③-2
美夜は大きな声で叫ぶと、テーブルの上にコップを置いたまま走り出す。
いた。――確かに十二単のオンナだった。
美夜は階段を駆け下りる。登ってきた女とぶつかりそうになって、慌てて「すみませんっ」と叫んだ。女は大きな声で何やら文句を言っていたがそ、れに構う余裕はなかった。
二層分駆け下りて、店を出る。人混みをかき分けてアーチの下へと走った。
「……いない」
確かに、アーチの下を十二単のオンナが通った姿を見た。
辺りを見回すが、頭一つ分は大きい外国人観光客が山のようにいて視界を遮る。
「も~。突然走り出すからびっくりしたヨ」
「十二単を見つけた。けど、見失った」
「ワオ! すごいネ! ミヤ」
「おまえのほうが身長高いんだから探せ」
「ハイハイ。せっかちだネ。んー。人がいっぱいでわからないヨ」
「使えない吸血鬼だな。目撃情報はいつも一番街か、花道通りだ。とりあえず、花道通りに向かおう」
美夜はウィリアムの手首を掴むと、ぐいぐいと人混みのあいだを割って入っていく。何が楽しいのか、アーチの下でポーズを取る人の横を抜け、呑気に立ち往生しながら二軒目の相談をするサラリーマンたちの隙間に割り込む。
ウィリアムが「ワア!」だか「ワオ!」だかよくわからない声を上げているが、無視した。どうせ、この場にいるほとんどの人間が彼の声を認識できていない。
人だかりになっているのはアーチの下だけかと思ったが、花道通りに続く通り道も人の通りが増していた。夜の九時。これからが本番だと言わんばかりだ。
「ミヤは思ったより強引だネ」
「お淑やかにしてたら、いつまで経っても十二単を捕まえられないだろ?」
「さすがミヤ。責任感あるネ!」
「呑気なこと言ってないで行くぞ」
本当にウィリアムは十二単の妖怪を捜しているのだろうか。そんな疑問が湧いてくるくらい、彼は呑気だ。急いでいないと言うが、見つけたと言ってもなお、のらりくらりとしている様子を見ると、真剣に十二単のバケモノを探している自分が馬鹿馬鹿しいと感じるときがある。
しかし、彼と約束した以上、美夜は真面目にあやかし捜索をするのみだ。彼が真面目か否かはあまり関係ない。
飲食店には目もくれず、美夜はまっすぐ花道通りを目指した。左右に建ち並ぶビルからは空腹を誘う香りが漂ってきていたが、胃もたれを加速させるだけだ。
狐目の女がウィリアムに目を向けて、わざとらしく顔を背けた。
「知り合いか?」
「さあ? 僕は嫌われモノだからネ」
「色んな女に手を出し過ぎたんじゃないか?」
「どうかな。節度ある交際しかしたことナイヨ」
美夜はつい、「嘘つけ」と悪態をついた。
この成りで遊んでいないと言われても信用できない。ウィリアムのせいで泣いた女は数知れず……と言われたほうが納得もいくというものだ。
「おまえがいると便利だな。誰も俺を見ない」
人間もあやかしも。誰も美夜を認識しない。昼間、ウィリアムと並んで歩くと、美夜を通り超してウィリアムに視線が伸びていく。
夜は夜でバケモノの視線はウィリアムに一直線だ。
誰からも認識されない。自由とはまではいかないが、不自由さを感じなかった。
「僕のよさに気づいてくれたみたいで嬉しいヨ。ずぅっとうちに居ていいんだヨ」
「馬鹿言え。俺はさっさと十二単を見つけ出して帰る」
東京の端っこ。
この新宿とは比べものにならないほど田舎で何もないが、変わりに面倒ごとも少ないのが特徴だ。当たり前のように毎日、あやかしが闊歩する新宿とは違い、化け狐が現れる程度だった。
特別思い入れのある場所ではない。生まれた故郷でもなければ、大切な思い出が詰まっている場所でもなかった。
ただ、初めて保護者の手を離れ、自分の名前で借りた城。築六十二年のおんぼろアパートの一階。大学まで電車一本で行ける上、アパートの裏手に住む大家が老人で口うるさくなかった。
もう何日も仏壇に手を合わせていない。そろそろ両親と祖父に謝らないといけないだろう。
急ぎ足で歩いていると、右手側に人集りができていた。数年前にできた新しい歌舞伎町のランドマーク。こぞって背を仰け反らせ、スマートフォンを向けている。
美夜はそれを横目に進んだ。
一番街は観光客が多いが、花道通りまで行くと少しだけ雰囲気が変わる。店の周りに立つ男たちと視線を合わせないようにして、美夜は辺りを見回した。
店を物色する男。男と楽しそうに店の中に入っていく女。人通りは一番街に比べて少ない。
視界の端でひらりと着物がはためいた。
「今、いた」
短く言うと、ウィリアムは感嘆の声を上げる。
「さすがミヤ! めざといネ」
「おまえはもう少し真面目に探してくれ」
「僕はいたって真面目サ。ミヤの勘が鋭いんだヨ」
着物の裾が消えていったのは、雑居ビルの入り口だ。三階には『ヴィーナス』という名のキャバクラが入っているようだった。
看板を見上げて美夜はぽつりと呟く。
「やっぱり十二単はキャバ嬢をしているのかもな」
「折角だし行ってみる?」
「こういう店は金がかかるだろ?」
「お金ならダイジョウブだヨ。一晩豪遊したくらいじゃ破産しないって」
「俺の心が持つかわからん」
タワーマンションのカフェテリアですら入るのが躊躇われたというのに。酒も飲んだことはない。大学生になって周りが飲み会を楽しむ中、美夜はまっすぐ家に帰宅して絵を描き続けていた。
酒に出す金があったら、絵の具を買いたかったのだ。
自身が酒に弱いのか、はたまた強いのかもわからない。
「男は度胸だヨ。まあ、ここまでわかったし、今日は帰ってもいいと思うヨ」
「せっかくここまで突き止めたのに、ここで帰れるか」
「ウンウン、そういうと思ったヨ。ミヤ、男は度胸だヨ」
美夜は頭をガシガシと掻いた。
こういうとき、あやかしというのは不便だ。ほとんどの人間の目に入らないのだから、ウィリアムはただ美夜の隣で賑やかしているだけしかできない。
ウィリアムが人間であったならばもっと軽い気持ちでキャバクラにも入れた思う。どう考えてもキャバクラの聞き込みは彼のほうが適任だ。
美夜は大きなため息を吐き出した。
「……仕方ない。何事も経験だな」
「そうそう。ミヤはまだ若いんだからもっと色んなこと経験しないとネ!」
「おまえに言われたくない」
ウィリアムに八つ当たりをしたところで、この試練から逃れることはできない。もう一度頭をガシガシと掻くと、美夜は諦めて三階に向かう階段を登った。
◇◆◇
黒の革張りのソファー。大理石調のテーブル。目がチカチカする豪華なシャンデリア。
美夜の隣に座った女性は、胸元と肩を晒した白のドレスを着て出迎え、彼女は「アユミ」と名乗った。
居心地の悪さに身じろぐ。「何を飲まれますかぁ?」という質問に「ウーロン茶」と短く答えた時から、その場の雰囲気が少しだけ悪くなったのを感じる。
酒の名など知らない。知ったかぶって、歌舞伎町で醜態を晒すくらいなら頑なにウーロン茶を飲んだほうがマシだ。
「ミヤは緊張しすぎだヨ」
ウィリアムは空いている美夜の右隣に座る。すぐ隣に女性がいる手前、ウィリアムに反論もできず、美夜には眉を寄せて主張する以外に対抗する術はなかった。
「こういうお店は初めてですかぁ?」
甘ったるい声で質問されて、美夜は「はい」と短く答えた。面接でも受けている気分だ。ゆっくりと息を吐き出す。
「お兄さんお名前なんて言うのぉ?」
「……美夜」
「美夜? 女の子みたいって言われなーい?」
「よく言われる」
「お兄さんよく見たら綺麗な顔してるし、実は女の子だったり……とかぁ?」
「しない」
「そっかー。しないかぁ。ほら、最近『元女子』みたいな動画も見かけるからそうかなぁって」
アユミは人懐っこい笑顔を見せて美夜に質問を投げかける。短く返事をしてもめげずに会話を続けていくところを見ていると、この業界に慣れているようだと若干の安心感を覚えた。
美夜は昔からあまり口数が多いほうではない。特に自分のことを語るのは苦手だ。
「美夜くんって呼んでもいーい?」
「好きにしてくれ」
美夜はウーロン茶を飲みながら頷いた。キャバクラいという場所は、これくらい馴れ馴れしいものなのだろうか。
彼女の意味のない質問に「はい」か「いいえ」で答えつつ、美夜は不躾にならない程度に店の中を見回した。
既に八割埋まった席では女性たちが各々席について男たちをもてなしている。これがいわゆるキャバクラというやつなのは理解できた。
最初に一通りシステムを説明されたような気はするが、正直どうでもよくて聞いていない。酒にも女にも用はなかったからだ。
しかし、いくら見回しても十二単のオンナはいない。もしかしたら、別の階だっただろうか。だが、二階はホストクラブで、四階はマッサージ店が入っていた。キャバクラが一番可能性が高いと思ったのだが。
「教えてほしいんだが、ここには着物の女性は出勤するか?」
「着物? あ、夏になると浴衣DAYとかあるよぉ。もしかしてミヤくん、着物フェチ?」
「いや、そういうやつじゃなくて、十二単みたいなやつ」
「十二単ぇ? あ! もしかして、紫式部みたいな?」
「ああ、それ」
「今年流行ってるもんねぇ。美夜くん、もしかして歌舞伎町に十二単のコスプレ見に来たのぉ?」
「見たことがあるのかっ!?」




