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①-4

「残すのさ。あやかしの存在を」


 突然、空気が変わった。ウィリアムの顔から緊張感に欠けた笑顔が消える。黙っていたら美しい顔だと、改めて思う。


「ふーん」


 美夜は興味なさそうに相槌を打った。ウィリアムが苦笑を浮かべる。


「美夜はあやかしのことをどのくらい知っている?」

「さぁな。ほとんど知らない。あんま近づかないようにしていたから、バケモノとしか思ってもいない」


 なぜ、そこにいるのか。そんなことが気になったこともあったが、いつしかそんな疑問すらわかなくなった。


 彼らは美夜の人生を脅かす面倒なバケモノになっていたのだ。


「じゃあ、今までどうやって彼らを見わけていたのかな?」

「奇抜な格好をしているヤツはすぐにわかる。あとは……鏡だな。バケモノはなぜか鏡に映らない」


 ウィリアムは相槌を打つ。『鏡』という単語を聞いて、嬉しそうに目を細めた。


「そう。僕たちはうつり世の物に姿を映すことができない。だから、人間の作った物には映らないんだよね。鏡、ガラス、あとはカメラとかね」


 ウィリアムはビルのショウケースに向かって手を振る。しかし、薄っすら映るのは、美夜の影だけだった。


「だから、ミヤに描いてもらいたいたんだ。そんなことできるの、ミヤくらいだろ?」

「絵なら自分で描けばいいだろ? 人間には見えないかもしれないけど、バケモノ同士なら見えるし描けるんだからさ」

「君は器用に絵を描いているあやかしを見たことがあるかい?」

「いや……。だが、探せばどこかにいるだろ?」

「少なくともこの新宿では見たことがないヨ」

「そうか。そりゃ、悪かったな」


 いまいち腑に落ちない説明に相槌を打ちながらも、オレンジ色の看板の前に到着して、美夜は足を止めた。


「ついた」

「ワォ! お洒落な佇まいだね。ここが牛肉専門店?」

「ああ」

「へぇ! どうやら中は狭いようだネ! 面白そうだなぁ。僕も食べてみたいなぁ」

「牛の血でも啜るのか?」


 自動ドアが開くと、間髪入れず店員が「いらっしゃいませー」とやる気のない声で出迎えてくれる。


 ウィリアムはひときわ明るい声で笑うと、店の中へと入って行った。


 二度目の店員のやる気のなさそうな「いらっしゃいませ」に会釈を返し、美夜は端の席に座る。その隣にウィリアムが座った。


 終電を逃した酔っ払いが数名点在する店内には、深夜とは思えない軽快な音楽がかかっている。


 置かれたお茶は、美夜の前に一杯だけ。それを見て、この男が本当に人間ではないのだと理解した。


「こんだけ話を聞いておいて悪いが、俺はもう絵を描く気はない。もう描くことに未練はないんだ」

「嘘だネ」

「俺だってもう二十三だからな。そろそろ将来を考えないといけない年だ」


 もっと早くに考えろと言われそうだが、遅すぎるということはないだろう。


 人と関わるのは苦手だが、あまり人とのコミュニケーションが必要ない仕事なら、うまく誤魔化して生きていける自信はある。


 今までそうしてきたように、普通の人間を装うのだ。


「ミヤは絵を辞められないヨ」

「笑わせるな。俺が辞めると決めたんだ」

「そんなの口だけだヨ。ミヤは流れる血まで絵の具臭いのに、辞められるわけがナイじゃない」

「馬鹿言え」


 美夜は呟くと、牛丼を食べ始めた。人の視線が美夜に突き刺さる。一人で来店した男が独り言を話し始めれば、誰だって気味悪く思うだろう。


 彼らは美夜と目が合った順番に視線を逸らしていく。


 久しぶりに食べる牛丼は全身に染みていくようだった。汁の甘さが舌から胃に、そして脳を犯していく。味わって食べたいのに、胃がそれを求めている。


 塊のまま飲み込んで、食道を押し上げた。


 舌以上に脳が満たされていく感覚に、美夜は息をゆっくりと吐き出す。鼻から抜ける甘い香りが更に心を満たした。


 隣の吸血鬼(オトコ)さえ居なければどんなに最高だっただろうか。


「ミヤは描くヨ。だって、画家は描くことを死ぬまで辞められない生き物なんダ」

「俺は画家じゃない」


 もう。いや、今までも、これからも。


 美夜が画家だったことはないのかもしれない。


 画家という職業は曖昧だ。資格があるわけでもない。ただ絵を描き、そう名乗るだけ。そもそも絵すら描かなくても『自分は画家だ』と言えばその肩書きを手に入れることができる。


 しかし、本物の画家になれるのはほんの一握りだ。


 美夜を画家だと認める人間はこの世に存在しない。せいぜい『ちょっと絵がうまい男』だろうか。


 それすら時代の波に流されてしまえば儚く消えてしまうようなものだ。


「わかった。じゃあ、何かの縁だと思ってあやかし探しを手伝ってヨ」

「あやかし探し?」

「そ。会いたい妖怪(ヒト)がいるんだけど、会えなくてネ」

「そんなの自分で探せ」

「それがうまくいかなくてネ? 僕、嫌われてるのカモ」


 ウィリアムはシクシクと涙を流すフリをする。


 わかりやすい演技に美夜は鼻で笑った。


「俺には何のメリットもないじゃないか」

「そんなことないヨ。ミヤのメリットはたくさんある。まずはそうだなナー。給料たくさんあげるヨ。なにせ僕はお金持ちなんだ」

「へぇ。いい服着てるもんな」


 令和の吸血鬼はやはりひと味違う。高そうなスーツに身を包み、腕には高級時計。この男に血を求められたら、同じ男でも首筋を差し出してしまいそうだ。


「家もこの近くにあるから、引っ越してくるとイイヨ。二十部屋くらい余ってるから一つでも二つでも使ってイイヨ」

「……都会は嫌いだ」

「なんで?」

「うるさいから」

「あー。ミヤにはちょっとうるさいかもネ」


 ウィリアムはカラカラと笑った。


 都会はうるさい。当たり前のようにバケモノが闊歩しているため、昼も夜も神経を尖らせていなければならないのだ。


 その点、ほどよく人間が住む田舎はよかった。人口に比例して、妖怪が少ないこと。何より、わかりやすいことだ。新宿は妖怪なのか人間なのかわかりにく格好をしたヒトが多すぎる。


 田舎に行けば行くほど人間は人間らしく、バケモノもそれなりの存在感を放ってくれているから避けやすい。


 その代わり、アパートの壁は薄くて隣のカップルのピロートークまで筒抜けではあったが。


「その辺はダイジョーブダヨ。僕の部屋に入ってくるようなマヌケはいないから、きっとミヤの部屋より静かさ」

「俺の部屋もそれなりに静かだ」


 短く返し、牛肉を口に運ぶ。人の金なのだから、もっと大きいのを頼めばよかったか。そう思いながら美夜は咀嚼した。


 酔っぱらいたちが美夜の様子を盗み見て、「やばい」と感じたのかそそくさと会計を済ませて出て行ってしまった。


 気づけば美夜とウィリアム、そして二人の店員だけが店内に残った。軽快な音楽が不気味に流れる。


 赤ら顔の酔っ払いたちも、明日には忘れているだろう。もしかしたら、次の店に入って「変な奴を見た」と酒の肴にしている可能性だってある。


「どう? 興味湧いた?」

「うまみが多すぎて疑っているところだ」

「んー。勧誘って難しいナ」

「うまい話には裏がある。そんなの小学生でも知っていることだ」

「裏なんてないヨ。僕はミヤの力を借りたい。ミヤは当面の生活を保障されたい。利害の一致サ」


 次第に牛肉の味がわからなくなっていった。


 手を取るべきか? さっさと店を出て行くべきか?


 だが、店を出てどうする? 家に帰ってどうする? 美夜にあるのは売れなかったキャンバスだけ。来月の家賃すら危うい状況で、わがままを言っていられるのだろうか。


 バイトのシフトを増やしてもらう相談をして、ハローワークにも通わないといけない。


 その前に馬鹿な夢に残してくれた遺産を全部使い切ったっことを、祖父と両親に謝ることも忘れてはいけなかった。


 どれも憂鬱なことばかりで気が滅入る。


 ウィリアムの提案を受け入れれば、その面倒なことを全部後回しにすることができると言っても過言ではない。


 目を開けていればあやかしは勝手に目に入ってくる。妖怪探しに少しくらい手を貸すのは問題ないだろう。


「あ! あともう一つあるよ! ミヤにとっての一番のメリット」


 ウィリアムがニッと笑った。


「もう嘘を吐かなくてイイってことかな」

「……嘘?」

「そうさ。今のミヤは嘘つきだからネ」


 ウィリアムの言葉が何度も頭の中でこだまする。


 嘘。


 それは何度も聞いてきた言葉だ。


 嘘、嘘、嘘。


 みんな、いつだってその言葉を簡単に口にする。たった一言で美夜の人生を否定し、生きる価値を奪っていく。


 美夜は茶色く濁った米を箸で何度もかき混ぜた。茶色い海に溺れていくような息苦しさを感じる。


「何が悪い……?」

「ん? ミヤ?」

「嘘の……何が悪い? この嘘は生きる術だった。これがなければ俺はっ!」


 勢いに任せテーブルを叩く。軽快な音楽の中に響いた荒々しい音に、美夜は我に返る。困惑顔の店員が、キッチンの奥から様子を伺い、入店したばかりの客が荷物を掴んで出口に向かっていた。


 美夜は頭をくしゃくしゃと乱暴に掻き、水を一気に流し込む。


「悪い」

「ミヤはやっぱり短気だね。ミヤの今までの人生を否定するつもりはないよ。ただ、誰からの評価も気にせず生きてみたくない?」

「評価、か」


 評価なんて気にしたことはない。そう、言えたらかっこいいのだろう。


 美夜はいつだって誰かの目を気にしていた。


 引き取ってくれた保護者の目。その保護者の子どもの目。新しい学校の先生の目。


 彼らにとって《《普通の子》》でなければ、生きていくことができない。もし、少しでも人とは違うことがバレてしまえば、家という箱から追い出されてしまう。


 その失敗を何度も繰り返し、美夜は日本中を転々とした。故郷などと呼べるような場所もない。


「ミヤの見てる世界を知ったらきっと、みんながミヤの世界を好きになるヨ」

「どうだかな」


 美夜は静かに笑った。


 自分自身が好きになれない世界を誰かが好きになるとは思えない。


「まあ、妖怪探し一回くらいつきあってやるよ」

「ワオ!」

「ただし、一回だけな。その探してる妖怪を見つけたら終わりだ」

「ダイジョウブ。とりあえずそれでイイヨ。でも、途中で絵を描きたくなったらいつでも描いてくれていいんだからネ?」


 汁に浸って柔らかくなった米を掻き込んだ。水のように、甘い汁と混じった米が喉に流れ込んでいく。


「描かない。もう描かないって決めたんだ」

「わかってるって。僕もいやいや描いてほしいわけじゃないしネ。デモ、描きたくなるカモしれないデショ」

「まあ、いいさ。俺は描かない。あとで金を払いたくなんて言うなよ?」

「ハイハイ。ダイジョーブダイジョウーブ。僕はお金持ちだからネ。そこまでケチじゃないヨ」


 まるで本気にしていないような言い草に、こちらばかりが必死なようで苛立った。


「あんたの期待通りには絶対にならないからな」

「ハイハイ。わかってるって」


 美夜はウィリアムに念を押すように言いながら、牛丼屋を出た。


 深夜の靖国通り。人も車も減っている。ほとんど意味のない赤信号が一台のタクシーの足を止める。


「俺は本当に――……」

「イイヨ。何も描かなくてイイ。だから、よろしくネ。ミヤ」


 ウィリアムが右手を差し出す。美夜は苦笑しつつもその手を取った。


 雑居ビルに入る牛丼屋の前で吸血鬼と握手を交わすなど、誰が想像しただろうか。


「それで、探しているバケモノはどんな奴なんだ?」


 ウィリアムが含みのある笑みを見せる。嫌な顔だ。人に近くて遠い、なんでも見透かすような笑顔だった。


「最近この街に出るようになったあやかしなんだ。それがちょっと変わっているんだよネ」

「何が?」


 問いに対し、ウィリアムの口角が三日月のように上がる。


「あの歌舞伎町にさ、十二単(じゅうにひとえ)のオンナが現れる。どう? 興味深いだろ?」


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