01.ねこの拾いもの
「明日、大丈夫かなぁ」
マリアは窓の外を眺め、深いため息をついた。
ガラス窓には大きな音をたてて雨粒が当たり、空ではドラムを力任せに叩いたような雷が何度も鳴っている。この大雨が降り出して、もう三十分は経っているだろうか。
雷はさっきからずいぶんと近くなってきているようで、マリアは稲妻が光るたびにどきっとし、雷が鳴るたびにびくっとして耳をふさいでいるのだった。
昼食も終えてのんびりしようと思ったら、この雷雨。父は仕事、母は友達の所へ行っている。こんなひどい雷雨の時に一人は、さすがにちょっと怖かった。
マリアは、高校一年。ようやく期末試験も終わり、今日から終業式までの数日は試験休みになる。一足早い夏休み、というところ。
マリアが心配しているのは、明日のデートのことだ。今のマリアにとって、最重要案件である。
マリアは最近、同じクラスのクリスと付き合い始め、明日は初めてのデートをするのだ。
試験が終わった日(つまり、昨日)にクリスから誘われ、もちろんマリアはすぐにOKした。断る理由なんて、あるはずがない。
学校ではいくらでも話ができるし、一緒に帰れば道が分かれるまでは話していられる。
だが、学校を離れて会うのは、今回が初めてだ。
そもそも、デートというのも人生で初めて。なので、明日をとても楽しみにしている。
だが、さっきからずっと降り続ける雨に、マリアは少々……かなり閉口していた。まったくもって、迷惑千万な雷雨である。
明日のデートの目的地は、遊園地だ。ジェットコースターなどは、だいたい屋外にある。乗り場には屋根があっても、そこから出発すれば吹きさらしだ。
そんなアトラクションの座席や手すり、シートベルトや安全バーなんかが濡れていたらいやだし、雷のせいで電気系統がおかしくなったら困る。
アトラクションはみんな電気で動くのだから(たぶん)それで機械がおかしくなったら、遊園地へ行く意味がなくなってしまう。冗談じゃない。
座席シートが濡れていても、今は夏のことだからすぐに乾くだろう。でも、電気はどうしようもない。どうしたって、人の手が入ることになる。
行ったはいいが、あれもこれも「メンテナンス中」だったりしたら……。
せっかく入園料を払ったのに、一つ二つのアトラクションだけなんて損だし悔しいし、遊園地での「楽しい時間」というものに水差しまくりではないか。
たとえ入園料が無料だとしても「初デート」という経験は、人生で明日だけなのだ。たとえ別の日に同じ場所へ行ったとしても、それは「初」ではなくなる。
そんなプライスレスな「一生に一度」を、雷雨なんかでダメにされてはたまらない。
ただの雨ならそんなに気にもしないが、雷だからマリアは心配なのだ。
たかが遊園地へ行くだけで、こんなにやきもきさせられるとは。
「別に遊園地でなくてもいいけどね。でもぉ、久々だから行きたいしぃ……。とにかく、早くやんでよねっ」
窓に向かって文句を言った途端、稲妻が光った。そのすぐ後で、地響きのような雷。マリアは思わず首をすくめた。
「うっわー。今の、近くに落ちたんじゃないの」
身体に響く程の音だった。マリアはそっと、雷雲で暗くなっている窓の外を見る。
自宅を含め、停電している所はないようだ。でも、遊園地は大丈夫だろうか。この雷雨の範囲がどこまでか、にもよるだろう。
心配していると、窓の横にある机の上で、黒ねこのポウが「にゃあ」と鳴いた。
「ん? どうしたの?」
ポウが窓ガラスのそばへ寄ると、小さな爪でかりかりとひっかく。
「まさか、こんな雨の中に出たいの? 大雨なのは、見えるでしょ。雷だって、こんなに鳴ってるのに。やめなさいよ、せっかくのきれいな毛並みが濡れるから」
それでもポウがかりかりと窓ガラスをひっかくのをやめないので、マリアは仕方なく窓を開けた。ただし、ポウが通れる幅だけ。でないと、雨が部屋の中へ入って来る。
「もう……びしょびしょになって帰って来ても、部屋には入れてあげないわよ」
この窓は出窓になっていて、ガラス窓を開ければアルミの柵がある。そこにいくつかの小さな鉢植えが置かれていて、今は日々草がかわいく花開いていた。
その花も、今は強い雨に打たれてうなだれているように見える。
ポウはマリアが開けた窓をさらに自分の身体で開き、その鉢植えの間に顔を突っ込んだ。
外へ出るのではなく、そこにある何かをくわえようとしているらしい。
「何してるの、ポウ。ネズミなら、いやだからね。あ、虫も却下よ。聞いてる?」
マリアは後ろからそっと、ポウのすることを覗く。ポウはひょいと顔を上げると、その口に何かをくわえていた。
もちろん、濡れているし、少し陰になっているからよくわからない。でも、ネズミではなさそうだ。
ポウは部屋へ戻って来ると、くわえていたものを床に置いた。それで、はっきり全体がわかる。
全体は、一見した限りでは人に近い少年。だが、色々と人間らしからぬ要素があった。
「何かのマスコット? 見たことないけど、人間キャラ……ではなさそうね。細いしっぽがあるし。うわぁ、このしっぽ、マンガに出てくるような悪魔のしっぽみたい」
マリアはティッシュを数枚抜くと、ポウの濡れた頭を拭いてやりながら、ポウの戦利品(?)を眺める。
黒いしっぽは細く、先が三角になっていた。頭には、小さいがねじれた角が二本あるし、口からわずかにキバが見える。
体長は、だいたい二十センチ。ネズミくらいの大きさでしかないが、ネズミに角はない。
それに、キバや角の要素を抜けば、顔部分はやはり人間みたいだ。肌は浅黒い。髪も黒いし、身に着けているものも黒。素材はわからないが革っぽい感じで、身体にぴったりした服だ。
「んー、どう見ても、これって悪魔キャラね」
最初は人形かと思ったが、人形というのはつまり「人形」だから、これはそうではない。外見から言っても、これは絶対に「悪魔」と呼ぶ方がふさわしい。
世の中にはよくわからない形のマスコットなんかが出回っていたりするから、マリアは「これもそうかも」と思った。
だとすれば、どういったキャラなのだろう。マイナーなアニメキャラ、あたりが濃厚な気がする。
ボールチェーンなどは付いていないようだが、このサイズだとバッグチャームみたいなものだろうか。見た目のほとんどが黒だから、黒いバッグに付けたらたぶん目立たない。
そもそも、なぜこんなものが鉢植えの間に落ちていたのか。マリアの部屋は二階なのに。
いたずらな子どもが、道路から放り投げたのだろうか。住人が見付けた時に驚くだろう、と。
「わっ、動いてる。まさか、生きてるの?」
そんなはずは……と思いたいが、確かにぴくっと動いた。雨のしずくや何かのせいではない。
そう思って見ていると、肌の質感が作り物っぽくない気がしてきた。プラスチックやビニール系の材質とは違うような見た目だ。
「う……」
「ええっ。これ、声が出るの?」
顔を触ってみようとした時、かすかなうめき声がその口からもれた。驚いたマリアは、慌てて手を引っ込める。
声が出る人形やぬいぐるみなど珍しくもないが、どうもこれはそういったおもちゃと違い、声がやけに生々しい。
声を録音できるタイプもあるが、そういった声ともまた違うし、本当にうめき声を録音したとすれば趣味が悪すぎる。
それに、声と同時に眉間にしわが寄っていた。
そういうタイプのおもちゃ……と思いたかったが、自分であれこれ否定してしまったからごまかせない。
全身がぞわっとなった。
……生きてる? これって、生きてるの? じゃ、大きさはともかく、本当に悪魔だったりする? 悪魔じゃなくても、この世界には存在しないはずの、何かそういった生き物とか。異世界の住人とか、どっかの転生者ってことも……。えーっ、うそでしょお。あたしの所に、そんなのが来る?
物語の中のような状況なんて、現実にはあるはずがない、と思っていたのに。
「ちょっと、ポウ。あんた、何てものを持ち込んでくれてるのよ」
こういうことには、できるだけ関わらない方がいいような気がする。見なかったことにして、さっさと放り出すべきか。
マリアが文句を言うと、ポウが「にゃあ」と鳴いた。まるで「何とかしてやれよ」というような鳴き声……のような気がする。
「まさかとは思うけど、介抱してやれってこと? だって、これって悪魔かも知れないんだよ。そうじゃなくても、絶対に人間ではないし」
飼い主の抗議を、どう思っているのか。ただじっと、ポウはマリアを見ている。
きれいな青い目に見詰められ、マリアは窓からそれを捨てることをあきらめた。もし捨てたとしても、またポウが拾って来そうな気がする。
「もう……わかったわよ。呪われたら、あんたも道連れだからね」
マリアはまず、やけくそのようにティッシュを何枚かばしばし抜き、床に敷いた。それまで直置きだった悪魔( のようなもの )を、その上にのせてやる。
それから、急いで洗面所へタオルを取りに行き、部屋へ戻って来ると身体を拭いてやった。
ポウはその間、じっとマリアのすることを見ている。
「あんたが連れて来たんだから、あんたが世話してやったらどうなのよ」
ポウはやはり、じっとマリアを見る。
「できる訳ないだろって顔ね。はいはい……」
そう言いつつ、マリアは改めて悪魔を見る。どうにでもなれ、という気になってきた。