ひねくれた言葉の裏にある優しさ
放課後の美術室。来週から試験が始まるので、部員の姿はない。
ウェルナー先輩がまだ来ていないので、私は先に絵を描いていようとスケッチブックを広げた。
丸いテーブルに果物を乗せ、椅子に座る。真っ白な画用紙に尖った鉛筆の先を置き──ため息をついた。
「気が乗らないなぁ」
理由はわかっている。私は、ジュリシスのことを誤解していた。
美術室に来る前に、私はノーラに愚痴をこぼした。
「ジュリシスが慕ってくれるのは嬉しいけれど、懐きすぎて困る。程度を知らないんだから」
ノーラは優しいので、たいがい同意してくれる。それなのに、眉を顰めた。
「あのね、ルイーゼ。トイレに行くって言って、先に学食を出たでしょう? あの後、私もトイレに入ったんだ。でも、ルイーゼはいなかった。そのことをジュリシスくんに話したら、心配しちゃって。二人で、学校中のトイレを見て回った。そのときに、リタたちに会ったんだ。リタはなにも言わずに行っちゃったけれど、カタリナとルクエとローズが教えてくれた。リタに呼び出されたんでしょう? どうして教えてくれなかったの?」
二人を巻き込みたくなかったと打ち明けた私に、ノーラは悲しい顔をした。
「ジュリシスくん、頼ってもらえなかったって落ち込んでいたよ。あのね、私聞いたんだ。どうして学校ではルイーゼと話さないの? って。そしたら、教えてくれた。学校で無視しているのは、自分と仲が良いと嫉妬される恐れがある。意地悪な人たちからルイーゼを守るために、仲の悪いふりをすることを選んだんだって。ルイーゼはジュリシスくんのことを、意地悪で口が悪くて生意気だって言うけれど、本当は違うんじゃないかな。誤解しているところがあるんじゃないかな」
ノーラは心が綺麗だから、色眼鏡なしに人を見ることができるのだろう。
私は六年も家族をやっているのに、ジュリシスのことがわかっていなかった。性格が悪いと決めつけて、その裏にある、私を守ろうとする優しい心を見ていなかった。
「情けない。はぁぁぁぁぁーーっ……」
ため息しかでない。以前、「学校では僕に話しかけないでください。危険なので」そう言って、私を遠ざけた意味がようやくわかった。
元気とやる気が海の底に沈んでしまったので、スケッチブックを閉じる。
テーブルの上にある果物を片付けていると、ウェルナー先輩が部室に入ってきた。
「あれ? 帰るの?」
「すみません。今日は調子がでなくて」
「そっか。じゃあ、少しおしゃべりしない?」
「でも……落ち込んでいるから、楽しい話はできそうもないです」
「じゃあなおさら、僕と話そう。少しは元気になれるんじゃないかな」
「そうですね」
話したい気分ではないけれど、このまま家に帰ってジュリシスに会うのも嫌だ。気持ちを切り替えたい。
ウェルナー先輩は椅子に座ると脚を組み、組んだ両手を膝頭に置いた。
「ルイーゼが落ち込んでいるなんて、珍しい。なにかあった?」
「ジュリシスはひねくれているし口が悪いから、意地悪な人だと思っていた。でもそうじゃないって、気づいたんです」
「ふーん。具体的に聞きたいな。僕も、ジュリシスを意地悪なところのある人物だと思っているから。そうじゃない部分を知りたい」
詳しく聞きたがる先輩に、私は以前言われた辛口を例えとして出した。
「前に言われたことなんですけれど……。私はドジでお人好しだから、儲け話や投資話のカモにされたり、借金の保証人にされる人生を送りそうって。お金に困っても、貸さないって言われた。あとは、悪い男に騙されて、ひどい人生を送りそうって。私と家族になった時点で迷惑だと言われたことがある。そのときはひどいって怒ったけれど……。人を簡単に信用して騙されないようにって、注意してくれたんだと思う」
お金に困っても貸さないよ、と予防線を張ることで、儲け話や借金の保証人にならないようにと忠告した。
可愛い顔をしているのだから、悪い男に騙されないよう注意しなさいと釘を刺した。
ジュリシスは無駄を嫌う。それなのに私を無視することなく、言葉をかけてくれる。私を気にかけてくれている証拠だ。
言葉は意地悪でも、根底にあるのは、家族を大切にする心。
ジュリシスはひねくれているだけで、本当は優しい人なのだ。
感動している私に、ウェルナー先輩は苦笑した。
「深読みしすぎ。暗号じゃないんだから。人の気持ちは、もっと単純。特にジュリシスは我が道を行くタイプだから、ルイーゼを助ける気はないと思うよ。迷惑をかけるな、それが本音だと思うけどね」
「そうかな……」
「大体、家族になった時点で迷惑って、性格が悪すぎる。僕なら、絶対にそんなこと言わない。君みたいな可愛い子を傷つけるなんて、許せないな」
「…………」
話さなければ良かったと、後悔する。ウェルナー先輩が好きだけれど、弟を悪く言ってほしくない。
家族になった時点で迷惑だと言った裏には、再婚家庭の複雑さがある。特にジュリシスは繊細だから、割り切れない気持ちを抱えているのだろうと思う。
ジュリシスの表面しか知らない人に、ジュリシスの本音を勝手に語ってほしくない。
これ以上話す気になれなくて、沈黙した。
ウェルナー先輩は、それを悩んでいるから暗くなったと思ったのだろう。元気づけるように、明るく笑った。
「そうだ、ルイーゼ。試験が終わった後、僕の誕生日パーティーがあるんだ。是非とも、君を招待したい」
「いいんですか?」
「もちろん! リタが行くパーティーは不特定多数が集まるから、中には悪い男もいるらしい。だが、僕の誕生日パーティーは信頼できる人たちを招待している。安全だから、心配ない。君が来てくれたら、最高の誕生日パーティーになる」
「嬉しいです。では、行かせてもら……」
美術部のドアが勢いよく開いた。
勢いがよすぎて、ばぁぁぁーっん!! と、引き戸が壁にぶつかった音が響き渡る。
「絶対に行かせません!! そいつ、悪い男なんで!!」