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①-3

「おまえは誰だ?」

「ウィリアムさ。さっきも会っただろ?」

「俺が会ったウィリアムとおまえは違う」


 顔は瓜二つ。瞳の色だけで違うとは言いがたい。昨今、カラーコンタクトを嵌めれば、誰だって不思議な色の目を持つことができる。


 しかし、まとう空気までは変えられないだろう。


 美夜は一度だけ同じ種類のバケモノを見たことがあった。


「……吸血鬼か」

「ミヤは博識だねぇ」

「吸血鬼が俺に何の用だ?」

「それはここで話すことじゃないかもしれないな。モチロン、ミヤが平気なら僕は構わないけど……」


 ウィリアムは美夜の周囲を見回した。


 怪訝な顔で美夜を見て通り過ぎていく人々。ウィリアムのことが見えていないのだ。


「拝島行き、最終電車がまもなく発車します。ご乗車の方は――……」


 アナウンスが流れた。


 美夜は電車とウィリアムを交互に見る。帰ってもどうせ、売れなかった絵を見ながら朝を迎えるだけだろう。


 ならば、一晩くらいバケモノと一緒というのも悪くない。


 いいや、ただ怖かったのだ。仏壇に手を合わせ、祖父と両親に今日のことを報告するのが。三人が残した遺産をすべて使い果たした結果がこれだと頭を下げるのが怖い。


 肩に重くのしかかるのは、キャンバスの重みだけなのかわからなかった。


 一晩バケモノの相手をして、報告の言葉を考えよう。


 そう思い、美夜は終電を見送ったのだ。



 ◇◆◇



 美夜はウィリアムと共に靖国通りを四谷方面に向かって歩いた。真夜中でも牛丼がいつでも食えるところが、都会の利点だろうか。オレンジ色の看板を目指して歩く。


 そもそもバケモノは金を持っているのだろうか。


 眠ることを知らない街が、目映いばかりの光を放つ。どんなに輝かせても、太陽には遠く及ばない。それでも足元を照らすには十分すぎるほどの明るさだった。


 終電を終えて、人が減り始めた歩道を歩く。ただ黙って歩くこの時間を苦痛に感じた。


「そろそろ用件くらい話してくれないか」

「ん〜、ご飯を食べながら、ゆっくり話そうよ」

「俺は暇じゃないんだ」

「朝まで時間はたっぷりあるのに? ミヤはせっかちだね。やっぱりヤロウ同士じゃ話も盛り上がらないか。可愛い女の子がいっぱいいる場所、たくさん知っているよ? モチロン、お酒もある」

「キャバクラにも酒にも興味はない。今、はっきりさせてくれ」

「短気だなぁ。ミヤは損するタイプだよ。直情型だ」


 ウィリアムの態度に苛立ちばかりが募った。強く睨めば、降参とばかりに両手をあげる。


「OK。そんなおねだりされたら答えないわけにいかないかな」

「おねだりはしていない」

「ハイハイ。単刀直入に言うよ? 心の準備はいい?」


 ウィリアムの言葉に、美夜は静かに頷いた。既に腕を組み、仁王立ちである。


「ミヤに絵を描いてほしいんだ」

「……は?」

「絵だよ絵。その肩からぶら下がっているようなヤツ」

「なら、これをやるよ」

「そうじゃない。もっと別のモノを描いてほしいんだ」

「悪いな。俺の画家人生は二十一時の蛍の光で終了したんだ。その依頼は受け入れられない」


 今日、一枚も売れなければ画家は諦めると誓って、残った遺産に手を出した。この結果は祖父や両親の言葉の代わりだ。『もう諦めて、ちゃんと働け』というメッセージに違いない。


 才能がないことを美大の先生は何度も教えてくれたのに、それを聞き入れず就職活動もせず、一枚も売れていないのに画家を名乗った代償だ。


「ナンデ? お金に困ってるなら支援するヨ?」

「支援?」

「ほら、なんと言うんだっけ? えーと、パトロン? ああ、スポンサーのほうがわかるかな?」

「パトロン……スポンサー……。つまり、資金援助すると?」

「そう、それ。僕は絵を描いてもらえる。ミヤは働かないで、絵に集中できる。悪くない話だろう?」

「悪くないかもな……。だが、断る。俺にはその価値はない」


 ウィリアムの援助を受けて絵を描いたとして、何が変わると言うのだろうか。売れない絵を増やして、六畳ワンルームの部屋に敷き詰めるのか?


 この男にいつ捨てられるのかとビクビクしながら、『写真みたいな絵』積み上げる?


 零に何をかけても零だ。一にはならない。


 深夜のコンビニアルバイトで、時給千二百円を得ているほうがずっと生産的ではないか。


「ミヤには才能があるんだヨ。君はそれをわかってない」

「俺に才能がないことは俺自身がよーくわかっているさ」


 評価されなかった大学時代の四年間。いまだ一枚も売れない絵。SNSに上げても閲覧数は十にも届かない。


 大学の同期の活躍を目にするたびに腸が煮えくりかえるような感覚と戦った。自分はダイヤの原石だと言い聞かせ、いつか見つけてもらえるはずだと自身を励まし続けた。


 美大の先生は見る目がないだけ。今までの保護者は美夜を嫌っていただけ。


 評価されない理由を他人になすりつけて、生きていくのにはカロリーを使う。


 自分は正しく、世間の反応がおかしいのだと張りぼてで籠城する生活は心を削っていく行為だ。


「俺はもう絵を辞めた。絵が欲しいならこれを全部やるよ」

「この絵はいらない。君の本当の絵じゃないからネ」

「……そうか」


 タダでも引き取り手のいないような絵だと言われたようで、心臓が抉られるような気持ちだ。


「なんで俺なんだ? 絵がうまい奴なんてそこら中にいるだろ?」

「絵がうまいだけじゃないヨ。ミヤは特別さ」

「特別なんて今まで一度も言われたことがないな」

「そう? ミヤは特別な()を持っているよ。僕たちのことを正確に認識している」

「眼……か」


 特別と言われれば特別なのかもしれない。


 幼いころから美夜の眼にははっきりと見えているバケモノ。角の生えた男や三ツ目の女。日本語を巧みに操るネズミ。化けた狐だって知っている。


 そして、そのすべては美夜だけが見えているということも。


「それを人間の世界では異端と呼ぶんだ」

「異端でも特別でも何でもイイヨ。ミヤの眼ははっきりと、あやかしを捉えている。それは凄いことだよ。今の人間はほとんど見ることができなくなってしまったからネ」

「まったく嬉しくないんだが」


 ウィリアムは怒る美夜を宥め、牛丼屋へと促した。歩くさなか、彼は美夜の眼について語る。


「人間の眼は、進化の過程でかくり世の者を認識する力を手放したんだ。時々、あやかしや幽霊なんかを認識できる人間が生まれることはあるんだけどね。大体は不完全なんだよ」

「不完全?」

「んー、例えば。幽霊なら、足が見えないとか。透けて見える。とか、かな」

「漫画みたいに?」

「そう、そんな感じかな」

「俺は幽霊なんて見たがことないが?」


 美夜が見ているのは、あくまであやかしの類いだけであった。しかし、ウィリアムは歯を見せて笑う。鋭い犬歯が見え隠れする。彼の場合は(きば)と呼んだほうが正しいだろうか。


「だから、言っただろう? ミヤの眼は完全なんだよ。人間と幽霊の区別がつくわけないじゃないか」


 美夜はこめかみを押さえた。どうりでおかしいわけだ。大学時代、いくらあやかしが見えることを隠しても、同級生たちからは遠巻きにされていた。


 バケモノだけを避け、幽霊には人間と同じように接していたということだ。どんなに普通の人間に擬態していたと思っても、まったく擬態できていなかったのだろう。


 今更理由がわかっても意味はないが。


「だからどうした? バケモノが見える人間は邪魔か?」

「そんなことはないヨ。ミヤみたいな人間はこのうつり世で生きる僕たちにとって貴重なんだ」

「へぇ。俺にとっては迷惑なだけだがな」


 妖怪が見えなければ、美夜はもう少し普通の人生を過ごせていただろうか。引き取ってくれた保護者たちに嫌われず、家族という枠の端に置いてもらえたかもしれない。


 見えるものを見えないフリをして生きることの煩わしさからも解放されるのだ。


 普通の人間であったならば、ない才能に縋って画家など目指していなかった。遺産をありもしない才能に注ぎ込むこともなかったはずだ。


 何度、この眼をくり()きたいと思ったことか。


 すべての元凶であり、美夜の不幸だ。


「僕は人間の描くあやかしの絵を集めているんだ」

「珍しい趣味だな」

「よく言われるヨ」


 ウィリアムは唇を弓のようにしならせて笑った。鋭い牙が見えるたびに、この男は人間ではないのだと再確認させられる。


 人間と変わりない笑顔、言葉使いだというのに。


「あやかしを描いてる絵なんてこの世に五万とあるだろ? 俺の絵はそのコレクションに入れる価値もない」

「ダメダメ。ネガティブな発言は疫病神を呼ぶヨ」


 ウィリアムは豪快に笑い、美夜の肩を抱いた。もうはね除ける気力も残っていない。


「……俺自身が疫病神だから」


 美夜の小さな呟きにウィリアムが首を傾げる。


「いや、何でもない」

「最近の人間は完全な眼を持たないから、あやかしの絵も不完全なんダ」

「不完全?」

「そ。時々、ほんの少し眼のいい人間がいる。なんとなーくあやかしの存在を感じることができるし、ふとしたときに見えちゃったりする」

「へぇ……」

「そういう人が無意識の中に残っている記憶で描くんだ。だから特徴を捉えているけどどこか違って見える。本人たちは想像上の妖怪を描いている気分かもしれないネ」

「ふーん」


 妖怪をモチーフにした絵や漫画、作品は多い。描かれるバケモノはどこか似ているようで人によって違って見える。その理由が“眼が不完全だから”なのだとしたら面白い。


「あやかしか……」


 美夜が妖怪を描くのを辞めたのはいつのことだっただろうか。


 子どものころ、バケモノの絵を描くことは嫌いではなかった。強そうな角、大きな口、伸びる首。バケモノたちはどれも子ども心をくすぐるような出で立ちをしている場合が多い。


 小学生のころなどは、クラスメイトに見せて人気者になれたこともある。しかし、美夜を引き取ってくれた保護者たちは違った。彼らは『気持ち悪い』と美夜を避けるようになったのだ。


 子どもというのは残酷だ。親が『気持ち悪い』と言えば、素直にそれを受け入れる。それは毒のように侵食し、美夜は次第に世界の異物になっていくのだ。


「そんなものを集めてどうするんだ?」


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