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夜の新宿、十二単  作者: たちばな立花


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21/25

⑦-2

「え――……?」


 美夜は後ろを振り返った。しかし、人の影はない。


「お、じいさん……?」


 美夜は辺りを見回す。まっすぐ駅に向かう仕事帰りのサラリーマンが急ぎ足で歩いている。しかし、老人の姿は見当たらなかった。


 ポケットの中の饅頭を取り出す。


 確かにそれは先日貰った物と同じだ。


 地下街をぐるりと回ったが、老人の姿は見当たらない。


 美夜はイベントスペースへと戻った。


 ハンドメイドを展示している店からは客が消え、店員一人が暇そうに立っている。


「あの……!」

「いらっしゃいませ~」

「さっき来たご老人が来ませんでしたか?」

「え? 老人?」

「ほら、俺と一緒に話していた……! あ、その紙とペンを貸してください」


 美夜は紙とペンにさらさらと老人の顔を描く。


 細いけど優しい目をしていた。目尻と頬の周りの皺が多かったのはいつも笑顔だった証拠だ。そして、大きな眼鏡をかけていた。


「わあ! お上手ですね」

「こんな感じの老人で、身長は俺より少し低いくらいで……」


 美夜は身振り手振りを使って老人の特徴を説明していく。しかし、美夜が真剣になればなるほど。店員の顔は冷ややかになっていった。


「……あの、さっきも一人で喋ってましたけど、YouTubeとかのドッキリ企画とかですか?」


 店員は怪訝そうな顔で美夜を見て、カメラを探すように辺りを見回した。


 美夜はポケットの中の饅頭を握り絞める。


「いや、だから……。いや、何でもないです」


 美夜は頭を下げると、店を後にした。


 来た道を戻る。脳裏に過るのは、楽しそうに孫の自慢をしていた老人の笑顔だった。笑うと更に皺が寄るのだ。


「祖父さんだったのか……?」


 潰れた饅頭に問いかける。もちろん、返事があるはずがない。


 美夜は祖父の顔を知らない。物心着くころには保護者が代わって三人目だった。美夜が生まれたころに持っていた荷物はどこかで処分され、祖父や両親に関するものは何一つ残っていなかったのだ。


 親戚を頼り、写真がないか探したこともある。しかし、三人の写真はまったく見つからなかった。


 視界が歪んだ。


 酔ったときと同じような感覚に、ぎゅっと目を瞑る。瞑った目から涙がこぼれ落ちて、頬に流れた。


 美夜は慌てて涙を拭った。


 ポケットにしまっていたスマートフォンが震える。――ウィリアムからの電話だ。一度は切ったが、何度も掛かってくるので仕方なく出た。


『ミヤ、今どこー? ついたヨー』


 陽気な声が響く。あまりにも呑気な声に苛立った。


「……うるさい」

『えっ!? ミヤ、泣いてる!? ダイジョウブじゃないネ!? どこに迎えに行く!?』

「だから……うるさい」

『ちょっと待ってネ!』


 ガヤガヤと電話の向こう側がうるさい。ウィリアムの呼吸が電話越しに響いた。


 メモ帳に描いた似顔絵が、涙でにじむ。優しい笑顔だった。


 美夜には人ならざるモノが見える。それはあやかしだけではない。この地に残る幽霊だって見ることができるのだという。


(どこに行ったんだよ……)


 もう一度会いたい。もう一度。


「ミヤッ!」


 地下街にウィリアムの声が響く。見上げると、空の色をした瞳がうっすらと夕日の赤を帯び始めていた。


「どうやってわかった?」

「後ろのBGMでわかったヨ」

「凄いな。さすが、刑事ドラマ好きなだけあるわ」

「ミヤ、どうしたの? 誰かにいじめられた? 僕がやっつけてあげるヨ」


 ウィリアムが美夜の頬を撫でた。血の気が通っていないような冷たい手だ。心配そうにハの字に下がった眉。


 美夜の目から再び涙がこぼれた。


「ミヤ!?」

「……うるさい。少し黙れ」


 涙が止まらないのはウィリアムの声がうるさいせいに違いない。



 ◇◆◇



 結局、美夜とウィリアムは何もせずに家に帰ってきた。


 ずっとウィリアムが何か言っていたが、美夜の耳にはまったく入ってこなかった。


 老人の笑顔と声が美夜の頭を支配する。


 部屋に戻っても眠ることができず、新宿の街を朝日が昇るまで見下ろした。


「ミヤ、オハヨウ」

「ああ……。もう朝か」

「も、もしかして……寝てないの!? 目が腫れてるし、隈も凄いヨ!?」


 ウィリアムが慌てて濡れタオルを用意する。しっかりと絞れているあたり、成長を感じた。


 冷えたタオルが目の熱を奪っていく。


「ウィリアム。俺、家に帰るわ」

「……何言ってるの。ミヤの家はここデショ」

「違う。拝島の家」

「なんで? 十二単のあやかしを見つけたから?」


(そういえば、そういう約束だったな……)


 美夜は苦笑をもらす。あまりの居心地のよさに、気づかないふりをしていたのだ。


 ウィリアムが美夜の肩に頭を押しつける。柔らかい金の髪が頬に当たってくすぐったい。


「帰らないでヨ……。僕ともっと遊ぼう?」

「なんだそれ。帰ってほしいのかほしくないのか、どっちだよ?」

「帰ってほしくないに決まってるデショ。ミヤがいなくなったら、また僕はこの街にひとりぼっちだヨ」


 ウィリアムは美夜の肩に頭を擦りつける。駄々をこねた子どものようだ。


「あのな……。戻ってこないとは言ってないだろ?」


 美夜の言葉にウィリアムは顔を上げて目を丸める。透き通った青の瞳がキラキラと輝いた。


「どういうこと!?」

「画材を取りに行こうと思って」


 出会ったとき「もう描かない」と豪語していたあとだから、少し恥ずかしい。美夜は頭を掻いた。


「ワオ! それなら必要ないヨ!」

「……は?」

「ほら! こっち!」


 ウィリアムは立ち上がって、力強く美夜の腕を引く。


 彼は美夜を隣の部屋まで引っ張ると、勢いよく扉を開けた。


「なんだよ、これ……」


 窓際に置かれた新品のイーゼル。絵の具や筆、ペインティングナイフ。油壺に至るまで、十畳の部屋にはすべて新品が並んでいた。


「店員さんに聞いて必要そうなものは全部揃えたからダイジョウブだと思うけど、足りないものがあったら言ってネ」


 美夜はただただ立ち尽くすしかなかった。


「どうしてこんな……。俺は描かないって言っただろ?」

「モチロン、いつでもミヤが描きたくなったときのためだヨ。描きたいときに描けないと悲しいデショ?」

「全部揃えたら結構するんだぞ? そんな描くかもわからないような奴のために用意するもんじゃない」

「ダイジョウブ、ダイジョウブ。シャンパンタワーに比べたらはした金だヨ」


 ウィリアムは満面の笑みで笑った。


 それを言われると、美夜は苦笑を返すしかない。ホストクラブで散財したのは他でもない、美夜なのだから。


「どうする? 一回帰る? 使い慣れたモノがよかったら……」

「いや、いい。こっちのほうがいい絵が描けそうだ」


 美夜は真新しい筆を持って言った。


 今は一分でも早く絵が描きたかったのだ。


 画材屋に売っている筆を全種類集めたような量が並んでいる。本当に手当たり次第買ったのだろう。


 油絵の具だって画材屋が開けそうなほど並んでいた。


 美夜は息を吸い込んだ。


 わずかに感じる油絵の具の香り。懐かしい、故郷を訪れたような気分にさせた。



 ◇◆◇



 最初は不安でしかたなかった。一ヶ月以上筆を持っていなかったのだ。もう線の一つうまく引けないのではないかと思ってもおかしくはない。


 一本の線が引けたとして、それが絵になるのか。描くまで不安で仕方なかった。


 すべての道具を開封していくときは胸が高鳴り、早く描きたいと期待に満ちていたというのに。


 いざ、筆を持つと手が震えた。


 裏切り続けてきた美夜に、親友は応えてくれるのだろうか。


 美夜はゆっくりと瞼を落とす。



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