悪口を言うのは僕だけでいい
リタの興奮した話し声が続いている。特進クラスのドアが全開になっているし、リタの声質は遠くまで響く。
リタの他に数人の話し声がするが、なにを言っているのか、はっきりとは聞き取れない。
「でも、……先輩とヨリを戻すことだって……」
「彼はもういいの! 私、ジュリシスと付き合うわ!!」
「でも、ジュリシスは……」
「冷たい人に見えるでしょう? でも、本当は優しい人なの。討論会の最終スピーチで緊張している私に飴をくれたり、道で男性に絡まれているところを助けてくれたり。だから私、お酒を飲ませて既成事実を作ろうと考えた。悪いことだとわかっている。でもそうでもしないと、彼氏になってくれない!」
リタは、ジュリシスの容姿を気に入って彼氏にしたいのだと思っていた。けれど、内面も好ましく思っていたのだ。
ジュリシスの脇腹を、肘で突く。
「へぇ〜、本当は優しい人なんだぁ? 素敵ですねぇ」
「変なからかい方をしないでよ」
「リタと付き合ってあげなよ」
「リタがルイーゼだったら、付き合う」
「あのねぇ、姉離れしてください」
「姉として見たことがないという点では、姉離れしている」
「はいはい」
「流さないでよ」
「流します」
リタの澄んだ声が、私の名前を口にした。
「ルイーゼは、四軍に落とすわ。生意気だから。役に立つと思って三軍にしたけれど、全然役に立たないし、話が噛み合わない。あの子って、相当にバカ。ジュリシスが無視しているのも当然だわ」
「やっぱり、リタはリタだった。見下し感がすごい。……ん? ジュリシス?」
なにを思ったのか、突然ジュリシスが走りだした。向かう先は、特進クラス。
私もついていく。
ジュリシスは教室に飛び込むと、リタを中心にして座っている生徒たちを睨みつけた。
教室の中には、リタと取り巻き女子三人組がいた。
ノーラが教えてくれたので、彼女たちの名前を覚えた。カタリナとルクエとローズだ。
「リタ。今、なんて言った?」
「ジュ、ジュリシス!? 帰っていなかったの!?」
リタも他の三人も、ジュリシスの登場に動揺して青ざめている。
「なんて言った?」
「あの、説明させて。私、あなたのことが好きで、それで……。でももう二度と、変なことはしない! お酒とか水着とか、そういったものに頼らずに、まっすぐに想いを伝える努力をするから!」
「そこじゃない。そこはどうでもいい」
「あ、そうなの?」
リタは困惑し、ジュリシスの斜め後ろにいる私に視線を移した。
私は「屋上でのこと、話していませんよ」と口パクした。
唇の動きや手振りから、言いたいことが伝わったらしい。リタは安堵した表情で、唇を動かした。声はない。
だが、私にはわかった。ありがとうと言ったのだ。
私とリタの表情が綻び、交わす視線の中にあたたかいものが流れる。
そんなあたたかな空気をぶち壊す、冷たい声。
「ルイーゼのことを役に立たないバカって、言ったね?」
「ジュリシス、やめて! 私は大丈夫だから!」
「やめない。ウェルナー先輩が注意してくれるものだと思って、黙っていた。でも、あの人は他人の心に鈍感らしい。だから、僕が注意するよ。人の悪口を言って楽しんでいるなんて、ずいぶんと性格が悪いね。それと、一軍とか五軍とかいった階級リスト。リタが作ったんだよね?」
「私だけじゃ……」
「だが、言い出したのは君だ。おもしろいと思ったんだろうが、全然おもしろくない。人をランク付けして楽しむなんて、低俗すぎる。知性と好奇心を、悪趣味なことに使うな。君らが見下している生徒。僕は、素晴らしいところがあると思って見ている。たとえば、ルイーゼの友達のノーラ。目が綺麗だし、食事する際の姿勢が美しい」
ジュリシスは一呼吸置くと、はっきりと言い切った。
「君は知性があるし、好奇心旺盛だ。だがそれを、人の欠点をあげつらうことに使うのは感心しない。他人を見下す限り、僕にも見下されると覚えておいて」
屋上にウェルナー先輩が現れた後。なにかが心に引っかかった。そのなにかを詳細にする前に先輩に話しかけられて、吹き飛んでしまった。
それがなにか、今わかった。
リタが生徒をランク付けしているのを聞いたのだから、やめるよう注意してほしかった。
けれど先輩は、そこには一切触れなかった。
ウェルナー先輩は伯爵であり、グロリス学園の学園長の息子であり、成績優秀。頂点にいるから、見下されている生徒の気持ちがわからないのかもしれない。
(でもそれを言うんだったら、ジュリシスだって才能に恵まれている。それでも、ノーラのいいところを見つけてくれた)
ジュリシスを見る目が変わる。思えば私は、ジュリシスがなにに興味を持って、なにを考えているのか。深いところを知らない。
話しているようで、圧倒的なコミュニケーション不足。
「ごめんなさい。リスト、燃やすわ。みんなにも、止めるよう話す」
リタの発言に、取り巻き女子三人の顔がパッと明るくなった。心なしか、リタもホッとした表情を浮かべている。
もしかしたら、軽い気持ちで始めた遊びが広まってしまい、やめるにやめられなかったのかもしれない。
ジュリシスは、みんなの心を救ってくれた。
「ありがとう……。最高の弟だよ」
ほっと胸を撫で下ろしていると、ジュリシスが口を開いた。話はまだ終わっていなかったらしい。
「大切なことを話す。よく聞いて。ルイーゼは僕の可愛いお姉さんであり、この世で一番大切な人。そのルイーゼを悪く言うのは、誰であっても許さない。ルイーゼの悪口を言うのは、僕だけでいいっ!!」
シーンと静まり返った教室。私はよろめいて、ドアに頭をぶつけた。
(なにそれ……。独占欲がひどすぎる!!)