お願い悪魔様! でもその願いは筋違い
虫も鳥も眠る深夜、風の流れで揺れる木の葉や草だけが音を響かせている。
大都会ならばこの時間でも開いている店はあるかもしれない、だがここは田舎も田舎、ど田舎と言っていい村だ。日が落ちて三時間もすれば、皆明りを消して眠ってしまう。
そんな中、未だ起きている男がいた。
ぼさぼさの肩までの髪、日に焼けていない色白な肌、必要最低限の筋肉といった不健康そうな四十手前の男だ。
数本のロウソクに火を灯し、その薄明りの下、広めの地下室の床にはいつくばってなにかをしている。
近寄って見れば、筆の毛先を赤の染料で濡らし、一心不乱に紋様を描いている。
日が落ちて夕飯を食べたあとすぐに始めた作業だ。休みなしの長時間で、ようやく完成が見えてきたらしく男は笑みを浮かべていた。
さらに十分ほど筆を動かし続け、男は止まる。
「これでよし。あとはっと」
部屋の隅に置いていた荷物を全て持ち上げ止まる。持ち上げることはできたが、重くて持ち運びできなかったのだ。見た感じ、十キロ程度に見えるが男の筋力では無理なようだ。
「これは一つずつ丁寧に運んているんだ。決して全部持てないわけじゃないんだ」
誰が聞いているわけでもないのに言い訳をしながら、一つ一つ運び置いていく。
事前に配置は決めていたようで、描いた紋様を踏まないように止まることなく置いていき、全ての配置を終えた。
「これで完成だな。いやー長かった。思いついて一年だものなぁ」
男は感慨深げに、完成した召喚陣を見て頷いている。
そう男が作っていたのは、召喚を行うための陣だ。
しかもただの召喚陣ではない。希少な材料を随所に組み込んだ、ハイレベルな陣だ。人間が作れるものでは最上位に位置するのではなかろうか。対価として用意した供物もまた希少なものばかりだ。
「では早速」
いつまで見ていても見飽きることはない、といった様子だった男は陣の前に立ち、召喚のための呪文を唱え始める。
男が詠唱を始めてすぐに陣に変化が出る。紋様がほのかの光りだしたのだ。さらに詠唱が進み、変化も進む。光が強くなり、陣から灰色の煙が湧き出してきたのだ。その煙は時々人の顔や腕を象る。表情は苦悶のもので、腕は助けを求めるように蠢き消えていった。
男はそれらを気にせず、詠唱を続けていく。あきらかに真っ当な召喚ではない。
男は徐々に声を大きくしていく。それに合わせて陣から溢れていた煙が一点に集中していき、ある程度の大きさの球体となる。
「召喚者ゼガレット・ダーファイントがこいねがう! 悪魔の王が一人奪略のタカレムミクよ! この場に出でて我が願いを聞き届けたまえ!」
男、ゼガレットの宣言のような言葉が放たれた瞬間、陣中央に浮いていた球体がいっきに縮み、点といえるまで縮んだ瞬間膨み、地下室に衝撃を撒き散らす。
衝撃に目を閉じたゼガレットが目を開くと、目の前には悪しき波動を放つ存在が出現してた。
虎の顔に額から突き出た金の角、体は質のいい衣服を纏い、筋肉のついた腕は四本で、今はそれらを胸の前で組んでいる。表情は自信に満ち、鋭い目つきで自身を呼び出したゼガレットを見ている。
「我が名はタカレムミク。汝が我を呼び出したのか?」
ゆっくりと開かれた口からは、骨に響きそうなほど低く渋い声が発せられた。
「は、はい!」
恐怖で震える体を押さえつつ、なんとか答える。
「見事よ。ここまで見事な召喚陣は久しぶりに見た。
さて、我を呼び出し何を願うのだ? 十分は対価は得ている、気分も良い、大抵のことならば叶えてやろう」
「村を……」
「村を?」
規模が小さいなと思いつつ、先を促す。
「村を盛り上げてほしいのです! 村おこしを手伝ってください!」
気合の入ったゼガレットの言葉に、タカレムミクは動きを止めた。押しつぶすようなプレッシャーもなくなる。
なにやら考え込むような様子を見せる悪魔に、ゼガレットは声をかけようか迷う。
「もう一度願いを言え、我の聞き間違いかもしれないからな」
「村おこしを手伝ってもらいたいのです」
「……村おこし、村を活性化させ。暮らしを豊かにする。これで合っているのだろうか」
「はい」
頷くゼガレットに、タカレムミクも頷きを返す。
「ものすごく帰りたいのだが」
「ど、どうしてですか!?」
「願う相手が違うだろう? そういった願いは精霊や神に願うものだ。
どうして悪魔に願う? 悪魔は壊すものであって、生み出すことはできないこともないが、得意というわけでもないのだぞ。
これだけの力量があるのならば、高位の精霊や神を呼び出すこともできたろうに」
「せっかく気合を入れて召喚するんですから、自身が呼ぶことができる最高位の存在を呼びたいじゃないですか」
「それだけの理由か?」
「はいっ」
趣味に走ったことを認め、ゼガレットは力強く頷いた。
「なんというか、馬鹿というのはお前のような奴のことを言うのだろうな」
呆れた雰囲気を漂わせて言う。ここまで高位の悪魔を呆れさせた人間は、ゼガレットが初めてだった。ある意味歴史的な瞬間だ。
「だいたい村おこしなど人間だけでできるだろうが。
我を呼び出す暇があるならば、お前自身が動けばいいことだ」
「私もやってはみたのです。
収穫量を少しでも増やそうと農作業に手を出してみました。
しかし鍬を握れば十回振るのがやっと、あげく握りが甘くなってどこかへ鍬を吹っ飛ばす始末。薪割りをやれば百回斧を振り下ろし、一回も薪に命中しない。収穫もすぐに腰を痛めて戦力になりませんでした。
ほかの職業でも不器用さが祟り。結果は散々でした。
村人は役立たずな私を責めることもなく、できることをすればいいと言ってくれました。
そこでなにができるかと私は精一杯考えました。そして私の一番得意な召喚を使って、役立とうと思ったのです。
というわけで村おこしを手伝ってください」
うむむとタカレムミクは唸る。そこまで考えたのならば、趣味に走らず最後まで真面目に通せと言いたかった。
正直なところ、さっさと帰りたい。けれども捧げられた供物は十分なもので、召喚された時点ですでに受け取っている状態だ。こんな状況でなにもせずに帰るなど、自身のプライドが許さない。それになにもせずに帰ったと人間の間に広められると、高位悪魔の沽券に関わり、以後舐められるようになってしまうかもしれない。
といって村おこしを手伝うという選択肢も取りたくない。そんなことを行ったとほかの魔王に知られれば、大いに笑われてしまう。
どうすべきかと悩み続ける。
その様子をゼガレットはじっと見続ける。
十分ほど悩み続け、考えるのが面倒になってきたタカレムミクはほかの奴に投げてしまえと、考えることを放棄した。
(となると誰に押し付けるのがいいか。
領土争いの最中だからな、あまり役立つ者に任せたくはない。できれば役立たずを短期間でも放り出してしまいたい。
誰かいたか…………ああ、そういえばあやつならばいなくとも問題ないな。
それに人間の暮らしにも詳しいはずだ)
ナイスアイデアと自画自賛し、タカレムミクはゼガレットを見る。
「よかろう。力を貸してやる」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「ただし我自身が手伝うと目立ち、お主の住む村に悪影響しか及ぼさない。
そこで部下を派遣してやる。これでどうだ」
「手伝っていただけるのなら、なんだっていいです!」
「うむ」
いい加減な言い訳が通りタカレムミクは機嫌よく頷き、指をパチンと鳴らす。
五秒ほどして、空中から滲み出るように一人の女悪魔が姿を現した。
「淫魔ルシアーゼ、お呼びにより参上しました」
ルシアーゼと名乗った悪魔は、タカレムミクを前にして膝をつき敬意を表す。
「お前に命令を下す。
ここにいる人間に協力するのだ。目標が達成されるまで帰ってくるでないぞ。人界に留まるために必要な力は、我自ら供給してやろう」
「承りました」
「詳しいことは人間に聞け。
では我は帰る」
内心、協力内容を質問されなくてよかったと思いつつタカレムミクは魔界に帰って行った。
タカレムミクは魔界に帰り、人界には行かなかったというアリバイを作る。これで村おこしなどという話は聞かなかったことにして、自分と一切関わりのないことにしたのだ。
自身の陣営の者が、そのようなことに関わったと他の陣営の者に知られても、ルシアーゼが個人的に召喚に応じ行ったことだと言い張るつもりだ。ルシアーゼは小物なので、勝手な行いをしたと処罰し切り捨てても痛くも痒くもない。
約束だった力の供給ラインだけは繋げ、さっさとこのことは忘れ、他の事案に取り掛かる。息抜きで応じた召喚で、驚かされたものだと思いつつ。
以後タカレムミクがルシアーゼのことを気にかけることはなかった。力の供給量もタカレムミクから見れば微々たるもので、まったく気にならないのだ。
捨てられたようなものだが、そんなことになっているとは夢にも思っていないルシアーゼは、初めて王から命じられた仕事だと気合が入っていた。
「人間、私はなにをすればいいのかしら?
どこかの領主を誑かす? それとも人間同士のいざこざでも起こす? 不安を煽り、不和の芽を咲かせるなんてものもあるわね」
「いやそんな物騒なことじゃなくて、村おこしを手伝ってもらいたいんだ」
「……村おこし?」
ルシアーゼはコテンと首を横に倒す。金糸の髪がさらりと流れる。
淫魔を名乗るだけあって、美貌は中々のもの。そんな美女が見せたあどけない表情は珍しいものだが、ゼガレットはその価値に気づいていない。
不思議そうなルシアーゼに、ゼガレットはもう一度やってもらいたいことを言う。
「村を活気づける手伝いをしてもらいたい」
「……魔王様? 魔王様ぁーっ!?」
いないとわかっていても、背後を振り向きどういうことだと聞かずにいられないが、すでに帰っているので当然の如く返事はない。
ルシアーゼはがくりとその場に座り込み、ぶつぶつとなにか言い出した。
「え? どういうこと? 私は淫魔よ? 淫魔って人間を堕落させたりが本分なのよ?
そりゃいままで誘惑に成功したことはないわ。そもそも淫魔志望じゃないし、成功しなくてもね?
まあ、希望が通ったとしても活躍できたかはわからないけど。
だからってここまで本業から外れた仕事を回さなくても。というか村おこしって、悪魔を呼び出して願うこと?」
しばらくそんなルシアーゼを見ていたゼガレットだが、止めないときりがないと判断しルシアーゼの肩を叩き、自分の方を見させた。
「とりあえず今後ともよろしく」
「……」
無言でなにかを考えるルシアーゼ。
放り出して魔界に帰りたくもあるが、そんなことをすると、タカレムミクに何を言われるかわかったもんじゃない。最悪直々の命令を果たさなかったとして、命すら危ない。
「こうなりゃやけよ! やってやろうじゃない!
世界一の村にしてみせるわ!」
開きなおって立ち上がる。背後に炎を背負っているような幻覚をゼガレットは見た。
ルシアーゼはゼガレットと向き合う。
「私はルシアーゼ。あなたは?」
「俺はゼガレット」
「いろいろ思うところはあるけど、これからパートナーになるんだし力を貸してもらうわよ。
よろしくゼガレット」
強気に笑うルシアーゼが手を差し出し、それに少し見惚れつつゼガレットはその手を握る。
もう二度と送ることはできないと思っていた穏やかな日々が始まるとは知らずに、ルシアーゼはこれからの生活に思いをはせていた。
のちに多種族が集い、争いなく平穏な時が流れる村となるきっかけはこの日この時だ。
ルシアーゼが将来この日のことを思い出し、幸運を掴んだとはっきり言えるまで、まだまだ時間がかかる。
だが確実に幸せの一歩は踏み出していた。
ほかの小説書いてる最中に思い浮かんだこねたその一