06.迷路にて
マリアはクリスに言われた意味が、すぐにはわからなかった。
ここはこの半透明の壁で全ての道が作られているはずで、前に来た時は森なんてものはなかったはず。
「さっき、四つ目のチェックポイントを通ったでしょ。あと一つ通ったら、外へ出られるはず……だけど」
「でも、ほら」
クリスが指差す方には、確かに森のような景色があった。
本物と思われる木がランダムに生え、その間に一応道らしい地面が奥へと続いているのだ。このまま歩いて行けば、どうしてもその森へ入ってしまう。
「森なんて、前にあったかなぁ」
それも作り物ではない、本物の森。童話館なんかに入ると偽物の森があったりして、姫や小人なんかがいたりする。
だが、行く先の森はとてもそういうファンタジーなキャラがいる所には見えない。むしろ、モンスターが待ち受けているタイプの森だ。
前回来た時にこんな場所があれば、絶対に覚えている。
「だけど、こっちでいいみたいだしね。ここから戻ると、出口には着かないし」
確かにそうだし、行くしかない。
「ちょっと暗くない?」
「迷路を暗くしたらさらに出にくくなるから、それはしないだろ。おばけ屋敷じゃないんだし」
でも、マリアは暗い所は苦手だ。暗くなると途端に歩幅が小さくなって、歩く速度も極端に遅くなってしまう。
すぐにクリスはそれに気付き、手を差し出した。
「おかしなものなんか、ないよ」
「だといいけど」
マリアは、差し出されたクリスの手を握った。
さっきのおばけ屋敷は怖くて、ただひたすら腕にしがみついていただけ。なので何かを考える余裕はなかったのだが、こうして落ち着いた状態で手をつなぐと、やっぱりどきどきする。
遊園地へ入ってすぐの時は引っ張る形で手をつないでたりしたけど、やっぱりこういう風につなげるのっていいな。恋人同士って感じで……。
「この森へ入りなさるのかえ?」
「うきゃっ」
二人の前に、いきなり小柄な老婆が現れた。どこにいたのだろう。
あまりにも唐突だったので、マリアはつい変な声を上げてしまった。めちゃくちゃ恥ずかしい。
現れた老婆の格好は、どう見ても魔法使いだ。ある意味、ファンタジーのキャラ、とも言える。
大きなワシ鼻に、頬や額に深く刻まれたしわ。黒のフード付きローブに、先のねじれた杖。目付きも鋭く、爪も長くて尖っているとなると、どうしたってあまりいい魔法使いには見えない。
何て言うか……ものすごくありがちな魔法使いの格好よね。ザ・悪い魔法使いって感じでわかりやすいけど。特殊メイクにしてはリアリティがありすぎて、ちょっと怖いな。
「ええ。森へ入らないと、出口がないみたいですから」
クリスは素直に答えた。いきなりの魔法使い出現にも、全然動じていない。
普段はのんびり穏やかな性格に思っていたが、今は肝が据わっているように感じられる。
「そうかい。では、これを持って行きなされ」
魔法使いはそう言って、一本の剣をクリスに渡した。
短くもなく、長くもない。ナイフよりは長いが、野球のバットよりは短い。
「これが、この迷路の必要アイテムなんですか?」
そんな迷路、初めて聞いた。迷路で道具が必要なんて、変わってる。この状況って、何だかRPGの世界になってない? だいたい、入口にそんなこと、書いてなかったじゃないの。……ちゃんと読んでないけど。
「お前さん方を助けてくれるじゃろう」
「この森を出る時に、返せばいいんですね」
クリスは別に疑問を抱くこともなく、現状を受け入れている。
「出られるかねぇ」
ちょっと言い方が意地悪になる魔法使い。
「がんばります」
クリスは相手の言葉を気にせず、律儀にこんな返事をした。
あまりに屈託なく言われ、魔法使いは逆に毒気を抜かれたような顔になる。それを見ると、マリアはちょっとおかしくなった。
森へ入ると、やはりどんどん暗くなってくる。マリアはクリスと手をつないでいたものの、そのうちさっきのようにまた腕にすがりつくような形になっていた。
「あそこまで来た人に、ああして剣を渡してるのかな。仕事とはいえ、あんな格好までして大変だね」
「魔法使いの格好にする必要性があるのかしら」
だいたい、迷路に入ってなぜ剣が渡されるのだろう。コンパスあたりの方がずっと役立つように思うのだが。
もっとも、マリアのように方向オンチがもらってもあまり役には立たないし、地図がなければコンパスだけでは出口へ向かえない。
コンパスがなくても、太陽の向きで……と思ったが、枝葉に隠れて太陽の姿は見えなかった。それに、太陽の向きで方角が、なんてマリアにはわからない。
「これ、本物みたいな質感だよ。抜き身で渡されたけど、客がケガをしたりしないのかな」
魔法使いが渡した剣は、鞘に入っていなかった。もし何かあった時、遊園地側はちゃんと責任を取ってくれるのだろうか。これが小さい子どもだった場合、もっと危険だ。
「何が出て来るのか知らないけど、この剣を持って歩いてる方がずっと危ないわよね」
周りにある木は、やはり本物のようだ。新しいアトラクションにするためにやったにしろ、よくこんな森が作れたものだ。
こんな大木を手に入れるなら、鉄材や木材を買った方がずっと安いような気がする。植えるのも大変だろうし、運ぶのだって大変だったはずだ。
余計なお世話だろうが、マリアはついそんなことを考えてしまう。
地面の土はあちこち盛り上がり、所々に苔が生えている。道は全て、土の道のようだが、落ち葉や小枝でほとんど隠れていた。もし道の真ん中に落とし穴なんかがあっても、マリアなら気付かずにあっさり踏んで落ちてしまいそうだ。
突然、奇声が聞こえた。途端に、クリスの腕にすがりつくマリアの手に力がこもる。これでは、完全にさっきのおばけ屋敷その二だ。
ここはただの迷路のはずで、ホラーハウスじゃないはずなのに。リニューアルするにも程がある。と言うか、方向性が全然違ってしまっていないか。
「今の、何?」
「動物の鳴き声……みたいだったけど。悲鳴っぽくも聞こえたな。マリア、俺から離れないようにね」
「え? う、うん」
離れろと言われも、きっと離れられない。
マリアは「気味が悪い」ということだけが心を占めていてわからなかったが、クリスはさっきから何かの視線を感じていた。
それも「いつ襲いかかってやろうか」と隙を狙っているかのような視線だ。
「きゃあっ」
いきなり二人の目の前を、黒い物が通り過ぎる。しかし、突然すぎたことと、速すぎてしっかり見られなかったため、それが何かわからなかった。
まるで人間が疾走したかのような気がしたが、ばたばたと大きな羽音がしたから人間ではないはず。しかし、かなり大きかったような。
「鳥?」
「ちょっと違うみたいだな」
またさっきの黒い物体が、二人の前を通り過ぎる。そして、二人の進行方向斜め前の木に止まった。それも、逆さまで。
「あれって……コウモリ?」
「普通の鳥は頭を下にして木には止まらないし、そうだろうね」
「けど……けど、大きいわよ。人間くらいのサイズじゃない」
少ししか離れていないから、いやでもよくわかる。
どう見ても、人間の大人と変わらない程の大きさのコウモリだ。だから、人間が疾走したように感じたのだろう。
人間サイズと思っているせいか、顔がどうも人間っぽい。
「何て言うか……友好的な表情じゃないわね」
逆さまだが、笑っているように見える。ただ、にっこりではなく、にたりとしているような。
もっとも、この状況ではどんな笑顔であろうと、不気味にしか感じられない。
「もしかして、ここでこの剣の出番、なのかな」
「あの魔法使い、助けてくれるって言ったけど、これって自分の身は自分で守らないといけないってことじゃないの」
「そうなるみたいだ。さっきから視線を感じてたけど、あいつの視線だったらしいな。エサが迷い込んで来たから、喰ってやろうかって感じか」
「でも、でも……あれって映像じゃないわよ」
透けて見えるでもないし、さっき羽ばたいていた時、確かに風を感じた。映像で風を感じるはずがないし、殺気を感じさせるはずがない。
最近は技術が発達しているから、映像と連動させて風を出すくらい、訳ないだろう。でも、それなら多少なりともモーター音のようなものが聞こえそうなもの。
しかし、周囲からは風に揺れる葉の音が、頭上でわずかに聞こえるくらいだ。
どう見ても、大コウモリは本物っぽい。ホログラムだとしても、映画ではなく現実でここまでリアルにできるものだろうか。
しかも、たかが……と言っては失礼かも知れないが、古い遊園地のアトラクションの一つのために。
コウモリの足には、鉤爪が光っている。もし本物だったら、あんなのに襲われたら大ケガをするではないか。
やだ、あたしおばけ屋敷に入った覚えはないってば。だいたい、ジェットコースター以外は苦手なんだから。
「コウモリって、肉食だっけ」
エサと言われると、急に怖くなってきた。まして、あのサイズである。
「種類によるよ。虫だったり、獣の血だったり、果物だったり」
「えっ、吸血コウモリって本当にいるの?」
「チスイコウモリって、百科事典に載ってたよ。バンパイアって呼ばれるみたいだから、吸血鬼がコウモリになるのもわかるね」
こんな時に吸血鬼の話をされると、余計に怖くなってきた。