬢様に涙目で叱られた。屋敷に着いて私の片腕に抱かれた赤子を見た御嬢様は文字通り石のように固まってしまって赤子をベットに運び終えると普段からは考えられないような力で掴まれて廊下に放り出され、凄まじい剣幕で問い正し、もとい尋問を受けて今に至る。どうやら御嬢様はあの赤子を私の隠し子で不貞相手に逃げられたからこの屋敷に連れてきたと思ったようだ。
…どうでもいいことだが私は未婚だから不貞にはならないと思う。
私が躓いた木箱の中を伺うと中には生後数日と思われる赤子が入っていて力なく小さな声で鳴いていた。本来は捨て置くのが常識なのだがその時の私はどうかしていたのかつい最近執事長からの修行を完遂させ習得した錬魔術と神聖術で赤子の体力と免疫力を回復させて気がついたら赤子を抱えて屋敷の前まで歩いてきていた。
「申しわけありません、私の勝手な判断で神聖なリーシェライトの屋敷に捨て子など連れてきてしまい…。御嬢様がお望みならばこの赤子は元の場所に戻してまいりますが…」
とはいったもののもし御嬢様がそのような命を出されたのならこっそりと伝手を使ってどこかの孤児院に預けるつもりである。もっとも御嬢様なら答えは既に決まっているようなものだが…。
「返答を知っているくせにジルドは意地悪ですわね。私をこんな可愛らしい赤ちゃんを寒空に放り出す冷酷な女だとでも思って?この赤子は時代の優秀なリーシェライトの従者としてこの屋敷で預かります。ですから教育は任せましたよジルド?貴方が拾ってきたのですから責任は果たしなさい」
御意に、と一礼して赤子を見つめる。確かに拾ってきてしまったのは私だし人の子は犬や猫とは違う。しっかり愛情を注いで教育しなければ下手をすれば将来この家に災いをもたらす者になってしまうかもしれないし、これはこれで拾ったものの責任として一人前の立派な人間にしなければいけない。
「……それにしてもこうして赤ちゃんを囲んで私たち二人がいると…その……夫婦に…な、なんでもないです!」
なんだか御嬢様がブツブツ呟きながら顔を赤くしておられるが風邪なんだろうか?赤子のミルクの準備やおしめの準備もあるから御嬢様の風邪の看病も追加だと今夜はだいぶ大変だがこれもこの子を拾った者の、そして従者としての責任であり義務だ。弱音を吐く前に行動してこなさなければ。
「そういえばこの赤子の名前はあるのですか?その木箱とかに…」
そう問いながら御嬢様は赤子を見て寂しそうな、悲しそうな表情を浮かべる。せっかく産まれた子供がまるで用無しとでもいうように捨てられる現実に悲嘆しているようなそんな表情ですやすや気持ちよさそうに眠る赤子を優しく撫でた。
「名前などは無かったですが……実は私が考えた名前がありまして」
「う~ん…そういえばこの子女の子なのよねぇ……レインボー…パラケルス…ジョニー…う~~ん」
……いや御嬢様、さっきこの子は女の子といわれていたのに何で男の名前しか出てこないのですか!?何だか将来御嬢様がお産みになる次代のリーシェライト様の名前に酷く同情しそうなのですけど。
「この子の名前はリオネッラ……リオネッラにしようと思います!」
「ブラッキー…え?リオネッラ?確かにいい名前ね。でもブラッキーやベストラル何かもよくなくて?」
良くないです御嬢様。申しわけありませんが御嬢様のネーミングセンスは壊滅的ですね…御子が出来たら絶対御嬢様に名前をつけさせないようにしなくては…
こうしてこの屋敷は新しい従者、リオネッラを迎えることとなった。
月日が流れ、春が来た。明日、御嬢様がこの屋敷を出て行くことになるが、別に追い出されたとかそういうわけではない。そもそもこのお屋敷は大主様がセシリア様にとプレゼントした御嬢様の固有財産だから御嬢様が去った後もこの屋敷も私たち使用人も変わらず御嬢様のものだ。だから御嬢様が去った後も私たちはこの屋敷をしっかりと管理しなくては行けない。だが…主のいないこの屋敷は今までのような暖かい感じが残るのだろうか?この屋敷の優しい雰囲気や暖かい感じは御嬢様が…主あってこそ存在したのだ。それがなくなってしまえば……
「ジルド……いるかしら?」
その夜、やや控えめなノックの音とともに御嬢様が部屋に入ってきた。
「お、御嬢様…御用でしたらこのような場所ではなく呼び鈴を頂ければそちらへ伺いましたのに」
「ううん、私が用があるのはジルドだけだったから…少しいいかな?」
このまま呼び止めて立たせるのはまずいと思いすぐに御嬢様を部屋に通して椅子へと誘う。
「ありがとう…あのね、私が明日ここを出て行くことは…知ってるわよね」
「はい。確か隣国の王子と婚約の義を結ぶため王都に向かうのでしたね。御婚約おめでとうございます」
―――嘘だ、こんなことを私は言っているが内心ではめでたいなど欠片も思っていなかった。齢16に成長なされた御嬢様はまさに女神のような美しいお方になられ、太陽のような優しい顔は儚さと清純さを兼ね備えた花のような美しさへ、光をたくさん浴びた灰色の瞳は見るもの全てを魅了する清廉な美しさを持つ瞳へ、月の光を放つ銀色の髪は、夜の月光に照らされた川のような艶を持った髪へ、そして体は少女のものから乙女のものへ変わっていた。そしていつからか気づいてしまったのだ、私が御嬢様に恋情を抱いていることに。
本当なら…立派な執事ならここで心から主人の門出を喜ぶのがあるべき姿なのに私は表層は喜ぶ振りをしておきながら心の中では黒い思いがグルグルと渦巻いている。今この場でこの少女を我が物にすれば…、今ここでこの少女をベットへ押し倒せば…この少女は私の下から離れない、いなくならない……そんな邪な考えがいくら打ち消そうとも脳裏からジワジワと湧き上がり気が狂いそうで仕方なかった。
だが、それも今晩我慢すれば御嬢様はいなくなりこの醜くて自己嫌悪に陥りそうな思いも消えるはず、そう思ってこの数十日耐えていたのだがまさか最後の晩に御嬢様が私の部屋に来るとは…これは不埒な思いを持った私に主がお与えになった罰…いや試練だろうか?
「嘘、本当はおめでとうなんて思っていないくせに……」
だから御嬢様の口からまるで私の心を透視するようなその一言が放たれた時は心臓が止まるかと思った。御嬢様は椅子から立ち上がって静かに私の前まで歩いてくると私の顔に優しく触れて顔を御嬢様の方から外せないように添える。そこには今まで見たことのないほど妖艶な表情を浮かべる御嬢様がそこにはいた。
「そんな寂しそうな…悲しそうな顔しておめでとうなんて言わないで!…私ね、本当はこのお屋敷を出て行きたくない。ここで皆と…ジルドやリオネッラがいるこのお屋敷で静かに暮らしたい!なのに…王都に行ったらもう二度とここには戻れないのよ!いやだよ…ここにいたいよ………」
御嬢様は泣きじゃくりながら私にしがみついて思いのたけを放つ。ここにいるのは既に清廉とした屋敷の主ではなくただの寂しがり屋の少女。
「それに…私本当は隣国の王子なんかと結婚したくない!私は…私が本当に好きなのは……」
そのまま私に顔を近づける御嬢様。御嬢様の目と私の目が合わさって……やめろ…その先を言うな……その先を言われれば…私のこの黒い感情が……やめてくれ…やめてくれ!
「ジルド……貴方が好き。愛している」
年月が流れ、春が来た。今では私はこの屋敷の執事長となり主無き後も管理や手入れを取り仕切っている。そしてこの屋敷の主、セシリア様は隣国の王子と仲良く幸せに過ごしているようで時々手紙を寄こしては王宮の生活はどうとかお庭にこんな花が咲いた等他愛のないことが書きとめられていた。
あの夜、御嬢様がこの屋敷を発たれる最後の夜、結局御嬢様に詰め寄られた私は情けないことに御嬢様を押しのけて逃げ出してしまった。だけど御嬢様は次の日には笑顔で屋敷の皆に挨拶をして王宮からやってきた馬車に乗ってこの屋敷を去っていかれた。
ただ最後に私に一つの命令を残して。
もし、もしあの場で私が御嬢様を押し倒していたらどうなっていたのだろうか?その様なことをすれば隣国の王子にとっては侮辱だろうから逃亡生活を強いられていたかもしれない。小さなアパートメントに私と御嬢様と二人の子供……ふっ…そんな在りもしない妄想に耽っている場合でもないか。今日はいよいよリオネッラの一般教育を始める日だ。周りのメイドからは少し早いのでは?といわれたが簡単な勉学は少しでも早く行った方がいいと私は思う……でも何だかんだで私も親馬鹿になってしまったとは思うが。
「あ、おとーさま。きょうからからおべんきょうをおしえてくださるのですよね?わたしきのうからたのしみにしておりました!」
「ああ。いっぱい勉強して立派なメイドになるんだぞリオネッラ」
頭をワシャワシャ撫でるとリオネッラはとろんとした目になって気持ちよさそうにする。最初は愛情の与え方が分からず戸惑ったりしたけど素直でいい子に育ってくれて本当によかった…いや、これからも愛情深く育てていかなければ。
そういえば御嬢様もついに御子を身篭られたそうだ。お生まれになられたら是非屋敷に来て下さいと手紙を出したが先方の都合もあってか良い返事は来なかった。きっと隣国の王子や王女として一生過ごされリーシェライト家は事実上ここで無くなることになるのだが少しでもリーシェライトの血を継ぐ者にはこの屋敷や血の起源を知っておいて貰いたい。だが私如きがそんなことを言える立場ではないので主無き屋敷としてこのまま朽ちて行くこの家もこれはこれでありなのかも知れない。
まぁ色々心配ではあるが直属の騎士としてクラウスが付いているのだから大丈夫だろう。
奴め出発の日、私にドヤ顔で『これからは私が御嬢様をお守りするのだから貴様の役目はこれで終わったのだ。そら、さっさとリオネッラを連れてどこえなりとも親子として暮らすとよかろう』とか言っていたのだが私は生涯契約でこの屋敷に勤めているのだから辞める訳にはいかないしそうなったらお前の私室も誰が手入れをするというのだ?と言い返してやったら『ぐぬぬぬぬ…』と悔しそうな顔をしていたか。
だがあいつはこの数年間で驚くほど実力を上げた。出発の1ヶ月前なんかランクSの魔物を一人で仕留めたらしいしこれなら御嬢様に仇名す輩に遅れを取ることもないし安心だ。まぁ私には勝てんだろうが。
「ねー、おとーさま!はやくおやしきのおそうじをしておべんきょうをおしえてくれるのでしょう?おそらをみてたらいつまでたってもおわらないですよ?」
おやおや、既に駄目出しをされてしまったか。これはこれで将来が楽しみになる。
「はいはい、それではお掃除頑張りますか」
「えいえいおーー!」
窓の外には御嬢様が気に入っていた白い花、スターチスが何本か咲き誇って庭を美しく色付けていた。
まるで石礫のように吹きつける吹雪の中を全力で馬を走らせる。途中木の枝にぶつかったのか頬から血が流れてヒリヒリするがそんなことを気にしている場合ではない。1秒でも早く、1mでも先へ進むように馬の手綱を握り締めて3m先すらまともに見えない吹雪の道をひたすら駆け抜ける。
知らせを聞いたのは今日の夕方だった。丁度屋敷で働いていたシェフの新しい就職先も決まり今晩の献立を考えながらこの先どうしようか考えていた時、その知らせは来た。隣国でクーデターが発生し王宮が焼け討ちに遭い、そして隣国の王子は暴徒の凶刃に倒れ王妃、すなわちセシリア様の安否は不明。そして隣国は暴徒率いる革命軍が完全に手中に収めた、と。
その知らせを聞いた私は心が反応するより速く体が馬車小屋へと向かい、リオネッラの制止を振り切って吹雪の中へと駆けていた。
「どうか……どうか無事でいて下さい!御嬢様……御嬢様!!」
「御嬢様!セシリア様!!どこにおられるのですか!!返事をして下さい!!」
紅蓮の炎が燃え盛る火の洪水に包まれた宮殿の中、私は喉が切れそうなくらい叫んで御嬢様を呼ぶが帰ってくるのは炎の焼け落ちる音だけ。宮殿はそこにあったと思われるありとあらゆる美術品や工芸品がまるで無理矢理ひっぺがした様な無惨な跡を残して全て消えていた。おそらく略奪されて持っていかれたのだろうか?
ふと、柱の影に人影のようなものを見つけて御嬢様か!?と思い柱をサーベルで斬り飛ばし下敷きになっていた者を救助する。どうやら御嬢様ではなく宮殿に仕えていたメイドのようだが…まだ息がある。
「おい、しっかりするんだ!一体ここで何があった!?御嬢様…セシリア様は無事なのか!?」
「……セシリ…ア…様は……この奥の……待合室に…………か…革命軍が………急に襲ってきて……私…っ」
メイドは粗い息づかいながらも耐え切れなくなってすすり泣きだしてしまった。その衣服が乱暴に引き千切られたような破れ方をして局部が見えてしまっている所を見るとどんな仕打ちを受けたのか察しがつく。メイドに身に付けている上着を着せて錬魔術による結界を張り御嬢様がいるといっていた待合室に向けて障害物となる柱や壁をサーベルで切り裂きながら駆けてゆくと何かが聞こえてくる。
「………ぁぁ…ゃぁ……」
「っ!!」
声の聞こえるほうを耳を研ぎ澄まして探り、そして南方の方だと分かるともう道が無ければ作れば良いと云わんばかりにサーベルで壁を破壊しながら突き進んでそして、3枚目の壁を壊したそこに声の主はいた。
三人の男達に囲まれ乱暴に嬲り陵辱される銀髪の女性―――セシリア様とその腕に必死に抱きかかえられ、小さな声で泣き叫ぶ赤子が。
「なっ!?なんだテメ――」
「ああああああああ!!あぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!きさまぁぁあぁぁぁ!!貴様らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
男の一人が私に反応して振り向く前に激昂に身を任せてその汚らしい顔を両断し首を天井まで刎ね上げる。思考が漂白されるような錯覚に陥るほどだった。ただ自分が憧れ慕った女性を汚らしく汚したこの下種共を殺す。殺してやる。今すぐその体を引き裂き首を刎ねセシリア様を汚すその汚らしい汚物を斬り裂く。それだけが頭に残響の様に響き渡り、正気に戻った時には部屋は三体の首の無いどころか人間の原形すら保っていない死体と地に倒れ伏せるセシリア様、それでもなお強く抱きしめられた赤子だけの空間となった。
「…ジ……ド……?ジル……ド…な…の……?」
衰弱死寸前だった赤子を神聖術でヒーリングし終えたと同時に御嬢様が意識を取り戻された。赤子はセシリア様が必死で庇ったからか衰弱はしていたものの神聖術を速やかにかけたことで間一髪一命を取り留めることができ今は安らかに眠っている。
「御嬢様!お気を確かに!!今神聖術で回復させます!」
必死で御嬢様に呼びかけながら神聖術を施していく。ヒーリングの途中、背中に鋭い痛みと肉が焼けるような臭いが奔ったが今は特に気にするところではない。今成すべきことはこの女性を…世界で最も慕うこの女性を一刻も早く回復させてこの煉獄の地獄から抜け出すことだ。今は集中しろ。集中すれば神聖術が御嬢様を癒し…助けられる…
なのに……
「なんで……なんで神聖術が効かないんだ!!全ての者に救いを与える神聖術なんだろ!?なんで…なんで効かないんだよ!」
私の叫びも空しく掌の聖なる輝きは徐々に消えて行き御嬢様へのヒーリングもなくなってしまった。何故ヒーリングが効かないのか、その答えは既に頭の中に出ていたが私はそれを決して認めようとはしない。なぜなら認めてしまったらもう御嬢様を救うことが出来ないと……
「くそっ……効け!効け!効け!効け効け効け効け効け効け効け効け効け効け効け効け効け効け効け効け効け」
必死に手をかざして神聖術を行使する私に対して次第に息が小さくなって行く御嬢様。
既に頭の答えははっきりと出ていた。
もう手遅れだ…御嬢様はとっくに限界を超えて衰弱されていて手の施しようがない。だが、いくら答えが出ていようがこの手を止めることはしない。そんなもの認めるわけにはいかない!こんな結末を私は認めない!愛する女性を…世界で最も慕うこの女性を諦めて堪るか!隣国に嫁ぎ幸せに暮らすと微笑んでいた御嬢様、毎回の便りに宮廷の楽しい出来事や綺麗なものを書きとめた御嬢様。その結末がこんな無惨な最期だと!?馬鹿にするな!この女性は愛する人や美しい花に囲まれて皆から悔やまれてその子供、孫に看取られて優しく眠る様な最期を飾るはずなのにこんな地獄のような火の海に焼かれて、下種な輩に汚されて死んでいくなど私は…俺は断じて認めない!
「ちくしょう…っちくしょう!!頼むから………効いてくれ…俺の命なんか……いくらでも…ひきかえにするから……」
もう既にいくら手をかざしても神聖術の光りは出てこず、目の前が歪んで暗くなって、一つの雫が御嬢様の頬に落ちた。
「ジ……ル………わた………あか…ちゃ……」
まるで搾り出すかのような掠れた声で赤子を求め、手を伸ばす。すでに目が見えなくなって……
「ご子息は無事です……御嬢様が必死で守ったから……大丈夫です……よ…」
それを聞いた御嬢様はまるであの離宮で花と戯れる時のような優しい笑顔をつくって既に光の無いその眼で私の顔を探り当てて優しく頬を撫でる。頬を流れる涙が止まらない。それでも…私も掠れた声で御嬢様に……無駄だと分かっていても言ってしまう
「………ほ…ら、これから……この赤ちゃん…と幸せに……幸せに…暮らすのでしょう?………そこに…貴女がいなくて……どうするんで…すか……セシリア…様………」
掠れ泣き声の入り混じったそれを聞いた御嬢様はそっと眼を閉じて呟くように最期の命令を申し付けた。
「…も……う……わた…し………たすか…ない………だ…ら………お…ねが…い……ジルド…わたし…の……あかちゃん……ソフィア…を……」
その言葉を最期に御嬢様…セシリア・リーシェライトは二度と目を覚ますことの無い深い眠りについた。
「うう……うぅ……ぁぁあああ……ああああああああああ………ああああああああああああああああああああああああ!!!馬鹿野郎!馬鹿野郎!!馬鹿野郎!!何が御嬢様を助けるだ!!何が歴代最強の錬魔術使いだ!!結局助けられなかったじゃないか!!結局守れなかったじゃないか!!こんな力…こんな力!!こんな力ぁぁっ……………ぁぁ……ぁぁぅぅぅぅ………」
結局どんなに力があっても、技を身に付けていようと、私は生涯愛したたった一人の女性も助けることは出来なかったのだから。
よく見ればいつの間にか私の足や背中には焼け崩れた石や砂、柱などが重くのしかかり、背中は焼け爛れて肉の焼ける嫌な臭いを発し、足が潰れているのか、放心しているせいなのか立ち上がることが出来ない。
ふいに視界に血に染まったサーベルが映る。……主が死に…もう私も存在価値がなくなったのだ。それにこの足では脱出は不可能。それにもう生きて行ける気力がない。
……もう疲れましたよ、御嬢様。だから……
「ぁぁ…おぎゃぁぁぁぁぁ…おぎゃぁぁぁぁあぁ」
「―――――――――――――――――――あ」
そんな自害しようとする私を止めるかのように、赤子が…いや、セシリア様のご息女……ソフィア・リーシェライト様が鳴き声を上げた。
―――――そうだ、私は最期に何を命じられた?ソフィア様を託されたのではないか。それを…自分勝手な自害などでふいにして何がリーシェライトに仕える従者か!御嬢様は何を最期に残して下さった?
「…ぁぁ……あ………何が…疲れた、だ……」
逃げるな。まだお前は…リーシェライトが……希望が残っている限り……この子がいる限り………
気力を失った体に力が蘇る。視界が凍りついた冬の空のようにクリアになる。潰れた足、焼け爛れた背中に痛みが戻る。だが苦痛ではない、むしろ痛みをばねにして立ち上がれ。
「守るために生きろ!ジルド・レシュラン!!」
―――――渾身の力を込めて襲い掛かる痛みの濁流を突破した。
「おぎゃぁぁぁぁぁぁ…おぎゃぁぁぁぁぁぁぁ」
今まさに焼け崩れる柱の下敷きになろうとしているソフィア様を強引に抱きかかえ寄せ、感覚がとうになくなっているグチャグチャの足に魔力を補填し強引に前へ突き進む。焼け落ちる建物、立ち込める黒煙、それを突破しソフィア様が煙を吸わないように布で口を覆い全速力で駆け抜ける。
「――――――ぐぅっ…!」
刹那、背中に鋭い痛みが押し寄せ同時に足に負荷がかかったのかグチャッという嫌な音と鈍くも焼けるような痛みが押し寄せる。だが痛みを意識から遮断して潰れた足に強引に魔力を補填してただ突き進む……
止まるな……進め………進め………進め!
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……そ…ソフィア……様…」
倒れた私の目の前に広がるのは満天の星空。宮殿の窓から飛び出してなんとか外へ脱出できたようだ。ソフィア様は…ちゃんと息をしておられる。すぅすぅと可愛らしい寝息を立てて眠っておられる。その柔らかでぷっくりとした頬を撫でると寝息の中に微かな笑い声が含まれる。
…確かにソフィア様は助かりはした。が、唯一甘えられて安心できる居場所のセシリア様を失ってしまった。これからこの少女は苦しい思いを、母親のいない苦痛と闘って行くことになると思うと胸が苦しくなる。…いや、だから私が…私がソフィア様が一切寂しい思いをしないように守るのだ。
今度こそ…今度こそ!
「お前は……何をやっていたんだ?ジルド…」
「っ!?」
所々傷む体に鞭を打って起き上がるとそこにはボロボロの甲冑を身に纏った…クラウスが立っていた。だが、その顔は以前見た威厳に満ちた顔ではなくまるで全てに絶望したような、魂の抜けたような虚ろな顔。焦点の合わない瞳でフラフラとした足取りで私の下まで行くとうつ伏せになることしか出来ない私の胸倉を掴んで強引に起き上がらせ憎しみに満ちた表情で怒鳴りつけた。
「何故…何故御嬢様を助けなかった貴様ァァぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
胸倉ごと持ち上げ首を締め上げて地面に叩きつけられる。背中から伝わる衝撃で肺が止まって呼吸が出来なくなる。
「貴様がぁぁ……貴様さえもっと早く駆けつけていれば……なんで…なんでそんなに力のある貴様が御嬢様を助けられなかったジルド!!」
地でもがく私を激昂に任せて蹴りつけるクラウス。それは理不尽な行動だった。そもそも御嬢様と共に王宮へ付きっ切り騎士として向かったクラウスならば御嬢様に一番近い場所でお守り出来たはずだ。だが…おそらく押し寄せる賊の大群に無理矢理前衛へと連れて行かれて駆けつけたときにはもう手遅れだったのだろうか。
「どうせっ…貴様は!…御嬢様に劣情を抱き……蒼の国に嫁いだお嬢様を恨み!助けるのをっ…遅らせたのだろうっ……!!」
―――それは違う!私は…私は全力で御嬢様を守ろうと…
だが、その言葉は喉から吐き出されず、理不尽と分かっていても私にはクラウスの行為を咎めることも、非難することも出来そうになかった。何故なら私自身が御嬢様を守れなかった自分に対して強い憎しみと嫌悪を抱いているのだから…
「おぎゃぁぁぁぁ!おぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
永遠に続くと思われたクラウスの蹴りはソフィア様の鳴き声で唐突に止められた。クラウスはソフィア様を虚ろなその目に写し、そして光りのない絶望に染まったその目からは涙が洪水のように溢れ出し、涙で汚れた顔のままソフィア様を抱きかかえた。
「……貴様に…御嬢様に劣情を抱き…守ることさえ出来なかった貴様に……ソフィア様を任せることなどできん」
――――――ま…まさか………クラウス…お前…
「これは罰だ…貴様は二度とリーシェライトに関わることは許さん……ソフィア様は…私が連れてゆく……二度と貴様の目も手も届かぬ場所へ…」
「……や…めて…くれ……その子は……私の…最期の………希望…御嬢…様との………最期……の約束なんだ……」
体が…起き上がれと命じているのに動かない。喉が喋れというのに動かない。やめろ…その子だけは奪わないでくれ…御嬢様との最期の約束が…希望が…
「一生苦しんで生きろ……このクズ野郎」
クラウスの罵倒を最期に私に残された最期の希望はあっけなく奪い去られてしまい、私は無様に這い回り咽び泣くことしか出来なかった。
蒼の国革命、後にそう呼ばれることになるこの革命はただの理不尽な支配と一部の力を持った自分勝手な正義を謳う者達によって決行された。元々この国の王は非常に温厚な人物でその政治手腕も良く国民に慕われる良き王だった。だが、ある男が多くの民衆を操る黒魔術を革命首謀者の男に伝え、首謀者の男はそれを神から与えられた世界を支配する力だと思い込み早速それを使って民衆を洗脳し、今の王を暗愚王、民衆を虐殺し抑圧する王と信じ込ませそして国民総勢10万人を引き連れて王都並びに王宮を蹂躙した。
これによって蒼の国の国王は討ち取られ、一年前に王宮入りした銀色の髪の王妃も辱めを受けた後に惨殺され、まだ赤子だった王女はそのまま崩れ落ちた王宮の下敷きとなり死亡。その後革命軍は大十字帝国を名乗り建国を宣言するがその1ヵ月後に蒼の国国王と親交の深かった風の国の王によって完全に打ち滅ぼされ首謀者は全員悲惨たる処刑を受け、蒼の国の元領地は風の国へと吸収される形となった。
この記録の中に一つ特異なものがある。
大十字帝国の主要人物は一人残らず処刑されたのだが風の国が実際に処刑を加えたのはたった2人で後の全員は既に殺されていた。目撃者の証言では風の国が攻め込む1週間前に執事服に身を包んだ一人の男が大十字帝国の新宮殿内にいる全ての者を殺し尽くし唯一余所の地域に軍備の調整に向かっていた2人を残して革命の首謀者、加担者全員が殺害され、それが結果たった3時間で大十字帝国が壊滅した大きな原因ではないかと思われる。
もう分かっているとは思いますがクラウスは初期に出てきた孤児院の院長です。この話はもう少し深くジルドやクラウスの葛藤についても書きたかったのですが文才が足りないのか納得できるものが出来ませんでした…。また落ち着いたら改定して書きたいと思います。
それと…挿絵描きたかったのですがまた小説がスランプに陥った時に描いて行こうと思います。というか本来はイラストの方が僕の本業なんですけどね…。全話完結したらこの小説の同人誌とか描いてみたいです。え?何を描くかって…そりゃエンディミオンさんとソフィアさんとのむふふ…でも描こうかなぁ~とか思ったりして。
そしてリーシェライトの離宮偏は番外編を除いてこれで終わりです。次回からはようやく冒険ものファンタジーに…なるといいなぁ……




