目には見えない階級
今までジュリシスは、私を気にかけることなく、さっさと学校に行っていた。
そのジュリシスが、私の隣を歩いている。しかも歩調を私に合わせ、ゆっくりと歩いている。
「ジュリシスが隣を歩いているなんて、不思議。初めてじゃない?」
「うん。僕は速く歩くことで筋肉を鍛えたいから、ルイーゼのよそ見歩きに付き合っていられないと思っていた。でも、こうやってゆっくりと歩くのもいいね。大切なことに気づいた」
「なに?」
ジュリシスは私に視線を傾けると、嬉しそうに目を細めた。
「ルイーゼと歩きながらおしゃべりをすると、すごく楽しい」
ジュリシスの表情も声も言葉も雰囲気も、なにもかもが優しい。その優しさに、飴を溶かしたような甘さが加わっている。
なんだろう。優しくしてくれるのは嬉しいのに、妙に気恥ずかしい。ムズムズする。
居心地の悪い恥ずかしさに、私は顔を背けた。
「ね! おしゃべりって楽しいよね。気がついてくれて良かった」
「ルイーゼ限定ですけどね。ルイーゼ以外と無駄なおしゃべりをする気にはなれない」
「もぉ! そんなんだから、友達がいないんだよ。ジュリシスと友達になりたい人はいっぱいいるのに。私、よく相談されるんだ。ジュリシスとどうやったら友達になれるか……」
不穏な空気を感じて、隣を見た。その途端、喉の筋肉が縮んで、続きの言葉が引っ込んでしまった。
「あ、あのー……怒っています?」
「相談される相手って、男?」
「う、うん、まぁ……」
「誰? 今まで相談してきた人の名前、全員教えて」
「聞いてどうするの?」
ジュリシスは足を止めると、にっこりと笑った。
「別に、どうもしません」
「怪しいーっ! その作り笑い、誰かを思い出す……はっ! アメリアだ!! 悪いことを企んでいる笑顔だ!!」
「アメリアって、どこの男? グロリス学園には、そのような名前の生徒はいないはず。どこで出会ったのか、教えて。今すぐに」
「男じゃなくて女! 惚れ薬を作った魔女!」
「あぁ」
ジュリシスは作り笑いを引っ込めた。
私は、ひとつ学んだ。顔の筋肉が笑っていても、目が笑っていない場合は要注意。悪いことを考えている可能性が高い。
「惚れ薬を作った魔女なら、許す。持て余していた僕のプライドを壊してくれたから」
「どういう意味?」
ジュリシスの手が伸びる。私の髪を一撫でし、頬に手が添えられる。
「こういう意味」
「んっ?」
「ずっと、触れたいと思っていた」
このスキンシップに、どのような意味があるのだろう。
ジュリシスの瞳も、頬に添えられた手も、私たちを包む空気も、やけに甘ったるい。
「学校の前で、なにをしているのかしら?」
ツンと尖った声。グロリス学園一の美少女であるリタが、私たちの前に立ち塞がっていた。
リタは、ジュリシスと同じ特進クラス。頭が良くて美人なうえに、スタイルが抜群に良い。
艶やかな黒髪に、シルクのように滑らかな肌。三白眼気味の魅惑的な瞳が、多くの男子生徒の心を虜にしている。
リタほど小悪魔系美少女という単語がしっくりくる人は、そういない。
リタは私を睨んでいる。
私はハッと気がついて、頬に添えられているジュリシスの手を、慌てて彼の体の横につけた。
リタに嫌われたら、この学園で生きていくことはできない。
「リタ、おはよう! いい天気ね」
「ジュリシス、おはよう。今日の数学の小テストのことだけれど……」
リタは、私とジュリシスの間にスッと入り込んだ。私よりもリタのほうが身長が高いので、ジュリシスが見えなくなる。
ジュリシスはリタと一緒に教室に行くだろう。私の役目はここまで。
「じゃ、私はここで。今日も一日、頑張ろうね!」
「お姉さん、待ってください!」
「お姉さん!?」
立ち去ろうとしていた足が、思わず止まる。
家でも、お姉さんと呼ばれた気がする。幻聴だと思っていたのだけれど……。
私とジュリシスは同級生だが、誕生日が三ヶ月違う。私のほうが少しお姉さん。
ちなみに現在。私は十六歳で、ジュリシスは十五歳。ジュリシスの誕生日は来月。
私はジュリシスをこっそりと弟扱いしているが、ジュリシスは私を姉と認めていない。
それなのに、お姉さんと呼ばれたような……。
「お姉さんって聞こえたような気がするんだけど、空耳だよね?」
「空耳じゃないです。お姉さんの教室まで送ります。行きましょう」」
「いいよ、そんなの! リタと一緒に行きなよ!」
「リタは大丈夫。一人で行ける」
「そういう問題じゃなくて、えっと、あの、私も一人で行けるし。リタ、数学の小テストの話をしたいみたいだよ」
「そうですの。小テストの範囲を確認したいと思いまして。話しながら、一緒に教室に行きましょう」
「教科書の42、43ページ。じゃ、教室で」
ジュリシスは私の手を掴むと、有無も言わせず、校内へと引っ張っていく。
私は連れて行かれながら、こわごわ振り返った。リタは恐ろしいほどの無表情で、自分の首の前で親指をスッと横に引いた。
リタの、敵認定サイン。
(嘘でしょう〜っ!! 今まで目をつけられることなく、穏便な学校生活を送ってきたのにーー!!)
昔は特権階級である貴族が幅を利かせていたが、自由の風が時代を変え、貴族と平民が同じ学校で学べるようになった。
けれど、自由と平等意識はイコールで結ばれていない。
グロリス学園には、目には見えない階級が存在している。
クラスメートのミリアが、一軍生徒が共有しているという極秘リストを見せてくれた。
まず、最底辺である五軍生徒。地味で目立たない生徒がここに属する。極秘リストには、私の親友であるノーラの名前が書いてあった。
次に、四軍生徒。目立ってはいるが、それが悪ノリである生徒。いわゆるヤンチャな生徒である。
その上の三軍に、私の名前があった。
「やった! 三軍だ!」
喜ぶ私に、ミリアが残酷な真実を告げた。
「三軍に入れるのは、容姿や頭の良さが普通より上の生徒なんだって。でも、貴族連中のパシリ扱いみたいよ。利用価値がある生徒ってわけ。無視されている五軍や四軍の生徒のほうが、平和な学校生活を送れるかもね。パシリにされるのが嫌なら、私みたいに二軍に上がらないと」
二軍には、ジュリシスとミリアの名前があった。ジュリシスは美形だし、常にトップの成績をとっている。ミリアには、デザイナーとしての才能がある。秀でた生徒が二軍入りできるらしい。
一軍は、貴族。伯爵令嬢であるリタと、学園長の息子であり伯爵であるウェルナー先輩がここに属している。