人気のないゴミ捨て場の横で
二時間目の休み時間。ジュリシスに指示されたとおりに、ゴミ捨て場脇の倉庫にやってきた。
掃除の時間なら生徒の姿があるが、二時間目の休み時間という半端な時間に、ここに来る生徒はいない。
倉庫は鍵が閉まっていたので、倉庫の前をうろつく。
「お姉さん! すみません。遅くなりました。邪魔者を捲くのに、時間がかかってしまった」
「邪魔者?」
「リタです。プールパーティーに誘われたけれど、行くわけがない」
「プールパーティー!?」
パーティーの件は諦めたはずなのに、条件反射的につい、食いついてしまった。魚が釣り針に食いついてしまうのと同じ習性が、私にもあるのかもしれない。
ジュリシスのネクタイを掴んで訴える。
「お姉さんが一緒に行ってあげる!!」
「遠慮しておきます」
「遠慮しないで! 大丈夫。水着は持っている」
ネクタイを掴んでいる私の手の上に、ジュリシスの右手が置かれた。
些細な動作なのに(手が大きい……。ジュリシスって、男なんだ)と、形容し難い感情が湧いた。
「お姉さんの水着姿を見てもいいのは、僕だけ。二人で、プールパーティーをしよう」
「二人で!? そんなのパーティーって言わない!」
「僕たちがパーティーだと認めればいいだけの話です」
「それこそ遠慮しますっ! なにが楽しくて、弟と二人でプールパーティーをしないといけないの?」
ネクタイから手を離すと、ふくれっ面をしながら両手を腰に当てる。
「私はみんなが集まるパーティーに行ってみたいの! 一度も行ったことがないんだもん。どういう感じなのか気になる。ミリア、誘ってくれないんだもん」
「そうでしょうね。ルイーゼをパーティーに誘わないよう、きつく言ってありますから」
「ええっ!?」
衝撃的な発言に、ジュリシスのジャケットを掴むと前後に揺さぶった。
「なんでそんな意地悪をするのっ!!」
「意地悪じゃなくて、これは独占欲の問題。ルイーゼがパーティーに行ったら、注目の的になってしまう。男たちの視線がルイーゼに集まるのを想像しただけで、殺意が湧く。ルイーゼを視界に入れるのは、僕だけでいい」
「変なことを言わないで。それよりも、注目の的になるのはリタみたいな美人。私は大したことないもん」
「本当にそう思っているの?」
「うん」
いきなり肩を押された。突然のことで踏ん張りがきかず、倉庫の壁に背中をぶつける。
口から出かかった悲鳴が、美形のドアップに引っ込んでしまった。
顔が近すぎる。歯を磨いてはきたけれど、息のにおいに自信はない。
ジュリシスの両手が倉庫の壁につき、逃れようとする私の退路を塞いだ。
「あ、あの……なに?」
「ルイーゼは世界一美しい。自覚を持って」
「え、あの、そんな、自分を世界一美しいだなんて、そんな大それたこと思えないです……」
「そういう謙虚なところも好き」
ジュリシスのすらりとした長い指が、私の前髪を払う。
(なにこれ? 私たちは人気のない場所でなにをしているの?)
ジュリシスを追いやろうと、両手で彼の胸を押す。けれど、びくともしない。
唸りながら「うーんっ!!」と押す私と、踏ん張るジュリシス。
「遊びたい感じ?」
「ちがーうっ!! 近くで顔を見てほしくないの! 息のにおいとか、産毛とか、うっすらと残っているニキビ跡とか、前髪にある癖っ毛とか、眉の処理の甘さとか。恥ずかしいのっ!!」
「ふふっ、可愛い」
惚れ薬を飲んでしまった人になにを言っても無駄だ。すべてが「可愛い」に誤変換されてしまう。
押すのをやめた私を、ジュリシスが抱きしめた。
「ちょ、やめてっ! 学校だよ!!」
「やっぱり柔らかい。ルイーゼのカラダって、気持ちいい」
「変態!! 誰か来て……」
「僕がお姉さんと呼び始めたことが気になって、ここに来たんじゃないの?」
「ソウデシタ」
大声を出すのをやめ、耳を傾ける。
「今朝、ジュリアーノのお姫様だと言ったよね。理由は、ジュリアーノがお姉ちゃんと呼んでくれるからだって。だったら僕も、今日からお姉さんと呼ぶ。だから、僕のお姫様になって」
「へ? それが理由?」
「はい」
「惚れ薬を飲んで、知能が下がった?」
ジュリシスが惚れ薬を飲んでおかしくなってから、約十七時間。甘い言葉、優しい眼差し、スキンシップ。どれも慣れない。
意地悪ジュリシスを懐かしく思ってしまう。
「ジュリシスらしくない。なんか意地悪なことを言って」
「うーん……。僕はルイーゼのことを、無神経の世界代表。無意識に僕の心を弄ぶ悪女だと思っていた」
「えぇっ、ひどい!!」
「ごめん。悪く思うことで、行き場のない感情をどうにかしたかったんだ。ルイーゼが可愛すぎて、イライラしていた」
可愛すぎてイライラするだなんて、聞いたことがない。
惚れ薬を飲んだからこその、おかしなセリフ。少し得した気分になる。
「今の言葉、覚えておくね。惚れ薬が切れた後、ジュリシスが怒ったら、『私が可愛すぎてイライラしているんだね』って、からかってあげる。覚えていないはナシだからね」
「覚えていないって、言いたくなる気がする」
「ダメでーす!」
私たちは笑い合うと、どちらともなく歩きだす。
建物の角を曲がると、あやうく用務員のおじさんとぶつかりそうになった。ジュリシスが咄嗟に肩を抱いてくれたので、直撃を免れた。
「すみません! いるのに気がつかなくて!」
「こっちも、すみません!! なにも見ていません!!」
用務員のおじさんは逃げるようにして、ゴミ置き場奥へと走っていった。
その慌てぶりが、印象に残った。
私は三時間目の授業を受けながら、用務員のおじさんのことを考えた。
(なんで真っ赤な顔をして、逃げていったんだろう? なにかあったのかな? なにも見ていないって、言う必要あった? まるで本当は見ていたのに、言い訳するような……ん? まさかっ!!)
ジュリシスが私のことを抱きしめていたのを、見ていたとか?
(違うからっ! 弟だから! いやでも、「姉と弟がイチャイチャするっておかしくないですか?」って言われたら、言い返せない。誤解されたままは嫌だけれど、惚れ薬のことは話せないし……。うーん、困った)
もだもだと悩んだ結果、用務員のおじさんが言った「なにも見ていません」を信じる、ということにした。