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⑤-1

 美夜は鏡に映った自分の姿に頬を引きつらせる。


「ワオ! ワンダフル! 美しいヨ、ミヤ! 本当に女の子だったら血をもらいに部屋に忍び込んでいたところだヨ!」

「それ、全然褒め言葉になってないからな」

「なんで!? 吸血鬼にとっての最高の褒め言葉なのに?」


 美夜の口からはいつもよりも低い声が出た。今なら、吸血鬼さえも呪い殺せそうだ。


「ほらほら、女の子なんだからもっと高い声出して」


 結局、美夜はスカートを履いた。ウィリアムが用意した服は、全身黒のドレスだ。わざわざ胸まで伸びた黒のウィッグまで被らされている。厚化粧を施しているからだろうか、パッと見ただけだと、人形のようだった。


 口を開くまでは。


「いや、これで外を出るのは無理だろ」

「ダイジョウブダイジョウブ。とっても可愛いヨ」

「いや、おまえの大丈夫は信用できん」


 今までウィリアムの言葉を信じてよかったことがあっただろうか。短い付き合いではあるが、まったく記憶にない。


 その軽すぎる『ダイジョウブ』は信用するなという意味と同意だと思う。


 改めて、美夜は自分の姿を鏡にうつす。


 黒のレースが着いたスカートの下には、ボリュームを出すパニエと呼ばれるスカート状の下着を着せられた。肩が風船でも入っているのかというほど膨らんだブラウスには何も入っていないようだ。布の力だけでここまで膨らむとは知らなかった。


 どこかしこにレースがあしらわれ、ついでに頭の上にもレースで作ったリボンがのせられた。


 もっと色が華やかであれば、ロココ時代の絵画にでも出て来そうな格好だ。


 街を歩いていると、時々こういう格好の女性を見かけることはある。しかし、それは稀なことだ。美大の後輩にも似たような服を着ている女性はいた。


 その辺の服屋では見たことのない系統の服だ。


「こんな服、どこで見つけてきたんだ?」

「ネットでポチったヨ」

「へえ……。ネットには何でもあるんだな」

「令和だからネ。ほら、これに合わせて小物も用意したヨ」


 ウィリアムは嬉々として、バッグや財布、靴を美夜の前に並べていく。完璧すぎる準備に美夜は頬を引きつらせた。


「おまえ、絶対楽しんでるだろ?」

「そんなことないヨ! これは致し方なしだって! ダイジョウブ、ダイジョウブ。今日はタクシーを呼んでるから近くまでいけるヨ。ほら、時間だネ! 行こう!」


 ウィリアムの手を引かれ、美夜は不承不承家を出た。



 ◇◆◇



 午後八時を過ぎたころ、美夜は歌舞伎町の近くでタクシーを下ろしてもらった。歌舞伎町に行くまでのわずかな時間で、運転手から何度も質問を受けたがすべて聞き流した。


 少しでも声を出せば、すぐに男だとばれてしまいそうだったからだ。


 美夜の格好はひどく人目を引く。道行く人に見られて、身体中に穴が空きそうだった。花道通りが長いランウェイのように感じたのは言うまでもない。


(絶対もう二度とこんな格好するもんか……)


「あったあった! ミヤ、『ポラリス』はここの二階だってサ」


 ウィリアムが陽気に雑居ビルの看板を指差す。確かに黒地に金の字で『ポラリス』と描かれた店があった。


 美夜は息を吐き出す。


「……やっぱり帰ろう」

「ダメダメ! ここまで来たんだから楽しんでいこう!」

「楽しめるわけないだろ」


 ウィリアムはいつだって人ごとだ。美夜の心労など全く理解していないのだろう。


 男子禁制の場所で、もし男だとばれたら? 美夜の尊厳よりも命の心配をする必要があるのではないか。


「あの……。入らないんですか?」


 美夜が扉の前で葛藤していると、後からきた女性が怪訝そうな顔をして美夜の背中を叩いた。


 思わず背筋を伸ばし、美夜は高い声で「あ、ハイリマス」と返すしかなかったのだ。


 比較対象が一つしかないが、『ポラリス』の内装は『ヴィーナス』よりもギラギラとしていた。赤地に黒のダマスク柄の壁紙が天井まで伸び、装飾は金で統一されている。深紅の絨毯と同じ色のソファー。テーブルは黒で統一されている。


 開店時間とほぼ同時にきたはずなのに、既に席の半分は埋まっていた。


 システムの説明を聞き流し、美夜は辺りを見回す。似たような顔をした男たちが女を相手に接客している。


 タブレットをスライドさせて写真を見ていった。初回は写真で数名のホストを選んで接客をしてもらえるようだ。


 アイドル顔負けのキメ顔とポーズをとった写真が次々と現れて、美夜は感嘆の声を上げそうになった。


(女装を選んでよかった……)


 こんなことをさせられていたら、ホストとして立つ前に逃走していただろう。女装も女装で逃げ出したいのだが。


「名前なんだっけ?」

「ショウだよ、ショウ」


 小声で尋ねると、ウィリアムも美夜と同じように小声で返した。彼の声は他の人には聞こえないので、なぜ小声になったのかはわからない。


 ペラペラと捲っていくとショウと書かれたホストが出てくる。


 金髪の華やかな顔のイケメンだ。髪をかき上げるポーズをとって、こちらを見ている。美夜はいつもより高い声で、黒服の男に「このショウ君を指名で」と言った。


「初回から指名してくれるなんて嬉しいな」


 ショウと名乗ったホストは白い歯を見せて笑うと、美夜の隣に座る。「何飲む?」と聞かれ、「ウーロン茶」と答えてもショウは嫌な顔一つせずに注文した。


「姫の服装可愛いね。本当にお姫様みたいだよ」

「そりゃ――……ありがとう」


 つい、「そりゃどうも」と言いそうになって、美夜は満面の笑みを浮かべた。同じ男に、しかも「可愛い」と褒められて嬉しいわけがない。


 服の下では鳥肌が立っていた。


「ほら、ミヤ。可愛いって。僕の目に間違いはなかったデショ」


(何がデショ、だ。こんなのお世辞だろ)


 世辞の一つも言えないとホストなんてやってられないだろう。


「姫はホストクラブ初めて?」

「あ……うん。なんでわかったの?」

「なんとなく、初々しいなって思って」


 優しく笑みを向けられるたびに鳥肌が増えていく。そのあと、ショウとの当たり障りのない会話が続いた。「ふだんは何をしてるの?」というめんどくさい質問から始まって「好みのタイプ」などなど、それに答えるたびに高い声を出さなくてはならず、喉がキリキリと痛い。


 すぐにでも十二単について聞きたかったが、唐突に聞けば怪しまれてしまうだろう。しかし、タイングを見計らっているうちに、ショウは黒服に呼ばれ、別の席へと行ってしまった。


 代わりに来た男に詳しく聞くと、別にもショウを指名している女がいるらしい。指名が被ることはよくあることで、そういうときはヘルプと呼ばれる男がそのあいだ、美夜の相手をしてくれるのだそうだ。


「ショウくんって人気なんだ?」

「そうっすね。結構人気っす」


 ヘルプが酒を飲みながら頷く。ショウは少し離れた席で女性の接客をしている。彼が人当たりのよさそうな笑みを向けると、女性がポッと頬を赤らめた。


 美夜は視線を彷徨わせる。どの席も楽しそうにしているが、一つだけ雰囲気の違う席があった。地味な格好の女性がグラスを持ったまま、まっすぐショウを見つめている。


 飾りがほとんどない茶色のワンピース。長い髪は一つにまとめているが、前髪が長いせいかどこか暗い印象がある。


 ヘルプはついていないようだ。


「あの子は?」

「あー。気になります? ショウさんの姫ですよ」

「へえ……そうなんだ。一人で飲んでるけど」

「あ、あれはあの姫が一人で飲みたいって」

「そんなこともできるんだな」


(どっかで見たことがあるような……)


 考えてみたけれど、思い出せない。人の多い新宿だ。もしかしたら知らないあいだにすれ違っていたのかもしれない。


 美夜は女を観察しながらウーロン茶を飲んだ。視線をヘルプに戻すと、肩を揺らして笑っている。


「すんまんせん。なんか姫さん、男みたいにかっこいいなって。声も低めだし。ほら、そんなフリフリな格好してるのに……。なんていうの? ギャップ?」


 ヘルプは満面の笑みで「そういうの萌えるっす」と言った。


 どう言いつくろうべきか悩み、美夜は顔を引きつらせる。


「い、いやぁ~。男っぽいってよく言われるのぉ~。でもすごい気にしててぇ」


 バッグの中からフリルがついたハンカチを取りだして、美夜は涙を拭う素振りを見せた。冷や汗が止まらない。本当は出ない涙ではなく、額の汗を拭いたいところだ。


 汗が滲み出て、前髪がへばりついている。


「ええっ!? すんませんっ。いや、素直にかっこいいなって……。いや、姫は可愛いっす!」


 美夜が本当に傷ついたと思ったのか、ショウが戻ってくるまでのあいだ、ヘルプは終始可愛いと持ち上げてくれた。


 そんな慰めは必要ないのだが、男だとばれていないようで安堵している。


(ついたヘルプが馬鹿でよかった……)


「待たせてごめんね」


 ショウは二卓回って、美夜のところへ戻ってきたようだ。しかし、茶色のワンピースの女には五分もついていなかったように思う。


「あの子、いいの?」

「あー。大丈夫。それより姫と話したかったからさ」


 白い歯に自信があるのか、やけに歯を見せて笑う。ヘルプで来てくれた男のほうが話しやすかったのだが、この男からしか手に入れられない情報が欲しいのだ。


 美夜は満面の笑みを返す。


(やべ、顔が引きつった)


「ショウくん、喉渇かない? シャンパンでも入れようか?」

「え、いいの!? お金大丈夫? 無理してない?」


 シャンパンを入れると、アユミは饒舌になった。キャバ嬢もホストもその辺は同じだろう。『シャンパン』という単語を耳にした瞬間、明らかにショウの目の色が変わったから当たりだ。


「お金は大丈夫。稼いでるから」


(……ウィリアムが。だけどな)


 一度は言ってみたい言葉だ。


 ショウにねだられたシャンパンを入れる。値段はわからないが、ウィリアムの顔色を見る限り、彼にとっては大した額でもないのだろう。


(最近、金を使いすぎて感覚が麻痺してきた)


 普通の生活に戻ったときに気をつけないと、すぐに無一文になってしまいそうだ。


 場が温まったところで、美夜は口を開いた。


「ねえ、最近変な噂を聞いたんだけど、知ってる? 十二単のオンナの人が出るってやつ」

「知ってる知ってる。姫も見たことある?」

「ううん。見たことない。けど、一回くらい見てみたいなーって思って」

「俺も見たことないんだよね。でもさ、よく俺とのアフターのときに出るっぽくて」

「そうなの? なのにショウくんは見たことないんだ」


 つまり、ショウの目はあやかしとは縁がないのだろう。普通の人の目ということだ。


「そうなんだよねー。でも、俺とアフターに行った子が結構な頻度で見るから、姫もいけるかも」

「ショウくんとのアフターはどうやったら行ける?」

「ん~。今日いっぱい楽しんでくれた姫と行くようにしているんだ」


(つまり、金を積めってことか)


 わかりにくい言い方だが、売り上げに貢献した女と営業後のデートをするということだろう。なんともわかりやすいシステムだ。


(そういうことなら豪遊しようじゃないか)


 こんな屈辱的な格好までさせられているのだ。少しくらいウィリアムの財布を傷めつけても構わないだろう。


「わかった。どうやったらホストクラブで楽しめるのかな? 初めてだからわからないんだよね」

「楽しむためにはそれなりにお金が必要なんだけど、大丈夫かな?」


 ショウの探るような顔に、美夜は笑いを堪えて財布の中からチラリとクレジットカードを見せる。よくよく聞いたところによるとこのクレジットカードは普通のものではないらしい。


 クレジットカードの類いは作ったことのない美夜には違いがわからないが、金属で出て来ていて少し重い。


 見る人が見ればその価値がわかるようだ。


 どうやら、ウィリアムの説明は本当だったようだ。クレジットカードを見た瞬間、ショウの目の色が変わった。


「どう? 楽しみ方、教えてくれる気になった?」

「もちろんだよ」


 気分はセレブのお嬢様だ。



 ◇◆◇



 ホストクラブは貴族の遊びだ。一晩でこんなに金を使うのかと驚いた。


 支払いのときにウィリアムが言った「もっと遊んでもよかったのに」という言葉が忘れられない。美夜にとっては豪遊だったが、ウィリアムにとってはそうでもなかったようだ。


 しかし、美夜にとっては一晩で数年分の生活費を使い切ったような気分だった。


 なんでもない顔で支払いができたのは奇跡だ。


 クレジットカードを出す手が震えなくて本当によかったと思う。


 美夜は「もう一度飲み直そう」というショウの誘いを受けた。アフターというものには興味はないが、とにかく十二単と会える可能性に賭けたのだ。


「この先に行きつけの店があるんだ」

「へえ。いつもそこに別の姫も連れて行くんだ?」

「そ。もしかしたら十二単のオンナが見られるかもよ?」

「それは楽しみ」


 終電は既に終っているというのに、歌舞伎町は輝きを失ってはいない。まるでこの街自体が大きなバケモノのようだ。


 夜の街をうごめき、彷徨い歩く人を喰らう大きな妖怪。


 足の隙間を通り抜ける風に違和感を覚える。何時間履いてもスカートは慣れない。


 ショウはよほど今日の売り上げに満足しているのか、ご機嫌で美夜に話しかける。それに相槌を打ってはいるが、何の話をしているのかまでは聞いていなかった。


「それでさ――……」


 ふと、冷たい風が足元を駆け抜けた。まるで木枯らしのような冷たさに美夜は身震いする。美夜は風の吹いた方向に視線を移した。


「見つけた……!」


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