明日香
私の名は三文字文と言い、学生時代は散々、名前でイジられ、提出書類に名前を書くたび嫌な思いをしていた。両親の理解もあり、通称は富美とし戸籍以外は三文字富美として生活をしていた。私は子供が好きで、赤十字の活動に参加したりジュニアリーダー育成として、地域貢献に勤しんでいた。
中でも野外ワークでは、火起こしやロープ結びなど災害時にも役立つ知恵を学ぶこともできる立派な青少年育成事業だ。小学校高学年を募り、リーダー育成のために連泊によるキャンプ活動には毎年多くの子供達が参加し、活動を得た子供達がまた地域のお兄さん、お姉さんとなり活動内容を引き継いでいく。私自身も親の薦めで参加した活動がきっかけで、今も育成者として運営に携わっている。参加してくる子供達は学業から離れ、活き活きとした姿を見せてくれる。親環境様々だが、子供は皆素直で可能性に満ちている。中でもユッキーという女の子は特に手がかかっていたことを覚えている。口は達者で言うことを聞かないやんちゃな子だったが、彼女の明るい性格から手遊びなどは先だって活躍し、1人ぼっちの子を見つけると声をかけずにはいられないようだった。そんな彼女も、暫くはジュニアリーダーとして地域貢献をしていたが、やがて社会人となり多忙で活動自体は疎遠になっていた。
私はというと、事業で出会った彼と婚約にいたり、正式に名前を変えることにした。神様は子供好きの私に悲惨な試練を与えてきた。30を回るころに子宮癌が見つかり、子を授かることができないことが分かった。何で自分なんだと醒めない悪夢を到底受入ることができず、酷く落ち込み、当り前のように明ける日々が鬱陶しく感じていた。悔しさで流れる涙は底しれない。何をする気力もなく、窓から溢れる日の光を見るだけで涙が止まらなかった。暫くは外に出る気にならず、家に籠もりがちだったが、そんな時に今の彼はずっと心の支えとなってくれた。本を読んでみたり、2人だけの楽しみを見つけられるようになる頃に、明日香と名前を変え、少しずつ外に出れるようになってきた。名前とは不思議で、今まで嫌だった思い出を大切な宝箱にしまい、改めて再スタートがきれる感じがした。長年、人の為にと同じ思いで活動してきたメンバーは廃れず、皆思い思いに活動を続けていた。中には私より下のメンバーもいる。そんな人達は私を拒まず、昔のように接してくれた。彼らの価値観は変わることなく、今でも現役で心の透明感を保っている。勿論、人それぞれ色んな苦悩はあっただろうが、こうやってまた集まれるメンバーがいることに安心でき、自分の居場所を再確認することができた。私が子供が好きで子供の為にしてきた行いは、決して無駄でなかったと実感が湧いてくる。
それから募金活動にも顔を出すようになって、懐かしい顔がこちらを見ていることに気がついた。
「え!ユッキーなの? こんなに大きなお子さん連れて!」
「やっぱりフミフミだよね?」
彼女のあどけなさは消え、すっかりお母さんの顔になっていた。名前を変えたことを説明すると、戸惑う様子はあったが受け入れてくれた。何より、今は色々乗り越えて一皮向けた姿を見せられて良かった。
「皆、まだ活動してんだね、、」
一緒に活動してるメンバーの話をすると、懐かしむ様子をみせたが、昔の彼女のから元気はどこに行ったのか、少し元気がないように見えた。ユッキーの娘さんが痺れをきらし動き始めたので、また今度と言い残し足早にサヨナラをしたが、
「また手伝いにおいで!」
と声をかけ、ユッキーの小さな背中を見送った。
分かってる。子供がいるからって決して楽しいばかりでないこと。勿論、私にとっては恵まれてるって思うが、人を育てるってどれだけ身を削って慈しみを与えられるか。働きながら子供を育てるってどれ程の体力が必要なのか、想像しても吐き気がするが、それ以上の喜びは絶対あると信じている。だって私は昔から子供が好きで、今もなお子供と関わりたいって思ってる。子供って無限大で、皆で大切に育てていくものでしょ。私は我が子を抱くことはできなかったが、私に関わる子供たちには愛をもって接してるって自信だけは捨てたくない。私自身、心が澄んでいられたことは、支えてくれた人達にどれほど救われたのか感謝し尽くせない。仏教でもキリスト教でもなんでもいいけど、神様は存在する。人に感謝し、人を大切にできたとき、やっと自分を好きになれる。今のご時世、コスパ、タイパと自分の為だけに時間を使う人も多くなったが、日々の生活を豊かにしてきた先駆者達のことを絶対に忘れてはいけない。負けないでユッキー!私はあんたが散々人の為にしてきたことよく知ってる。ずっと私は味方だし、周りは敵ばっかりじゃないよ。