02.雷雨の理由
「あれ? これは……こういうヘアスタイルって訳じゃないわよね」
こうしてゆっくり見ていたら、気付いた。
小さな悪魔の髪は黒く長く、後ろで束ねられているのだが、その部分はストレート。
なのに、前髪だけがやけにパーマがかかっているように、ちりちりになっていた。顔も黒く汚れているようだが、これはもしかして焦げた痕だろうか。
「……まさかとは思うけど、これってさっきの雷に打たれたんじゃ」
悪魔って、イメージとしては雷をバックに登場しそうなものだけどなぁ。人間を呪う時とか。でも、それは人間の勝手な解釈や想像であって、実は雷が苦手な悪魔だっている……かも知れないわよね。
「さてと。これから、あたしはどうするべきかな。行き倒れの人なら、警察や病院にでも連絡できるけど。雷に打たれた行き倒れの悪魔なんて、誰に連絡すればいいのよ」
こんな状況を検索しても、さすがにベストな方法なんて出て来ないだろう。
あったとしても「んなこと、しろーとができるかいっ」みたいな、明らかに冗談で書かれたようなものが出て来るのが関の山だ。
映画などでは、悪魔と言えば教会。でも、明らかに相反するものだから、それはちょっとまずいような気がする。
教会に連絡したら即「調伏、浄化、封印」などが行われそうだ。もっとも、この近くに教会はない。だからと言って、寺社に連絡しても似たようなものだろう。
どちらにしても、そういうことができる人がいれば、の話ではあるが。
「気付いた時に、何か飲み物があった方がいいわよね。でも、悪魔って何を飲むのかしら。赤ワイン? それは吸血鬼かな。悪魔が何かを飲んでるシーン、見たことないかも。まぁ、赤ワインがいいって言われたって、うちにはないけどね。パパもママも、ワインはあんまり好きじゃないらしいし」
ぶつぶつ言いながら、それでも何がいいかなどわかるはずもない。マリアは仕方なく、ミルクを温めることにした。
蒸し暑いから部屋はエアコンで涼しくしているが、雨に打たれていたのだから温かいものの方がいいだろう、と思ったのだ。
人間と同じように考えてしまっているが、悪魔の知り合いがいないのだから仕方がない。悪魔がいやがれば、その時である。
ミルクを喜ぶのって、妖精だったような気が……。ま、いっか。
ちゃんとポウの分も用意してやり、悪魔の分は身体が小さいから父親のショットグラスに入れた。自分の分は、アイスカフェオレにして。
「ほら、ポウにもミルク、持って来たよ。はい、どうぞ」
ポウは嬉しそうに、置かれた皿のミルクをなめる。マリアはストローをくわえながら、机に置いたタオルの中で眠る悪魔の顔をまた見ていた。
こうしてゆっくり見ていると、なかなかかわいい顔をしている。ちょっといたずらっ子のような、マリアよりも少し年下の少年、という感じだ。
もっとも、悪魔なんてとんでもなく長く生きていたりするらしいから、こんな見た目でもマリアよりずっと年上なのだろう。
「う……ん」
悪魔が声を出し、それからゆっくりと目を開けた。
ルビーのような、赤い目が現れる。ここは「怖い」と思うところだろうが、マリアはきれいだと感じた。
起き上がったものの、悪魔はまだ少し寝ぼけているのか、ぼんやりと周りを見回している。口にしなくても「ここ、どこだ?」と言っていそうな様子だ。
それから、自分を見ているマリアに気付いた。
「お前、誰だ?」
声変わりして間がないかのような声。
「あたしはマリア。あんたこそ、誰? まるで悪魔みたいな格好してるけど、あんたって悪魔なの?」
「ああ、俺は悪魔のリート」
はっきり聞いたら、あっさりと肯定されてしまった。やはり悪魔だったのだ。
あまりにさらっと言われたが、マリアは全く驚く気になれなかった。
その格好を見て予想していたこともあるし、もうすでに三十分以上も同じ空間にいる。すっかりその存在に慣れてしまっていた。
それに、かわいい顔、と思った時点で、怖いという感情は吹き飛んでいる。
正体を隠そうって気は、まるっきりないのね。隠しても、その姿だとばればれだし。それにしても……本当に悪魔を拾っちゃったのかぁ。
リートはようやく頭の中がすっきりしてきたようで、うーんとのびをしてから立ち上がった。
着ているもののしわを直したりするなど、身だしなみに気を遣う悪魔らしい。
「温かいミルクあるけど、飲む? あ、もう冷めてるかな」
悪魔にこんなものを本当に勧めていいのかな、と思いつつ、マリアは用意していたショットグラスをリートの方へと差し出した。
「お、悪いな」
マリアの気遣いも関係なく、リートは喜んで飲んでいる。
グラスに取っ手はないが、何だかビールの大ジョッキを持って一気飲みしているみたいに見えるのは、気のせいだろうか。
「うまかった。馳走になったな」
しっかり飲み干している。悪魔もこれで健康になるのだろうか。
「……いいわよ、大した量じゃないんだし」
悪魔に礼を言われるのも、おかしな気分だ。だいたい、悪魔とこうして対峙していること自体、信じられない。
「聞いていいかしら」
「何だ」
「悪魔って、雷に弱いの?」
「失礼な奴だな。んな訳、ねーだろ」
リートはむすっとして、否定する。
「だったら、どうしてあたしン家の鉢植えの間に落ちてたのよ。それにその前髪、雷で焦げたんじゃない?」
あたしって、実は怖いもの知らずって言うか、大胆だったんだな。悪魔だって言ってる相手に、こんなことをはっきり聞くんだから。
「う……それはだな」
リートはマリアに焦げた髪のことを指摘されると、気まずそうな表情になって視線をはずす。
よかった。うっせぇ、地獄に堕とすぞ、とか言われなくて。
マリアは心の中で、こっそり安心した。
「ちょっと……ケンカしてたんだ」
「誰と?」
「天使と」
「えーっ、天使と悪魔で戦争してるの? じゃ、そのうち人間界にも火花が飛んで、世界は丸焼けになるとか」
とんでもない話を聞いてしまった。もしかしたら、この話を知るのは自分一人かも知れない、と思うとマリアは青くなる。
その様子を見て、リートが慌てて否定した。
「そ……そんなじゃねーよ。俺がやってたのは、プライベートでサシのケンカ」
「え? つまり、個人的……じゃないか、個悪魔的な一対一のケンカってこと?」
「そうそう」
リートは世界の存亡をかけて天使と戦っていたのではなく、ケンカをしていたのだ。人間がやるようなものと同じ。
マリアはてっきり、世界の終わりになるのか、と思ったが、そうではないらしい。
人類滅亡の危機ではないとわかり、ほっとする。
「力は五分だったんだけどよ、スキをつかれて雷をモロ打たれちまった。いくら雷をあやつれる俺でも、他の奴のをまともに食らったらさすがにダメージがあるからな。情けねーことに、気を失っちまった」
リートは「ははは」と明るく笑った。
「ちょっと待ってよ。それじゃ、この雷雨はリート達のケンカのせいで起こってるってことなの?」
「そうさ。だから、もう雨はやんでるだろ。終わったから」
言われて窓の外を見ると、あれだけよく降っていた雨はすっかりやんでいた。雷ももちろん、遠くなっている。空は徐々に明るくなって。
まさか、悪魔と天使がケンカすることで、あんな雷雨になるとは。
「本当に迷惑なケンカね。そういうことは、よそでやってよ」
「気が付いたら、この近くに来てたって感じでさ」
「まったく、もう……。で、その天使の方は、何ともないの?」
「悔しいけどな。今回は俺の負け。次にやる時は、倍にして返してやるさ」
まるで、中学生の不良みたいなことを言っている。
案外、相手の天使も着ているものが白というだけで、リートと似たような顔立ちかも知れない。
「マリアには世話かけたな。介抱してもらった上に、ミルクまで馳走になっちまって。なーんか礼をしなくちゃなぁ」
「いいわよ、こんなことくらいで。それに、リートを見付けたのはポウよ。お礼なら、ポウに言ってやって」
マリアの足下にいたポウが、名前を呼ばれて机に上がる。
「おっ、黒ねこかぁ。いいねこじゃねーの」
ほめられているのがわかっているのか、ポウは「にゃあ」と鳴いた。
「黒ねこにポウなんて、粋だな」
「どうして?」
「……何とかって奴の書いた話に、黒ねこが出てたろ。それを読んで、付けた名前じゃねーの?」
なぜ、ねこの名前を聞いているのに「何とかって奴」の名前が出ないのか不思議だが、マリアは首を振った。
「この子をもらってきた時、ぽーっとしてたから」
ポウは一年くらい前に、知り合いから譲ってもらった子だ。
家族は茶髪や暗い金髪だが、マリアはおばあちゃん譲りの黒髪。その色のせいかはわからないが、この家に来た時からポウはマリアになついている。
それで、マリアが名前を付けることになった。
「……ま、名前なんていいや。とにかくポウ、ありがとよ」
やはり、黒ねこは悪魔と気が合うのだろうか。リートになでられて、ポウは気持ちよさそうにしている。
「ポウは特に何も希望はなくて、今はこの家にいて満足してるんだってよ」
いきなりポウの気持ちを伝えられ、マリアは目を見開いた。