前編 金寿栄邂逅譚
たこす様主催『この作品の作者はだーれだ企画』で見事私の作品を当ててくださった藤倉楠之様から、
>「星下姫熊道中記」の金寿栄さんのサイドストーリーか(きっと、歴戦の詐欺師としての楽しいエピソードがあるんじゃないかなあなんて)
とリクエストをいただいたので、書かせていただきました。
短編で終わるはずだったのに……。
多分全三話で終わると思いますので、よろしくお願いいたします。
なお『星下姫熊道中記』を未読の方は、よろしければ https://ncode.syosetu.com/n0495hh/ をお読みになってからですと、なお楽しめるかと思います。
ここは宮廷の廊下。
薬師・李青風と、この国を統べる天帝の娘・黄甘香が、談笑しながら歩いていました。
「お父様が身を起こせるようになって良かったです!」
「はい! この分なら後十日もすれば、庭を少し歩くなどできるようになるでしょう!」
「待ち遠しいです!」
「天子様が御快復なされましたら、姫様は白邑に戻られるのですか?」
青風の問いに、甘香の顔が少し曇ります。
「……そう、ですね。急に飛び出してきてしまったので、一度戻らないといけないとは思うのですが……」
「……何か心残りがあるのですか?」
「……熊星が、私がここを離れたら姿を消してしまいそうで……」
「朱将軍はそんな無責任な事はなさらないと思いますが……」
「……」
『万夫不当』という武の極みの称号を持つ将軍・朱長夏。
彼は森の中で星を眺めていた時に、隣国との戦の兆候を知って止めようと走る甘香を見つけ、熊星と名乗り都に向かう旅に同行する事にしました。
しかし紆余曲折の後都に辿り着いて戦を止めたその夜、己の武が戦を呼び、平和を乱すと知っていた熊星は、何も告げず宮廷を去ろうとしました。
不審に思っていた甘香が先回りをして引き止めなければ、熊星はそのまま野に伏せ、国の危機までその姿を表舞台に現さなかった事でしょう。
その献身、その覚悟を思うと、甘香は胸が締め付けられるような痛みを感じるのでした。
「とにかく、それはお父様が元気になられてからの話ですから。白邑には手紙も送っていますし、今しばらくは宮廷に」
「寿栄様!? こんな所でお会いできるなんて……!」
廊下に響き渡る悲鳴に近い女の声に、甘香の言葉は遮られました。
驚いて声のした方に向かうと、戦を止める旅を共にした詐欺師・葵桃白と、年の頃二十歳前後といった美しい女が向かい合っていました。
「これはこれは麗しいお方。貴方のような方にお声掛け頂けるのは誠に光栄ながら、我が名は流簾暖。どなたかとお間違えではないかと思うのですが」
にこやかに答える桃白に、女は更に言い募ります。
「そんな筈は……! 金寿栄様ですよね!? 貴方様に救われた嬉州刺史の娘、陽天華です!」
「ふぅむ、嬉州には何度か足を運んだ事がありましたが、刺史のご令嬢とお近づきになる機会などなかったはずです。しかし……」
桃白はそこで顔に好色な笑みを浮かべました。
「その見事な胸に触れましたら、何か思い出すやもしれませんねぇ。どれ一揉み……」
「〜〜〜っ! 何をなさいますか! 見た目は似ていても金寿栄様とは似ても似つきませんわ! 人違い、失礼いたしました!」
胸元に伸びる桃白の手を払い、憤った足音で天華は去って行きます。
完全に姿が見えなくなったのを見計らい、桃白は息を吐きました。
「……姫さん、青風、終わったから出てきて良いぜ」
「!」
「な、何故わかったのですか!?」
「真っ当じゃない道で生きて来たんだ。身の回りの気配を常に探るなんて当たり前だろ」
背を向けたままの言葉に驚き、甘香と青風は廊下の角からおずおずとその身を出しました。
「あ、その、ごめんなさい桃白。覗き見をするつもりはなかったのですが……」
「別にいいよ姫さん。あんだけ騒げば誰でも気になるだろうからさ」
「それにしても美しい方でしたね……。桃白殿、何故あんな失礼な事を?」
「気に入ったんなら口説きに行きな薬師さんよ。俺にはもう何の関わりもねぇんだから」
投げ捨てるように答える桃白。
その態度には『これ以上話をする気はない』という空気が張り巡らされていて、甘香と青風には言葉が続けられません。
そこに、
「わざわざ怒らせたというのは確かに解せんな」
「!?」
「ゆ、熊星!?」
「い、いつの間に……?」
突然の言葉に三人が振り向くと、熊と見紛う大男がそこに立っていました。
それ程の巨軀にも関わらず、気配を探っていた桃白でさえ気付けない身のこなし。
武の神と称されてもおかしくない、『万夫不当』の称号の持ち主、それが朱長夏こと熊星なのです。
「桃白。お主の口なら、何とでも誤魔化して去らせる事もできたであろう。敢えて怒らせたのだとすれば、そこに意味を感じるのもまた自然な事」
「……ち。やっぱり旦那は厄介だな」
忌々しそうに言う桃白に、甘香が言葉を継ぎます。
「……もし話して気持ちが楽になる事なら、どうか聞かせてもらえませんか?」
「別に何て事ない話だよ姫さん。俺は全く苦に思っていないんだ。……ったく、俺の昔の話なんて碌なもんじゃねぇってわかるだろうに」
「それでも聞きたいのです。桃白は共に旅をして、また今なお尚書・劉訪薫の穴を埋めるべく、共に働いてくれている仲間なのですから」
「……っ」
甘香の言葉で、桃白の顔に動揺と若干の紅が足されました。
息を止めた桃白が、諦めたように息を吐きます。
「……これで話さないで、勝手にあれこれ邪推されんのも厄介だ。仕方ねぇ。大して面白い話じゃねぇけど……」
と、そこで桃白は何かに気付いたように、辺りを見回しました。
「玄流はいねぇよな? あの記憶力で聞き取られて一言一句違わず覚えられた日にゃ、恥じゃすまねぇ……」
「玄流ちゃんなら今は部屋でお勉強をしている筈ですけど……」
「早く姫と桃白の役に立ちたいと張り切っておったな!」
「十の娘だと言うのに、玄流殿は健気ですなぁ」
「あーもー、居ないんならそれで良い! ……じゃ、話すぜ」
桃白は幼い日の失敗を暴かれた少年のように、俯き加減でぽつりぽつりと話し始めたのでした。
読了ありがとうございます。
まだ『かんか』と打つと『甘香』と出てくれるアイフォンの記憶力にキュンとしております。
持ち主は「あれ? 『青風』だっけ? 『清風』だっけ?」となっているというのに……。
次回は桃白の過去編になります。
どうぞお楽しみください。