権利
黒ナミ事件
五年前に終結した伊邪那美命に関する事件。
日本創世の神であり、縁結びの神としても有名で各地で奉られるが、同時に日本最恐の邪神としても知られる彼女。本人?は疾うの昔に和解しており、現在は高天原で仲睦まじくしておられるようだが、和解の光景が物語として深く語られることが少なかったために、邪神信仰というか… 未だに邪神として黄泉に君臨し現世を恨んでいるという話が信じられたりする。一方では縁結びの神と崇められているというのに… また、様々な物語でそういう風に扱われ続けたことにより、多数の人々の心にそういう存在として認識され続けたことで都市伝説のように新たな神妖が、邪神・伊邪那美命が本当に生まれてしまった。そして物語のキャラ同様に本当に夫である伊邪那岐命と彼が作ったこの世界を抹消すべく、受肉して完全な存在になろうとした。
その数十年以上に及ぶ一連の事件を、伊邪那美命の黒歴史とか、暗黒面が起こしたからとか、そういうことから転じて呪術界ではそう呼んでいる。
「「へ~」」
下っ端たちは理解できたのか、できていないのか、なんだか間の抜けたような顔で感嘆の声をあげる。まあとりあえずは、ちょっと前に凄い事件があって、今は凄い道具を探している、ということはわかってくれたようだ。
「てゆーかさ、若頭は黒ナミ事件とか九十九の尾のこととか知ってたのにさ、そういう力でオヤジさん復活!じゃなくて、それを売って手術費用の足しにとか、やっぱりどっか抜けてるよね?」
タケトはまだ呆れていた。組の中では一番まともそうで一番頭が良い若頭でさえ、オヤジさんのこととなると周りが見えなくなってしまう。選択肢などいくらでもあったのに『誰も頼れない』『誰も助けてくれない』という先入観で全てを台無しにしそうな勢いですらあった。
「反論の言葉もねぇよ… たしかに、あんな連中に売るよりも、あんたらに譲った方がよっぽどマシだったし、むしろ治してくれって依頼も出来た。はぁ…本当にアホなんだよな~俺らってよ~」
若頭が頭を抱えて反省する。組員もそれ以上に猛省中だ。セイヤはそんな彼らを駄目な大人、としてしか見れていなかったが、タケトは別の感情も出てきていた。
(ほんとにオヤジさんが好きなんだな。頭は悪いし素行も不良だけど、そういうとこは嫌いじゃないかな)
タケトは一人にやける。それに気付いて気味悪がる一同。それに気付いて謝罪するタケト。奇妙な関係性が生まれつつあった。
「さて、それじゃあ尾の保管場所に案内するよ。着いてきな」
とある街の裏側。キレイで華やかな表とは真逆の、昼間でも薄暗く、そして空気も悪い。たまに見える、いや、たまにこちらを見てくる人々の姿も何処か異質な空気を放っていた。若頭は慣れた様子でどんどん歩いていく。
「あんまりキョロキョロすんなよ。誰でも構わねぇってブッ飛んだヤツもいるからな」
何が構わねぇのかは質問しなかったが、セイヤはおとなしく従い、若頭の背中だけを見て進む。もちろん彼らの実力なら、何が襲って来ようとも大抵のモノは対処出来る。しかし、無意味に問題を起こさないこともまた協会にとって、引いては呪術界にとって大切なことなのだ。セイヤがたまに挑発的になるタケトにやきもきするのも、そういうことを考慮してのこと。真面目さの故である。
「着いたぜ」
到着したのは小さなマンションの前。一瞬見ただけならば、廃ビルと見間違うような見た目。そして、術などかかっていないはずなのに存在感が希薄。呪術界とは異なる裏の世界の重要な施設なのだと、彼らとはほぼ無縁だった二人にも直ぐに理解出来た。
(入口は… あ、あれか。うまいもんだ。知ってても見つけられないかもだねぇ)
(すごい… 術が無くてもこんなことが… もっといろいろ勉強しなきゃだ…)
畏敬の念を禁じ得ない二人に「さっさと来い」と若頭が急かす。何しろこの場に馴染まない二人は悪目立ちする。せっかく入口もカモフラージュしているのに、目立つ人間がゆっくり出入りしていたら元も子もない。直ぐに反省して早足になる。若頭がカードのような物を翳すと、扉が自動で開く。入ってからも迷路のように入り組んでいた。小部屋だらけで、それらを通り抜けないといけないらしい。
「ルートを覚えられることが、ここを利用する最低条件だ」
と若頭が言う。本当に知らないと入れない。辿り着けない。そして出られないようになっているようだった。それを物語っているわけではないのだろうが、たまに落ちている何かの骨が不気味さを引き立てていた。
「少し待ってろ」
一回り大きな扉を抜けると若頭が言った。彼の前方には管理人室のような小窓と、その隣に簡素な鉄扉が見えた。ここからは小窓の中は見えないが、そこには誰がいて会話していることだけはわかる。少し興味がわいたセイヤが一歩進もうとする。が、それをタケトが制する。
「ダメですか?」
「たぶんだけど、ここにもトラップ。そこらから変な気配を感じる。入る時に若頭がカードみたいなの使ったろ? あれを持ってないと発動。俺らのような客人はここで礼儀正しく解除を待たないといけない。って感じじゃあないかな」
「だとしたら、新規の客の受け入れとかはしないんですかね?」
「一見さんは御断り。現会員からの紹介制。ってことなんだろ。その辺も確認できればいいなぁ」
確認くらい中に入ったらいくらでもすればいいのに、とセイヤは思った。が、これだけ周到だと中でもそれなりのセキュリティに違いないとも思った。
彼ら呪術師は大抵普通の人間よりも強い暴力を持っており、そして強い権力が与えられており、それらにより強い経済力を持つ者もいる。が、その代わりに普通の人が持つ人権は剥奪されている。簡単に言えば、彼らが業務上で人を殺めても裁かれることはないが、逆に殺められても国家権力は動かない。
「呪いは災害。呪術師はそれを操る道具。災害に罪は無く、道具に人権は無い。そういう設定なのさ。だから、ミサトの事業は国からも身内からも否定的な意見が多かったんだ」
「国は術師を管理、術師は人権を得る、一般人も情報公開で不安解消、で一挙両… 三得では?」
「管理された組織だと要人らが使いづらくなるし、管理された呪いは力が殺がれると危惧されてるし、術師の中には汚れ仕事専門な人もいるじゃない? 公的な組織では自分の存在はヤバいって亡命すら考えているらしいよ?」
「うーん… たしかにそうも考えられなくも…?」
「そもそも、強い術師には伝統を重んじる人が多いからね。その伝統が大きく変化するのを好まないのは必然ではあるね」
「でも、もう動いてしまった…」
「そ。国としても呪術界としても、ほとぼり冷めるまで討論してるふりして自然消滅を望んでいた。でもミサトが世論を利用して強行した。全ては俺らを守るために、ね」
セイヤは座学の授業を思い出した。そして再認識する。自分たちが実はそれなりに危うい足場に立っていることを。仮にここで問題を起こして抗争になっても、誰も自分たちを守ってくれないことを。力を持った者の、その力を行使すると決めた者の宿命を些細なことからではあるが強く感じ、そして少しだけ恐ろしくなった。軽く身を震わせる。虫を払ったかのように誤魔化して。少し顔が赤くなる。そんな行動がちょっと恥ずかしくなって。
タケトの視線は前を向いたまま。
「おう!話がついたぞ。来な」
二人は視線を交わすことなく歩き出す。