全部、私。
「1番やんちゃで手に負えない子だった。」
「声が可愛かったから、声優になると思ってた。」
「なんか。。お母さんの顔になったね。」
「気張り過ぎていませんか。」
これら全て私に向けて発せられた言葉達。私、深雪は40前にして、足掻いている。
母親
妻
娘
先輩
私という人物は、たった1人なのに他人から見た自分は沢山いる。果たしてどれ程の人間が、自分本来の姿を把握できているのだろうか。とわいえ自分も、30を越えてから自分自身を客観視するようになった。定年が伸びて、後25年身体が動く内は家族の為に働かないといけない。でも自分の事しか考えない人達に揉まれて、このまま会社勤めをしなければならないのか、本当にしたかった職業はなかったのかと、ふと考えることが多くなった。子持ちで離婚を経験したが、再婚して子宝に恵まれた。子供は可愛い。小学校の卒業文集にまで「母親になりたい」と願っていたほど、母親になることが夢だった。勿論、そんな事は覚えていなかったが、ふと出てきた古い文集を手にして、夢を叶えていたことに気がついた。長女は今や中学3年生。進学先によって最短ルートでしたいこに辿りつくか、回り回ってしたい事を見つけるのか。彼女が社会人になるまでは、できる限りお金の弊害だけは避けてあげたい。これは私の両親がしてくれたことだ。私立だろうが、専門学校だろうが、学費、生活費でとやかく言われたことはなかった。1人暮らしを経て、結婚して世帯を持ったときに嫌程お金の大事さを味わった。好きなようにさせてくれた両親には感謝しかない。その思いから、アドバイスはするがどんな経験が、彼女の糧になるから未知数なのでできる限りのことはしてあげたいが、私は私の両親程稼いでいない。年の離れた末っ子はまだ小学2年生。時短勤務をして手取りは10万ちょっと。流行り病にかかれば会社を休まないといけないし、手取りはもっと減ってしまう。主人は夜遅く、土日も接待とほとんど家にいない。主人も年をとってきて後頭部に白髪が増えてきた。景気が悪いやらなんやらで頭を悩ませることも増えてきて、どこか疲れもあってか思春期の娘とよく衝突している。末っ子は発達障害があり、産まれてから低体重や、発達の遅れや言語障害など年相応からはかなり外れて成長している。今2年生になってやっと自分の事をできるようになって、見守りの時間が減ってきたが長女と比べると長く感じた。初めは戸惑いがあったが支援の先生のサポートもあり、今は安心して成長を見届けられている。振り返れば主人は家のこと、子供のこと何もしてくれなかった。何もしないは嘘になるが、欲しい物は買ってあげて、自分がゆっくりしたいときは携帯ゲームを渡し、子供達と向き合ってはこなかった。末っ子が家を出る事ができたら、今の主人との時間はどうなるのだろうか。まだ主人への愛はある。ふとした瞬間に主人と子供達が楽しそうにしてると私も嬉しくなる。理想の家族時間はとても少ないが、私が思い描いた家族像にハマると、とてつもない幸福感を味わえる。しかし現実は厳しい。隣の芝は青く見えるというが、どのご家庭も墓場まで持っていかなくてはならないこと多いのでは無いかと思う。完璧ではないがソコソコの人生を歩んでると思うのだが、今、人生の岐路なのではないかと思うほど、外野に揉まれている。子供の手が離れそうな今、これからの自分の在り方を考えてしまう。昔の事は節々しか思いだせないが、゛私゛は確かに存在していた。母親になること以外、私が好きだった事を思い出したい。私に向けられた言葉を頼りに、人生を振り返る時だ。私は本来の゛私゛を見つけ回収することにした。