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④-1

 生きていれば、選択に迫られることは多くある。


 たとえば、帰ってすぐに宿題を終わらせるか、それとも遊んでから宿題をするか。そんな小さな選択から始まり、どの会社に就職するか。など、人生を左右する選択まで様々だ。


 美夜は今、究極の選択を迫られている。


 ホストになるか。それとも、女になるか。である。


 タワーマンションのリビングルームに並べられたのは、可愛い女性用の服と、ギラギラとした男物のスーツ。どちらも美夜の趣味からは遠く離れている。


「男のまま客として行ってもいいだろ?」

「残念デシタ。『ポラリス』は男子禁制だって」

「まじかよ……」

「どっちも捨てがたいヨネ。でもこのスカート似合うヨ。絶対」

「なんでこんなフリフリなんだよ」


 ウィリアムが嬉々として広げた女物の洋服は、西洋人形が着ていそうな服だった。黒のレースがふんだんについたスカートと、肩が風船のように大きく膨らんだシャツ。詰め襟にもレースがあしらわれ、胸元にはリボン。


 町中を歩いたらひどく目立ちそうだ。


「ミヤは女顔だし、ヒョロヒョロだけど男だろ? 体型を隠すならこれくらいフリフリしたほうがイイかと思ってネ」

「なるほどな……」


 確かに一理ある。一理あるが、到底納得できるものではない。


 女顔であるだとか、男にしては身長が低めだとはよく言われてきた。そのせいで女装を強いられてきたことは幾度となくある。


 学園祭の出し物で、絵のモデルで。「またか」という諦めの気持ちと同時に、「なんで俺が」という怒りが湧いてくる。一度だって美夜は望んだことはない。


 美夜はウィリアムを見上げて、顔を歪めた。


「おまえ、楽しんでるだろ?」

「ソンナコトナイヨ。ボク、よくわからないヨ」

「いつも以上にカタコトになってるぞ」

「僕はただ、美夜はお喋りが苦手だからホストよりは客のほうがまだやりやすいカナーって思っただけだヨ。相棒思いデショ?」

「デショじゃないし、相棒になったつもりもない」

「ひどいなぁ。そんな素気なくされると傷ついちゃうヨ」


 ウィリアムはわざとらしく背中を向けてしゃがみ込む。同情を誘うためのパフォーマンスであることはわかっていた。


(こいつを今すぐ窓から投げ捨てたい)


 彼はいつもヘラヘラと笑って美夜の言葉をするりと躱していく。低反発枕を殴り続けているような気分だ。


 十二単の妖怪を捜しているのはウィリアムのはずなのに、彼は見つかっても見つからなくてもいいような雰囲気で、無責任に笑うばかり。手伝っている美夜のほうが必死になっている。


「僕のおすすめはこっちだけど、新人ホスト体験でも大歓迎ダヨ。女の子に『姫』って呼んでるミヤは想像がつかないけどネ」

「絶対に楽しんでるだろう?」

「ナイナイ。楽しんでなんてないって。まあ、時間もあるし、ゆっくり考えてよ~」


 ウィリアムは逃げるように二階への階段を上がり、仕事部屋へと消えて行った。


 美夜は残された服を呆然と見下ろす。


 フリフリのスカートを持ち上げて、腰に当てた。


 少しだけ想像してみよう。ホスト相手にこれを着て情報を聞き出す。想像しただけで鳥肌が立った。


(いや、ないな)


 スカートを放り投げ、テロテロの黒いシャツを持ち上げる。普通のワイシャツとは違う、ツルツルと光沢のある生地でできたシャツだ。黒の中に金糸が編み込まれているのか、ところどころ無駄に光り輝いている。


 白いスーツはタイトなデザインで、テレビで見かける人気のホストを意識しているとしか思えない。


 スカートを履くよりか、こちらのほうが幾分かマシか。


(いや、これを着て女の相手をするのか……)


 情報を得たいのはホストなのに、関係のない客の相手をする必要があるのだろうか。あまりにも非効率的だ。


 美夜はテカテカと輝くシャツも放り投げた。


「どっちもナシだろ。普通に」


 美夜は頭をガシガシと掻く。ボサボサになった頭のまま、柔らかなソファーに突っ伏した。


 何が楽しくて女装をしたり、ホストになったりしなければならないのだ。こんなことになるのであれば、ウィリアムの手を取らなければよかった。


 美夜のため息はソファーに吸い込まれて行く。


(そもそもなんでこんな手伝いしているんだろうな)


 ごろりと転がって、窓の外を見る。見慣れてしまった新宿の街。


 金がない今、ウィリアムの手を取るしかなかった現状を鑑みても、もっと違う方法で稼ぐこともできただろうとも思う。


 やはり、夜は判断力を鈍らせる。


 美夜に似つかわしくない空の上の生活。質のいい暮らし。早く抜け出さなければ、この生活に慣らされてしまう。


 家猫になってしまう前に野良に戻らねばなるまい。


 沈み行く夕日を見ながら、美夜は決心した。


(こうなったら一人でも見つけに行くか)


 子どもではないのだから、一人でだって夜の街を出歩くことができる。十二単の妖怪を見つけてさえしまえば、女装もホストも選ぶ必要はない。


 呑気なウィリアムに調子を合わせていたら、一年も二年も新宿の街に囚われてしまいそうだ。


 美夜は財布だけひっつかむと部屋を出た。



 ◇◆◇



 歌舞伎町までの道すがら、美夜は画材屋の前で立ち止まった。


 考え事をしていたせいだ。それはほとんど無意識だった。空を見上げる。ビル一つ分に詰まった画材。初めてここを訪れたときの胸の高鳴りは今でも忘れない。


 心臓の辺りがぎゅっと締まって、美夜は胸を押さえた。


(馬鹿馬鹿しい)


 美夜は絵が好きだという幻想に囚われていただけだ。きっと、指にできたペンだこが消えるころには、この感覚も忘れていくだろう。


 中指の第一関節と第二関節のあいだにできたペンだこを親指の爪で何度もはじく。勲章のように思っていたペンだこも、異物のように感じる。


 画材屋に背を向け、逃げるように横断歩道を走った。


 まっすぐ歌舞伎町へと向かう。


 土曜の夜。世間は休日のせいか金曜以上に人が多い。呑気歩く人の群れを少しでも抜かせないかと隙間をぬって歩いた。


 気が急いているのは自分でもわかる。ウィリアムが隣にいたのならば「ミヤは相変わらずせっかちだネ!」と言いながら追いかけて来ただろう。


 そんな吸血鬼の姿はない。もちろん、後ろを振り返っても酔っ払いしかいなかった。ショウウィンドウを見ても意味はない。


 靖国通りの歩道を歩いて、一番街のアーチまで辿り着く。相変わらずの人集りに美夜は辟易した。こんなところ連日訪れるなんてごめんだ。


(ここで見たとき、すぐに消えたんだよな)


 つまり、十二単の目的はここではないということだ。


 美夜は雑居ビルの壁に沿って立ち、スマートフォンを取り出した。SNSを開く。検索履歴は十二単に関することばかりが並んでいる。そのうちの一つを選択して新しい目撃情報を探す。


『最近、よく十二単のコスプレよく見かける気がするけど、どこの店の嬢なんだろw』

『紫式部が現れるって噂聞いて歌舞伎町に寄ったけど、会えなかったー』

『SNSに写真一枚も載ってないし、十二単とか都市伝説みたいなもんだろ?』

『十二単、昨日は終電前に見た』


「終電前か……」


 美夜は画面をスクロールさせながら呟いた。美夜が見たのは八時前。そして、終電前にも目撃情報が残っている。


「本当にキャバ嬢だったりするんじゃないのか? そう思わないか? ウィ――……」


 美夜は隣を見上げた。そして、知らない男と目が合って、サッと顔を逸らす。


 一人だったことを思い出すのに時間はかからなかった。頭の天辺まで熱が昇っていく感覚。美夜は下を向いたまま足早に歌舞伎町の中心街に向かった。


(帰ったら絶対文句言ってやる)


 ウィリアムのやる気が足りないから美夜がこんな目にあっているのだ。少しくらい八つ当たりしても罰は当たらないだろう。


 一番街をまっすぐ進む。飲食店が並んでいるせいか、急に腹の虫が鳴った。


「あれぇ? 美夜くん?」


 甘ったるい声に美夜は身体を硬直させる。か細い手に腕を掴まれた。


 声以上に甘い香水の匂い。


「やっぱりそうだぁ。アユミだよ。覚えてる~?」


 アユミは美夜の顔を覗き込む。香水の匂いをより一層強く感じ、美夜は後ろに一歩後退った。


「あ、ああ。どうも」


 服装が違うからか、雰囲気ががらりと変わっていた。皮一枚付け足したようなドレスではなく、今日の服は服として機能している。膝が見える短めのスカートではあるが、肩も胸元も隠れていた。


「また会えるなんて思わなかったよ~。昨日はすぐ帰っちゃうんだも~ん」


 アユミは満面の笑みを浮かべたまま、美夜の腕に自身の身体を絡める。


「よかったら今日も寄ってかない?」

「悪い、今日は用事があるから」

「三十分でもいいから。サービスするよぉ」


 道行く人の視線が突き刺さる。美夜は顔を引きつらせた。「サービスなんかいらん」と突き放したい気分ではあったが、あの店が十二単と無関係とは限らない。


 美夜が個人で『ヴィーナス』に行くことは間違ってもないが、十二単を捜すためにまた行くかもしれない。そのことを考慮すると、あまりことを荒げないほうがいいだろう。


「悪いな。本当に今日は用事があるんだ。また今度」

「ほんと~? また来てね? 絶対だよぉ?」

「あ、ああ」


 できれば『また』は一生来ないでほしい。美夜は急いでるフリをして、区役所通りに向かってまっすぐ歩いた。


 一人で歩く歌舞伎町は色んなモノが見えてくる。ここで怖いのは人間なのか、あやかしなのか。


(あの男はガラスに映ってない。……バケモノか)


 見えない風を装って、美夜は熊のように大きな男の横を横切る。鋭い眼がぎろりと美夜を見つめたが、平然と歩いた。


(見えない。俺は何も見えない……)


 まじないのように心の中で何度も唱える。歩くことだけに集中していたせいで、区役所通りを慌てて渡り、美夜はゆっくりと息を吐き出した。しかし、バケモノは一人だけではない。


 歌舞伎町のあちらこちらにいる。


 ウィリアムと一緒に歩いていたときはそこまで感じなかった恐怖。もしかしたら、彼が注目を一心に集めていたからかもしれない。


 妖怪を避けるように道を選択し、その先で現れたバケモノをまた避ける。そうしているうちに、神社に辿り着いた。


(さすがに神社にバケモノはいないだろ……)


 美夜は息を吐き出して、階段を登って鳥居を潜る。真っ赤に塗られた本殿を見上げた。


 空気が変わったような気さえする。少なくとも、ここなら妖怪に襲われるようなことはない気がして、美夜は石でできた階段に腰を下ろした。


 参拝を終えたカップルが前を横切る。美夜はポケットからスマートフォンを取り出すと、SNSを開いた。


 最近では見慣れた画面。検索ワードの履歴を確認するが、追加の情報はない。


「今日は十二単も休みか」


 美夜は無造作にスマートフォンを隣に置く。


 空を見上げた。


 葉桜の合間から見える夜の空。月が浮かんでいた。都会の輝きが夜空の星を隠す。目を凝らしてもそれらしい光りは見えなかった。


「ミャァオ」


 猫の声につられて視線を下ろすと、美夜の隣に黒猫がちょこんと座っている。星のように金に光る二つの瞳。


「人慣れしてるな……地域猫か?」


 美夜は真っ直ぐ猫の頭に向かって手を伸ばした。しかし、黒猫はするりと躱し美夜の膝の上を渡って反対側へ。そして、美夜のスマートフォンを銜えた。


「おいっ!」


 美夜が叫ぶや否や、黒猫は走り出す。美夜は慌てて追いかけた。


 参道を駆け抜け、鳥居を潜る。黒猫はあっという間に大きな道路を駆け抜けた。しかし、不思議と美夜が信号待ちをしていると足を止め、振り返るのだ。


 どこかに連れて行こうとでもしているようだった。


「待てっ!」


 新宿の街で猫と追いかけっこをする羽目になるとは誰も思うまい。もし、最初に知ることができていれば、ウィリアムの誘いをはね除け、家に帰る電車に乗っていたと思う。


 大きな道路を二回渡り、黒猫を追いかけて路地へと入る。黒猫は明かりのついた建物の中に入って行った。


 暖簾のかかっている様子から、飲み屋だろう。わずかにあいた隙間から温かい明かりが漏れる。美夜は遠慮がちに引き戸を引いた。


 カラカラと昔ながらのドアを引く音が響く。


「すみません、黒猫がスマホ持っていきませんでした――……か?」


 最後まで言葉を言えたかどうか、美夜にはわからなかった。眼に飛び込んできた大きな女が、顔まで狸のように毛むくじゃらだったからだ。


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