③-3
美夜は思わず声を荒げた。
「悪い」
「いーよいーよ。でも本当に好きなんだぁ。えっとね、わたしは見たことないけど見たって子がいるのぉ。聞きたい?」
アユミは身を乗り出して美夜の顔を覗き込む。
「ああ」
「でもぉ。わたしの時間、もぉ終わりみたい」
最初のシステムの説明で順番に三人つくと言っていたのを思い出す。諦めかけた瞬間、隣で暇を持て余していたウィリアムが美夜に耳打ちする。
「ミヤ、こういうときこそお金を払って場内指名だヨ」
「場内……指名?」
つい、ウィリアムの言葉をオウム返ししてしまった。誰も彼の姿は見えないし、言葉も聞こえない。美夜は慌てて口を噤む。
「美夜くん、場内指名してくれるのぉ?」
「……ああ。だから十二単について教えてくれ」
「もちろんだよぉ。あ、じゃあ、話す前に何か飲んでいい? 美夜くんはなんか飲む?」
美夜はアユミのペースに流されながら、「ウーロン茶で」と答えた。
「またウーロン茶だ。お酒飲めないの?」
「多分」
「飲めるでも飲めないでもなくて多分なんだぁ。面白―い」
アユミの楽しそうな笑みに美夜は苦笑で返す。何が面白いのかまったくわからない。心底、ここは美夜にとって場違いなようだ。
「ねえ、美夜くん、シャンパン入れていーい?」
「好きにしろ。俺は飲まないけど」
どうせ払うのはウィリアムだ。彼は『一晩豪遊したくらいじゃ破産しない』と豪語していた。豪遊がどの程度のものかは知らないが、シャンパンの一本や二本では財布も傷まないだろう。
アユミは感嘆の声をあげながら、黒服にシャンパンを頼んでいた。
「それよりさっさと十二単に関して教えてくれ」
「そうだったね。ごめんね。シャンパン嬉しくて。情報もサービスしちゃう。レイコっていう子がいるんだけど、その子が何回か見たことあるらしいよぉ」
「レイコ?」
「そうそう。ほら、あそこにいる赤い髪の子」
アユミは遠くの席で接客中の女を指差す。赤茶の髪をまとめ優雅に微笑んでいる女のことだろう。レイコという名前がよく似合う華やかな横顔。
辛めの赤いドレスが彼女によく似合っていた。腰の辺りまで背中が開いていて心許なくはあるが。
「あの子、ホス狂なんだけどぉ」
「ホ、ホス狂……?」
聞き慣れない言葉に、美夜は目を丸くする。ウィリアムを見たが、彼は「わからない」とばかりに肩を竦めた。
「ホストに嵌まってるの。その担当とアフター行く途中で毎回も見るんだってぇ」
「悪い、その担当っていうのは? あと、アフター」
「そこからか~。指名してるホストだよぉ。アフターは閉店後にデートすること」
シャンパンがよほど美味しいのか、アユミは上機嫌で教えてくれた。美夜は相槌を打つ。ウィリアムも知らなかったようで「へぇ!」と感嘆の声を上げている。
ホストと会っているときに何度も見ているとなると、そのホストが鍵になるかもしれない。美夜がちらりとウィリアムに目を向けると、彼も頷いた。
「そのホストがどこの誰かはわかるか?」
「えぇ~。個人情報はちょっとねぇ~」
美夜は仕方ないと肩を竦める。無理に聞き出そうとして面倒ごとに巻き込まれても困る。レイコの顔がわかっている以上、調べる方法は他にもあるだろう。
しかし、アユミが満面の笑みを浮かべて美夜に耳打ちした。
「でもぉ~。シャンパンをもう一本頼んでくれたら口が滑っちゃうかもぉ」
「一本でも二本でも」
「美夜くん太っ腹ぁ~。もしかして、美夜くんってお金持ち? 着てるジャケットも高いやつだよね?」
アユミの言葉に美夜は苦笑を浮かべた。
アユミは「すごーい」と美夜をおだてているが、気分はあまりよくない。この讃辞はすべてウィリアムが作り出したものだ。
着ているものも、今日の支払いも。美夜はただ、表に出ることができないウィリアムの代わりだ。
居心地の悪さにウーロン茶を飲む。アユミがシャンパンを頼んでいるあいだにレイコを盗み見た。
つり目。薄い唇。口元の黒子。耳は小さくて薄い。店の外で捜すときに忘れないようにしておかなければ。レイコが席を立って、美夜の視界の入らない席へと移動した。代わりにレイコの座っていた席に座ったのは、紺色のワンピースを身に纏った地味な女だ。
「美夜くん誰見てるのー? あ、ユキちゃん?」
「いや、一人だけ雰囲気が違うなと思って」
この店のキャストは全員、艶やかな格好をしていた。身体のラインがわかるぴったりとしたドレス、開いた胸元、むき出しの肩、背中まで見せている女もいる。そんな中で、ユキと呼ばれた女だけは全身を守るような服装だったのだ。
「まだ入ったばかりだから勝手がわからないみたい。あの子、レイコさんの紹介なんだよ」
「へえ」
たどたどしい手つきで酒を作っている姿を見て、新人だというのも納得できた。まだ二十そこそこだろうか。
「なに? あーいうのがタイプ?」
「別に」
「美夜くんって恋愛とか興味なさそうだもんね」
「勝手に分析するな」
「ごめんごめん。それより、さっきの話の続き」
アユミが美夜に太ももに両手を乗せて体重を掛ける。美夜は思わず眉を跳ねさせた。しかし、彼女は気づいてないのか笑みを浮かべたまま身体を寄せ、美夜に耳打ちする。
「レイコさんの担当は『ポラリス』のショウくんって人だよぉ」
最後に耳に息を吹きかけられ、全身の鳥肌が立った。
「わたしが言ったこと秘密だよぉ?」
「あ、ああ……」
甘い香水の匂いが充満して、頭がクラクラする。美夜はわずかに残っていたウーロン茶をあおった。
そして、逃げるように店を出る。アユミには何度も引き留められたが、これ以上聞き出せる情報もなさそうだったし、何より耐えられそうになかったのだ。
エスカレートするアユミのボディータッチも、強い香水の香りも美夜には慣れないものだった。
美夜は大きく息を吸い込んだ。新宿の空気がうまいと感じたの初めてのことだった。
「お疲れサマ」
ウィリアムのねぎらいの言葉に美夜は苦笑を浮かべる。
「……早く風呂に入りたい」
身体中にたばこの匂いと香水の匂いが染みついている。どちらの匂いもあまり好きではなかった。
「ミヤの顔真っ青だよ。帰ろう」
「ああ。結局十二単は見つからなかったな」
「でも、ヒントは得られたデショ」
「はあ……。さっさと見つけて終わらせたかったのに」
美夜は肩を落として歩き出す。人とヒトが入り乱れる花道通りをよそ見せずにまっすぐ歩いた。
確かにあの雑居ビルに十二単のオンナは入って行った。しかし、店内にはそれらしい姿は見かけなかったのだ。
「次はホストクラブに潜入だネ! ミヤ」
ウィリアムの顔には大きな字で『ワクワク』と書かれている。整った顔が台なしだ。夜になると、ウィリアムは財布以外ほとんど使い物にならない。彼は気楽に美夜の隣で茶々を入れるだけなのだ。
それは、さぞかし楽しいだろう。
「十二単、そのホストが関係してると思うか?」
「どうだろうね? でもレイコって子は何度もそのホストと一緒のときに見てるんデショ?」
「らしいな」
「だったら、レイコに憑いてる可能性もあるヨ」
ウィリアムと美夜は並んで新宿の街を歩く。花道通りを抜け、区役所通りに出る。繁華街を抜けたような気分になって、美夜は安堵のため息を吐いた。
風が吹くたびにたばこと香水の匂いが鼻にまとわりつく。
「どちらにせよ、ホストクラブも調べてみたほうがいいネ」
「……どうやって?」
ホストクラブとは、キャバクラの逆であることは理解している。男のキャストが接客をする場所だ。しかし、美夜は男で客として行くことは想像できなかった。
ウィリアムが目を細めて笑う。
嫌な予感がした。
「ミヤはホストになるのと女の子になるの、どっちがマシ?」
美夜はただ、彼の言葉に頬を引きつらせたのだ。