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②-3

 このままタワーマンションの最上階でゴロゴロしているわけにもいかない。


 髪も服も相応の物を手に入れたのだ。さっさとバケモノ探しをしたほうがいいだろう。これ以上甘やかされると、本当に猫にでもなってしまいそうだ。


「んー。急ぐ旅でもないし、数日はゆっくりしているといいヨ。僕にも仕事があるしネ」

「そんな調子だと逃げられないか?」

「焦らない焦らない。ミヤはせっかちだネ。せっかち過ぎると女にもあやかしにも逃げられるって習わなかった?」

「そんなことどこで習うんだよ」


 美夜ははあ、と大きなため息を吐いた。焦っているのは美夜ばかりで、当の本人は悠悠閑閑としている。格の違いのようなものを見せられた気がして気に食わなかった。


 美夜は身体を丸め、更にソファーの中に沈んだ。


「まずはこの辺に慣れてからってことで。好きに過ごしていいヨ。お金が必要ならこれ使ってネ」


 ウィリアムがポンッと財布を美夜に投げた。高級革財布が美夜の横でソファーに沈む。中には札束と見たこともないようなクレジットカードが数枚入っている。


「俺にこんなの渡していいのか? 持って逃げるかもしれないだろ?」

「大丈夫だヨ。ミヤにそんな度胸ないデショ」


 ウィリアムはアハハと笑うと、リビングから出て二階に上がって行った。リビングは吹き抜けになっていて、二階に繋がる階段がある。その二階にはウィリアムの仕事部屋があるらしい。


 突然湧き出た暇に美夜はどうしていいかわからなかった。


 貧乏暇なし。この二十三年で暇だったことはない。特に大学に入ってからの現在まで、身を粉にして働き、命を削って絵を描いてきた。


 突然、「好きに過ごして」と言われて、何をすればいいのだろうか。画家としての人生を諦めた今、就職活動にでも精を出すべきなのかもしれない。


 ウィリアムは階段を登っている途中で「あ」と声を上げ立ち止まる。


「ミヤの悪いところは答えを急ぎすぎるところだヨ。こういうときはラッキーって思ってゴロゴロするといいヨ」


 美夜が言葉を返す前に、ウィリアムは二階へと消えて行った。


 シーンと静まり返る部屋。間接照明が淡く部屋を照らす。音楽一つない静けさ。


 まるで、世界に一人きりのようだ。


 隣人の音もなく、アパートの隣を走るトラックの振動もない。こんな静かな世界を美夜は知らない。


 ビルの窓に灯った光の数を数える。数えている途中で増えていく。


 このまま夜に溶けることができたらいいのに。そう、思った。


 美夜はソファーから起き上がると、自身の匂いを嗅いだ。もう、油絵の具の匂いはしない。真新しい服にわずかに混じる汗の香り。


 昨日とは打って変わって今日は夏のように暑かった。


 この部屋には洗濯機がない。洗濯はコンシェルジュに頼むとクリーニングに出してくれるらしい。シャツもパンツも全部だ。


 部屋のバスルームで今日の疲れを洗い流し、真新しいパジャマに身を包む。美夜はそのままベッドに転がった。


 ベッドしかない十畳の部屋は広すぎる。


 まだ午後八時。就寝には早すぎた。しかし、寝る以外にやることもない。


 こんなことなら本の一冊でも買っておけばよかっただろうか。真新しいスマートフォンでSNSを見るくらいしか暇の潰し方は思いつかなかった。


『十二単』、『歌舞伎町』、『新宿』、『着物』、『女』、『妖怪』、『噂』


 そんな単語を組み合わせて検索していく。


 スプリングの効いたベッドに転がりながら、何度も何度も検索を繰り返した。


『RE:十二単のコスプレ女が出るって噂知ってる?』

『終電前に歌舞伎町で着物の女見たけど、あれなんだったんだろう?』

『一番街のところでしょ? 私も見たかも着物の人』


 それらしいコメントはすべてブックマークをつけていく。


 そうしているうちに、美夜は夜の闇に沈んでいった。



 ◇◆◇



 新宿の街をただ見下ろす。


 何日、こうしていただろうか。


 三日目までは数えていた。その後は覚えていない。


 ただただ毎日、眼下に広がる新宿の街を眺め、今までのちっぽけな人生を反芻した。ただ描くのが楽しかった幼い日々。しかし、本当に楽しかったのだろうか? 描くことで褒められたから、描くことが楽しいと勘違いしたのではないのか。


 美夜には愛された記憶はあまり多くない。いや、ないのかもしれない。


『よく描けているね』


 そのたった一言が愛だと錯覚して、必死に描いていただけではないだろうか。


 ならば、約二十年間、思い込みの愛だけで描き続けてきたということになる。それはなんとも滑稽だった。


 初めて頭を撫でられたときの感覚だけを頼りに、全財産を費やしたのだ。大学になど行かず、細々と遺産を使っていればもっと幸せな人生が送れていただろうか。


 新宿の街はどんな問いかけにも答えはしない。


 陽が昇り、そして沈んでいく。何気ない日常は眼下で繰り広げられているのに、美夜の時間は止まったように動かない。


 時折SNSで検索しても新しい情報は二、三件だったため、すぐに見終わってしまう。


 一度だけ、パジャマから着替えてウィリアムと牛丼を食べに行った。しかし、その後はそれすら面倒になって、日持ちしそうな食べ物をコンビニエンスストアで買い込んだ。


 タワーマンション内には、レストランやカフェテリアがあるらしい。ウィリアムから誘われたが、格式張った店は気が引けたため一度も入ってはいない。


 タワーマンションに住もうが、狭くて汚いアパートに住もうが、美夜の胃に入る物は変わらないようだ。


 レトルトのご飯とレトルトのカレー。飽きたら冷凍パスタ。最近のコンビニエンスストアは品揃えも豊富で、味も美味しい。やけに機能のついた電子レンジで温めるのは、少し気が引けたが。


 ウィリアムは仕事が忙しいのか、食事の時以外顔を見せなかった。インスタント食品を見て感動し、食べて喜びの声を上げる。


 美夜にとってはただの栄養補給でも、ウィリアムにとってはアトラクションになったようだ。


「ワオ! この袋の中にカレーが? インド人もびっくりだね!」

「吸血鬼もびっくりしているしな」

「こっちは?」

「それは飯。チンすると炊ける」

「チン……? ああ、電子レンジね。ワオ! 驚きの連続だヨ。このカチカチのお米が食べられるようになるの?」


 美夜がキッチンに立つと、ウィリアムが一つ一つに感嘆の声を上げている。はじめは面白かったが、何にでも感動するので、二日目には面倒なほうが勝った。


「うるさいから座って待ってろ」

「え~。こんなに面白いショーなかなかないヨ?」


 真っ白な皿にレトルトを盛りつけるとなかなか様になる。タワーマンションで食べるレトルトのカレーはひと味違うかと思ったが、いつも通りの味がした。


「これがあのパックに詰まっていたなんて信じられないヨ。ミヤは魔法使いだネ」

「なら、日本は魔法使いだらけだな」


 ウィリアムとどうでもいい話をしているときだけが、美夜にとって思考の海から逃げ出せる時間だった。ずっとくだらない話しをしていてくれたら、何も考えずに済むのに。そんな馬鹿げたことを考えながら、美夜はレトルトのカレーを口に運んだ。


「なあ、ウィリアム。ここ数日SNSを眺めていて気づいたことがある」

「SNS?」


 ウィリアムは不思議そうに首を傾げる。


 美夜は部屋からカレンダーを持ってくると、テーブルの上に置いた。


 四月と五月のカレンダーを並べて置く。


「初めて十二単が目撃されたのが、四月の土曜」

「ワオ! ミヤってば、一人で捜査してたの?」

「おまえが仕事してて暇だったんだよ」

「さすがせっかち! もっとだらけていればよかったのに」

「だらけるのは性に合わないんだ」


 何かしていないと、すぐに悪いことばかり考えてしまう。それだったら、十二単の妖怪を探しているほうが、気が紛れる。


「目撃時間はまちまち。大抵は夜八時前から終電までのあいだだな」

「へぇ! よくわかったネ。時間まではSNSに書いてなかったデショ?」

「それっぽいワードで検索したあと、目撃者のホームにいくと色々書いてあることがあるんだ」

「ワオ! ミヤは名探偵だネ!」

「たまたまだ」


 本当にたまたまだった。SNSの検索結果を舐めるように見ても暇を持て余し、目撃者のホームまで足を伸ばしただけだ。褒められるようなことはしていない。


「規則性はほとんどないが……ゴールデンウィークは多め。あと、水曜と金曜の夜が多いな」

「四月の頭に目撃情報が始まって、そのあと少しあいだを空けてるネ」

「何か理由があるのか? バケモノは曜日に拘りでも持つとか?」


 令和の吸血鬼は昼間だけ人間になる。ならば、他の妖怪だって水曜日と金曜日だけ十二単を着てもいいわけだ。


 美夜はダイニングチェアの背もたれに背中を預けると、大きく伸びをした。


「案外、他の曜日はドレス着てキャバ嬢でもしてるかもな」

「あり得なくはないネ。最近はあそこら辺で阿漕(あこぎ)な商売しているあやかしも多いんだよネ」


 新宿には夜も昼もない。そのせいで、人ならざるモノが人間のように生きている。皆、見えないから平気であの街で酒が飲めるのだと思う。


 令和にもなった今、誰もがバケモノを認識できていれば、三ツ目も長い首も個性として認められるだろうか。


 もしそうなっていれば、美夜の人生はもう少しだけ歩きやすかっただろうか。


 考えても意味はない。


「とりあえず、金曜日に行ってみるか……」

「ワオ! ミヤはやる気に満ちてネ! 僕は嬉しいヨ」

「ここは綺麗過ぎて居心地が悪いからな。早く終わらせて帰りたい」

「前言撤回。そんな風に言われたら僕は悲しいヨ」


 ウィリアムは背中を丸めていじけるフリをした。


 こういうアピールが妙にうまい奴というのは時折いる。本当はたいして悲しんではいないのに、相手の良心に訴えかけるやり方だ。それを素直に受け止めて、手を差し伸べていいことはない。


 自分と相手の境界線はしっかりと引いておくべきだ。


 ウィリアムが美夜に優しくするのは、今のところ彼にとって美夜が使える人間だというだけ。そして、美夜はあやかしが見えるという能力を担保に当面の生活を世話してもらうだけだ。


 確かにここの生活は快適だ。


 見晴らしのいい部屋と、三食昼寝つきの毎日。


 美夜に与えられた部屋は眺めのいい十畳の部屋だ。他に風呂とトイレもついている。自分で借りている部屋よりも何十倍も豪華な部屋を与えられ、困惑した。「もっと狭い部屋はないか」と尋ねても、「これが一番小さい部屋ダヨ」と相変わらずの口調で答えられた。


 本当にないのかと探し回ったが、二十ある部屋のほとんどが十畳以上ある作りになっている。


 ここは綺麗で、雨漏りの心配もない。隣の部屋で始まった大喧嘩をBGMにする必要もないのだ。


 だが、美夜は早くこの家から出たかった。


 どんなにみすぼらしい家でも、壁が薄くても構わない。自分自身で借りた部屋で生きることが重要だ。


 もう二度と、自分自身の生殺与奪の権を他人に握られたくはない。


 嫌われたら生きていけないという不安。何を言われても平気なフリをしていた日々。感情すら握られる恐怖。


 今以上の息苦しさを感じていた日々には戻りたくなかった。


 窓の外では新宿の街が夜の準備を始めている。


 まるで星屑が生まれる瞬間に立ち会っているようだ。


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