実習9《変生》
「よっ!ほっ!それ!」
回避に余裕が生まれ、反撃の回数も増えてきた。攻撃も弾かれることなく髪の毛の触手を切り落とせるようになった。切り落とされた髪は少女の足元に広がり、不気味な黒い池のようにも見える。しかし、最早この池から何かが生じる心配はない。触手の再生能力も低下してきた。徐々に短くなり、最初ほどの固さもない。呪力がほとんど感じられなくなり、慣れぬ霊力で動く少女。相性以前の問題だ。それならば単純に力の大きい方が勝つし、戦いの経験値も圧倒的に上のタケトが有利になる。とはいえ、タケトもずっと回避をし続けて体力も呪力も減ってきている。表情こそ余裕を保っているが、実はギリギリの均衡した状況だ。
(最後の一押しにはもう少し… 時間的にマダムも間に合わなかったか…? このままじゃあ普通に…)
~講堂~
「あなた方もそうでしょう? 自分がもし死んでしまった時、それがどんな死に方だったとしても、残された家族に、大切に想っている人に、自分を思い出しては悲しむなんてしてほしくはないはずよ。無関係な人たちにまで延々と可哀想と思われて、事実とは違った噂を流されて、そういう存在としてこの世に縛られたくはないでしょう? せっかく思い出してもらえるなら笑っていてほしいはず。であればこそ笑って会いに来られるはず」
マダムの講演もいよいよ終盤だ。可哀想だと思い、幸せになってほしいと願う。その根っこにある慈愛の感情。ちょっとした歪みから、その感情が少女の魂を可哀想な存在として土地に縛り、幸せを求める地縛霊として変生させてしまった。優しい心を持つ人間から力を貰うだけでは収まらず、生気を奪う呪霊にしてしまった。優しさが生んだ呪い。その少女を怪物足らしめた呪いを取り払うべく、その信仰とも言える人々の祈りの根源を改変しようと始めた講演。それもいよいよ終わりを迎える。
~中庭~
「お? きたかきたか?」
少女の攻撃が止んだ。少女は二三歩後退りし、触手はほどけてただの長い髪の毛へと戻る。そして、その髪の毛を振り乱して悶えだした。
『う… ぐぅ… あ、あぁぁ…』
~講堂~
「ここに呪いはない。でも、実は祈りに縛られた可哀想な少女の霊はいるの。だから、祈り方を変えましょう? ちゃんと生まれ変わって幸せになれるように。作られた物語の登場人物としてではなく、あるがままの、本当の彼女として成仏できるように」
~中庭~
ピシッ ピシピシッ!!
少女の顔に、体に、ヒビが入る。悲鳴のような声を上げて更に身悶える。
「今だ!!」
タケトが合図を送るとセイヤが指を鳴らす。その音に反応して結界を作る札が再び光り、その光が少女へと降り注ぐ。浄化の光だ。その熱は地面に広がっていた髪の毛を燃やし、その炎に少女は包まれる。
『キャアアアァァァ!!』
浄化の炎に包まれて、ヒビは広がって大きな亀裂になり、その亀裂の奥から結界のそれよりも強い光が漏れ出る。
「頑張ったね。つらい思いをさせたね。ごめんね」
タケトは少女の前に立ち優しく声をかける。そして
「おつかれさま」
そう言って少女の肩に手を置いて術を発動させた。
「生捻流転 摧破」
少女を象るモノが全て砕かれ剥がされた。炎も消えて、そこには光だけが残る。その光もやがて消えて新しい別の何かが表れる。
「君は…?」
タケトが何かに向かって声をかける。その何かはゆっくりと立ち上がり、そしてタケトを見て、そして笑ってみせた。
「わたしはヨーコ。助けてくれてありがとう」
「もう大丈夫かな?」
「うん。ちゃんと自分で動ける…」
ヨーコと名乗った少女は自分の手のひらを見て、足を見て、体を見て、くるりと回ってみせた。
「どうしたの?」
「自分で動けるんだなぁってちょっと感動? なんか意識はあるんだけど自分で思うように動けなくて。やりたくないことばかりしちゃって。でもぜんぜん止められなくて」
「それは仕方ないよ。それが呪いっていうものだからね。それでも本当の君がちゃんと残っていたんだからすごいと思うよ」
タケトがヨーコを褒める。生きている時と死後とでの違いはあるが、同じ年齢で呪いに侵された者同士だ。一瞬で飲まれて消えかけた自分と、長年耐え続けたヨーコとを比較しての称賛だった。だがヨーコは首を横に振る。
「ううん。そんなことないよ。ずっと痛くて苦しくて、でもそれよりも誰にもお別れを言えなかったこと、ありがとうって言えなかったことがつらくてずっと泣いてて… それがよくないモノを取り込みやすくしてしまったみたい。だからこれは半分はわたしのせいなの」
「気にすることはないさ。つらいって思うのは当然のことだよ」
「でも… ううん。そうだね。ありがとう。頑張ればちゃんとみんなにもありがとうも伝えられそう」
「これからどうなるんだろ? すぐに成仏しそう?」
「それなんだけどね、実は…」
~屋上~
「はぁ… ほんとにやり遂げちゃったよ…」
セイヤは二人を驚きと呆れの表情で見守っていた。
「自分に出来ること出来ないこと、それをちゃんと理解してて、自分に出来ないことを出来る仲間がいて、その仲間に臆面もなく頼ることが出来て…」
何でも一人で出来るようにと努力してきて、実際にある程度は一人でこなせる実力を得たセイヤにとっては、タケトのやり方は信条に反するというか、そんなことをするには先ず自分のプライドが許さないのだ。そこが自身の問題であることも優秀な彼は理解していて…
(んん!考えるのはやめだ!さて、めんどくさくなる前に自分から行ってやりますかね。まったくほんとうに)
そんなことを考えていたタイミングでタケトがセイヤを呼ぶ。それを見て嫌そうに、めんどくさそうに、でもほんの少し嬉しそうに、やれやれと中庭に降りていく。
~講堂~
「それは生きている人が相手でも同じ。生霊、なんて大袈裟なことでもないの。想いは伝わるの延長。相手に対する想いは必ず伝わり、そして力になる。そういう存在になるための力に。だから、何度でも口煩く言うわ。誰かを、何かを、そして自分を悪く思うのはやめなさい。それは他でもないあなた自身のためにも」
マダムが一歩下がり、深く一礼して降壇する。聞き入っていた人々は段を降りる音が響いてハッとして拍手を始める。拍手はだんだんと大きくなり、最後は割れんばかりの大喝采。降壇したマダムは職員席にいた理事長たちに挨拶。理事長らも涙を浮かべながら握手をし、何度も何度も感謝の言葉を述べた。その後、皆が晴れやかな顔で見送った。
「それでは、マダム・スカーレット様の準備が整うまで、生徒の皆さんは片付けをお願いいたします。その後は先生の指示に従って、三年生から順番に希望者は…」
生徒会の司会のアナウンスで整然と動き始める。優秀で聞き分けが良い生徒たち。今回はその素直さが危機を生み、そしてその素直さが危機から救った。どちらにも成り得る、まだまだ未熟な可能性たち。間に合ってよかったと心から安心する。
「あれ?せんせースーツ破れてるよ?」
「え?マジ?どこ??」
生徒に指摘されて焦るタケト。セイヤに傷を治してもらっていた時には気付かなかったスーツの破れ。右太股付近が何かに引っ掛けてほつれたようになっていた。
「うわ!ほんとだ~いつの間に…」
大股開きになって前屈みになり股を覗き込む。その姿はかなりのマヌケだ。
「そんなとこ引っ掛けて気付かないって… 今の格好もだけど、せんせーってそーとーヌケてますよね」
周囲の生徒たちが爆笑する。どうした?と集まる他の生徒や教職員も大笑い。タケトはバレなかったと安心する反面、そんなマヌケで通じてしまう自分の印象と、この現状に酷く落ち込んだ。
「勘弁してよ… ほら、マダムも言ってたじゃん。
そういうのが俺をマヌケ足らしめるわけで…」
「あら、あなたのは元々の性質じゃなくて?」
マダムの一言でさらに学園は笑いに包まれた。セイヤはその様子を見て満足して静かに立ち去った。




