大切な人
夕食後。ジュリシスは本を読むために自室に戻り、私はジュリアーノと一緒にお風呂に入った。
それから、車を片手に居間の中を走り回るジュリアーノの相手をする。
「てぃてぃ! はやいじょはやいじょー!」
「暴走車だ! きゃあ〜、ソファーを登っている!」
「これは、そふぁじゃない。どらごんだ! やちゅけてやるーっ!」
ジュリアーノは天使のような可愛らしい容姿をしているのに、遊び方が荒っぽい。最近のお気に入りの遊びは、ドラゴン退治。
ソファーをドラゴンに見立てて戦っているジュリアーノを、無感動に眺める。
「男の子って、なんで戦いごっこが好きなんだろう……」
おままごとと人形のドレス作りで育った私には、理解し難い遊び。
ジュリアーノがベッドに入る時間になり、母が呼びに来た。
「寝る時間よ。ベッドに行きましょう」
「やだぁーっ!! もっとあしょぶー!!」
「今日は、なんの本にする?」
「どらごんたいじ!」
絵本につられた、ジュリアーノ。
私はジュリアーノのおでこにおやすみなさいのキスをすると、寝室に入る二人を見送った。
それから、自分の部屋で試験勉強をする。けれど集中力が切れ、あくびばかり出るようになった。
時計を確認すると、十一時を少し回っている。
「もう寝よう。……今日も、おやすみなさいのキスをしたほうがいいんだよね?」
甘えてみたい、と願望を口にしたジュリシス。
その願いを叶えるべく、昨夜、おでこにおやすみなさいのキスをした。大変に喜んでもらえた。
「明日の五時には惚れ薬が切れるから、おやすみなさいのキスは今夜が最後だね。……行ってみよう」
ジュリシスの部屋は、私の隣だ。
「おっと、そうだった。ノックノック」
私はノックをせずにいきなり部屋を開けてしまう癖があって、ジュリシスにそれで何度も怒られてきた。
トントン。二回ノックしてから、ドアを開ける。
「こんばんはー。ルイーゼです」
ジュリシスは机に張り付いて、本を読んでいた。
机の上に乗った大量の本の山に、私は思わず「うげっ!」と拒絶の声をあげた。
「それ全部読むの? 頭、爆発しない? 大丈夫?」
「…………」
「わかっている。頭は爆発しないって言いたいんでしょう。訂正する。そんなに本を読んだら、頭が痛くならない?」
「…………」
「ねぇ、聞いている? なんで、無視するの?」
「…………」
ジュリシスは、黙々をページを捲っている。が、ページを捲る速度があまりにも速い。
「本当に読んでいる? ページを捲るのが早すぎない? このページにも字が書いてある。こっちのページにも字が書いてある。って、確かめている感じ?」
「ぷっ!」
吹きだした、ジュリシス。ようやく本から顔をあげると、椅子を回転させて、私を見た。
「ジュリアーノの絵本じゃないだから。字が書いてあるのは当たり前。それと、本を読んで頭が痛くなるってどういうこと?」
「えっ? 本を読んで、頭が痛くならないの?」
「えっ? お姉さんは、頭が痛くなるの?」
私たちはしばし見つめ合うと、同時に、
「変な人」「変な人」
と、つぶやいた。
同じことを同じタイミングで言ったことに、二人揃って吹きだした。
再び、机に積み上がっている本の山を眺める。
「明日の勝負のために、読んでいるんだよね?」
「そうです」
「頑張っているね」
ジュリシスは返事をしないまま、また本に視線を落とした。
ジュリシスの目は字を追うことに懸命で、無視されていじけている私を見てくれない。
「そろそろ寝ようかな」
「はい」
「むっ! ……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
(ジュリシスのバカーーっ!! おやすみなさいのキスは? って言ってよ!!)
昨夜は、笑いながら軽い感じでキスできた。
けれど今夜は、なぜか胸がドキドキしている。心なしか、体が熱っぽい気もする。
おでこへのキスに、恥ずかしさを感じる自分がいる。
自分からは言い出せなくて、ジュリシスが言ってくれるのを待つ。けれど、ジュリシスは読書に夢中なあまり、私が部屋にいることさえ忘れているようだ。
私は諦めて、自分の部屋に戻った。
ベッドに入って、寝返りを打つ。
「眠れない。モヤモヤする。……あーっ、もう!! 犬に襲われた次の日から私を探していたとか、ずっと前から好きだと言いたかったとか。どういうことなのっ!?」
手足をバタバタと暴れさせていると、部屋のドアが遠慮がちにノックされた。
慌てて、頭からすっぽりと毛布を被る。
「……お姉さん、起きている?」
(わーっ!! ジュリシスだ!!)
絶叫を押し殺して、目をぎゅっとつぶる。
私の反応がないことで、諦めるかと思った。それなのに、すぐ近くから声が降ってきた。
「寝ている?」
内心のパニックが漏れないよう、両手で口を塞ぐ。
「先輩からルイーゼを賭けた勝負をしようと言われて、迷った。身を引いたほうがいいんじゃないかと思った」
落ち着いた静かな声音に続いて、重いため息が聞こえた。
「メアリー先生は、恋愛小説が好きなんだ。中でも、ヒラリーヌ・ジュールという作家の大ファン。その中からクイズが出るだろう。そう思って、図書館から本を借りて読んでいた。愛する姫の幸せのために、身を引く騎士の話。……僕も、そうしたほうがいいのだろう。ルイーゼはウェルナー先輩が好きなのだから、誕生日パーティーに行くのを邪魔せず、二人が付き合うのを応援して、結婚できるように力を貸して。応援すべきなんだろうな」
ウェルナー先輩への恋心が冷めてしまったことを打ち明けるために、飛び起きようとした。
けれど、まるでそれを防ぐかのように、寝たふりをしている体に重みが加わる。毛布の上から、抱きしめられる。
「明日の勝負、手を抜かない。本気で挑む。それなのに、負けたとしたら……そういう運命だったということで、ルイーゼを諦める」
「っ!?」
体にのしかかる重みを振り切って、飛び起きる。
私が起きたことに驚くかと思いきや、ランプに照らされているジュリシスの顔は笑っていた。
「やっぱり。寝たふりをしていると思った」
「あのねっ!」
打ち明けようとする唇を、ジュリシスの人差し指が塞いだ。
「すべては、明日の勝負次第。僕が勝つよう、祈ってくれる?」
「そうじゃなくて、私……」
「言わなくていい。余計な情報を頭に入れたくない」
「でもっ……」
「勝負が終わったら、聞く。それまで、なにも言わないで」
そこまで言われてしまうと、口を閉ざすしかない。
ジュリシスは唇を噛んだ私の前髪を払うと、おでこにキスを落とした。
「おやすみ。また、明日」
ジュリシスが部屋から出ていき、私はベッドの上で膝を抱えた。
「大丈夫だよね? ジュリシス、頭がいいもん。絶対に勝つよね? ……神様、お願いします。ジュリシスを勝たせてください」
優柔不断だった気持ちに、答えがでた。ウェルナー先輩ではなく、ジュリシスの誕生日を祝いたい。
私は、ジュリシスと過ごす時間を大切にしたい──。




