惚れ薬の効き目が薄れている?
ミリアは「ふぅー……」と長く息を吐くと、肩の荷を下ろしたかのようなホッとした笑顔を浮かべた。
「でも、大丈夫そうね。ジュリシスがルイーゼを守っているから」
「そうなの?」
「そうだよ。だって、リタと一緒にいるじゃない。おかげで、リタは超ご機嫌。嫌がらせをするよう言ってこないから、助かる」
「それは、私を守るためじゃなくて……」
私は、ミリアに説明した。
ジュリシスがリタと一緒にいるのは、身の潔白を証明するため。事前にメアリー先生に問題を教えてもらったと、ウェルナー先輩に疑われないようにするためだと話した。
ミリアは納得できないようで、不満げな声をだした。
「ジュリシスが話したこと、そのまま受け取ったの?」
「そうだけど……ダメ?」
「ルイーゼは素直だものね。でも、ジュリシスはそうじゃない。空を描くテーマを出されたら、水たまりに映った空を描く人だと思う」
「わかる! うんうん、相当にひねくれているよね」
「そうそう。だから、ジュリシスがリタと一緒にいるのは、ルイーゼに嫌がらせをしないか見張るためだと思う。だって身の潔白を証明したいなら、レオといればいい。ウェルナー先輩に信用されていないリタより、生徒会に入っている真面目なレオのほうが証明者として相応しいよ」
「あっ……」
心を覆っていたモヤモヤが、一瞬にして吹き飛んだ。
私は休み時間のたびに、特進クラスに顔をだした。ジュリシスはリタと一緒にいて、私が話しかけても知らんぷり。
──なんでリタなの? どうして、男子じゃダメなの?
そんな不満が、胸に渦巻いていた。
午後の授業開始五分前のチャイムが鳴る。ミリアは、チャイムの残響に声を被せた。
「教室に戻ろう」
「うん」
先を歩くミリア。私は数歩遅れてついていきながら、怒りではち切れそうだった。
(ジュリシスのバカっ! リタを見張るためなら、最初からそう言ってよ! そうしたら、モヤモヤした気分にならなくてすんだのに!!)
唇をぎゅっと引き結んで、あふれそうになる感情に耐える。
けれど、心に吹き荒れる感情は少しも弱まらない。ジュリシスへの不満がますます強くなる。
(なんなの、あの人! ひねくれすぎ!! なにを考えているのか、全然わからない。惚れ薬を飲んでようやく素直になったのに、またひねくれ者に戻っちゃって……ん? 戻る……)
惚れ薬が切れるのは、今日の夕方四時半ごろ。だから、効果が切れるにはまだ早いのけれど──。
……もしかして、薬の効き目が薄れている?
(そうだ、薬はピタッと切れるものじゃない。惚れ薬が薄れているのだとしたら……)
今朝のジュリシスの様子はどうだったろう? 思い出そうにも思い出せない。
それがなぜなのか、すぐに答えに辿り着いた。
ジュリシスは本を読みたいからと、私が起きる前に学校に行ってしまった。休み時間もほとんど話せていないので、甘々ジュリシスのままなのか、そうでないのかわからない。
怒りが不安に変わって、泣きたくなる。
けれど、ミリアが首をひねって後ろにいる私を見たものだから、愛想笑いを作った。
「なに?」
「ジュリシスとウェルナー先輩、どっちが勝つと思う?」
「ジュリシス」
「私は、ウェルナー先輩が勝つと思う。だって、先輩から言い出したんでしょう? 勝算がないなら、自分から言わないと思う。勝てる見込みがあるのよ」
「でも、一晩でジュリシスを超える量の本を読むのは難しいんじゃない?」
「ルイーゼって真面目ね。真っ向勝負で挑むと思っているんだ?」
ミリアは足を止めると、体ごと振り返った。
「ウェルナー先輩って私と同じで、計算高い性格だと思うんだよね。自力で無理だと思ったら、他人の力を借りて勝ちに行くタイプだと思う。私なら、勝つために裏の手を使う」
「裏の手って……卑怯な手っていうこと?」
ミリアは深く頷いた。
魔女アメリアは話していた。
──あなたを手に入れるために、先輩は卑怯な手を使ってくる。気をつけなさい。
「ミリアだったら、どんな卑怯な手を使う?」
「私なら……そうね。メアリー先生と親しくしている生徒に、問題を手に入れるよう頼む。……あ、ウェルナー先輩も同じことを考えているとしたら、ジュリシスのしていることって裏目に出ているね」
「どういうこと? 詳しく教えて!」
ミリアは両手を突き出して、私を押しやった。
「近すぎっ! 落ち着いて」
「落ち着けないよ!」
「あ、先生だ。次の休み時間にね」
「無理無理!! 待てなーい!!」
数学の先生が、廊下の向こうから歩いてきた。
ミリアは教室に入り、私も仕方なく席に座った。でも、顔はミリアを見据えたまま。
目で訴える私に根負けしたのか、ミリアはため息をつくと、ノートを破った。
五分後。六人の生徒を経由して、ミリアからの手紙が私の元に届いた。
四つ折りの紙を広げ、丸みを帯びた文字を目で追う。
【リタといることで、ジュリシスは行動が制限され、反対に先輩はジュリシスの目を気にすることなく自由に動ける。
つまり、ジュリシスは自分の身の潔白は証明できても、先輩がどんな行動をしているか知ることができないってわけ。
メアリー先生と親しい生徒って誰だろう? って考えたんだけれど、エレナ先輩かも。メアリー先生の姪だから】
「エレナ先輩……どこかで聞いたような?」
思いだすんだ! と必死に脳細胞に訴えかけていると、一人の女子生徒が頭に浮かんだ。
涙で充血している緑色の目と、「本命の彼女じゃなくていい。たまに会えればそれでいい」と懇願していた切ない声。
「そうだ、あのときの……」
昨日図書室で、ウェルナー先輩と話していた上級生だ。
ジュリシスが「泣いているエレナ先輩とすれ違いました。泣かせたのは先輩ですよね?」と話していた。
エレナ先輩の立場になって、考えてみる。
好きな相手から、メアリー先生がどんなクイズを出すか探ってくれと頼まれたら、断れるだろうか。
うまく聞き出せたら、ご褒美にデートしてあげるなんて言われたら……。好きな気持ちのほうが勝ってしまい、どんなクイズが出るかウェルナー先輩に教えてしまうのでは?
「どうしようっ!!」
「なにが、どうしようなんですか?」
「あ……」
心の中で叫んだつもりなのに、声に出ていたらしい。
教室を見回すと、クラスメートたちの視線が私に集まっている。ミリアは(バカね)と言いたげな呆れた顔をしている。
「ルイーゼ、なにがどうしようなんですか?」
数学のエヴァン先生の厳しい目が私に注がれている。先生は神経質なうえに、ねっちこい。質問に答えるまで、諦めてくれないだろう。
「なんていうか……すごく難しい問題だな。どうしようって」
「前回の復習をしているのですが。ルイーゼは、前回やったことを覚えていない?」
復習していたの!?
エレナ先輩のことで頭がいっぱいで、授業を全然聞いていなかった。
エヴァン先生は私の机に来ると、閉じている教科書を指先でトントンと叩いた。
「教科書すら開いていない。数学の必要性を感じていないのだろうが、そんなことはない。数学は生活に根付いている。放課後、職員室に来るように。数学を学ぶ意義を教えてあげよう」
「放課後!? 無理です! そんなことしている場合じゃ、あっ……」
しまったと思ったが、もう遅い。
エヴァン先生の眉間に青筋が浮き、それがピクピクと痙攣している。数学を学ぶ意義に、説教が加わることだろう。