71話 悩めるミーナ・ランドール
アリスとセシリアが大図書館地下へ入ってから数日。学院にある練兵場では、騎士クラス筆頭のミーナ・ランドールがトレーニングに励んでいた。
「はあっ!」
「ふっ!」
「はっ!」
対人戦を想定した動きを見せるミーナを、少し離れた所からひとりの少女が真剣に見つめていた。魔法クラスの剣士イサミ・K・クローバーだ。
(型稽古のようなものでしょうか?)
イサミは西洋の剣術には馴染みがなく、ミーナの動きをつぶさに観察する。10分程経ちミーナの動きが止まる。真夏の暑さもあり、ミーナの額からは汗が滴り落ちる。ミーナのトレードマークのふたつくくりにしている金髪も、汗で濡れ肌に張り付いている。息を整えたミーナはイサミを見ずに礼を言う。
「気遣い感謝する……」
ミーナに声をかけられてイサミはようやく近くに寄る。イサミは持っていた飲み物の片方をミーナに放り投げる。
「あら、そんなに差し入れを喜んでいただけるとは意外ですね」
イサミはそう言うと練兵場の脇にある長椅子を指差し、小休止を促す。ミーナも素直に従いふたりで長椅子に腰掛ける。
「東洋の者は皆イサミみたいに気配を殺すのが上手いのか?」
「はい?」
「私の鍛錬の邪魔にならないように気配を殺していただろう。しばらくは見られていることに気づかなかったぞ」
「ああ……」
イサミはミーナの邪魔にならないように半無意識に気配を殺していた。『気配り』や『察する』文化のある皇国で育ったイサミにとっては特別なことではなかったが、ミーナには馴染みがないようで新鮮だったようだ。
「私などまだまだです。忍びの者はこんなものではありませんよ」
「忍びだと!? 文献の中だけの存在ではないのか?」
「……? 実在していますが」
交流戦では初対面で剣を合わせたふたりだったが、今は旧知の仲のように気さくに言葉を交わしている。騎士クラスの女傑ミーナと魔法クラスの一匹狼であったイサミ。犬猿の仲にも思えるふたりがなぜ、ここまで親しくなったのか。時は10日程遡る。
「はあっ!」
「はあっ!」
「はあっ!」
ミーナ・ランドールは無人に近い学院の練兵場で剣を振っていた。交流戦で使用していたレイピアではなく、彼女の身の丈程もある漆黒の大剣を持っている。しかし重量など関係ないように150センチに満たない華奢な体で大剣を規則正しく振るう。
「はあっ!」
「はあっ!」
「はあっ!」
一心不乱に大剣を振り続けるミーナを、同じく練兵場で稽古を行うために訪れたイサミはなんとなく眺めていた。夏季休暇に入る前からミーナの鍛錬する姿は何度か目にしていたが、一瞥するだけで特に話しかけたりするようなことはなかった。
「はあっ!」
「はあっ!」
「はあっ!」
イサミはミーナの異変に気づく。一見すると、規則正しく繰り返されているように見える素振りも、玄人から見れば酷いものだった。
(重心はバラバラ、体重移動もスムーズでありませんね。ただ腕力で振っているだけ……)
ミーナの実力は他人に関心が薄かったイサミでも知っている。そのミーナがまるで素人のような素振りをしていることに違和感を覚えた。
「はあっ!」
「はあっ! っがぁ!?」
ついに腕力の限界だったのかミーナは素振りの勢いそのまま大剣を地面に突き立ててしまう。膝を着き肩で息をする姿にはいつもの姿はなかった。イサミはついにミーナの側へ歩き声をかける。
「心が乱れていますよ? 腕力に頼って素振りをしても何の意味もありません」
「お前はっ!?」
ミーナは醜態を見られたと思ったのかばつが悪そうに立ち上がり砂を払う。
「ずっと見ていましたが随分と酷い有り様でしたね」
イサミは率直に思ったことを口にした。
「そんなことはわかって――――ってお前ずっと見ていたのか!?」
「ええ、まあ」
「どのくらいだ?」
「そうですね、30分くらいは見ていたでしょうか」
「30分だと……」
ミーナは驚愕した。
「もしかして気づいていなかったのですか?」
ミーナは手で目を覆う。どうやら図星らしい。ため息を溢すミーナにイサミは言う。
「あの、私も丁度稽古をしようと思っていたのですが、良ければご一緒しませんか?」
「はあ……?」
ミーナは一瞬戸惑うがすぐに真意を察して快諾する。
「ああ、ひとりではどうにも集中できなかったところだ」
そう言うとミーナは練兵場の隅にある木刀を2本持ってくる。
「あら、私は真剣でも構いませんよ?」
茶化すように言うイサミにミーナは呆れた様子だった。
「お互い不必要な怪我はしたくないだろう」
イサミは木刀を受け取るとミーナと数メートル距離を取り木刀を構える。ミーナも同様に木刀を構え、ふたりは相対しながら静止した。
「誘ったのはそっちだ。先手はくれてやる」
「では遠慮なく。――――はあああ!!」
イサミは初手から相手の懐に深く斬り込んでいく。ミーナも俊敏な動作で、イサミの攻撃をいなしていく。そして反撃に転じる。両クラス筆頭の剣の腕前を持つふたりの実力は拮抗しているように見えた。しかし意外と早く勝敗は決した。
「はあっ!」
「あっ!」
イサミの燕返しが決まりミーナの木刀を弾き飛ばす。木刀は綺麗な円を描きながら宙を舞い、からんと音を立てて地面に落ちる。
「ぐっ……わ、私の負けだ……」
ミーナはあっさり負けを認めた。負けたことを特別悔しがっている様子もなく、どこか心あらずという様子だった。
「単刀直入に聞きますが何があったのです?」
「え? え、あー、いや……別に」
イサミの言葉に明らかに動揺するミーナ。大剣の素振りもそうだが、イサミとの勝負も明らかに集中力を欠いていた。いつもの凛とした態度も型崩れだ。ミーナの煮え切らない態度にイサミがさらに追い打ちをかける。
「ひょっとして恋煩いですか?」
「そんなわけあるか!! 馬鹿者!」
ミーナは顔を赤くして大声で否定する。予想外の大声を出してしまったことを悔いるように、顔を反らしため息をつく。完全にいつものペースを崩しているミーナにイサミは優しく言葉をかける。
「大して親しくもない私が言うのも差し出がましいようですが……何か悩みがあるなら相談に乗りますよ?」
心からの善意だった。かつて他人と関わらないように一匹狼を気取っていたイサミは、同じく騎士クラスで孤高の存在だったミーナにシンパシーのようなものを感じていた。クラスメイトからは慕われているがどこか他人と距離を置いているように見えた。
そしてイサミは試練の森での一件で本来の自分に戻った。だから以前の自分のように振る舞うミーナが気になったのだ。
「別に悩みなんか……」
「そうですか。別に無理に話せとは言いません。では稽古も終わりましたし私は失礼致します」
あっさりと言うと、イサミは帰り支度をして踵を返す。
「なっ……おい! ちょっと待て……」
ミーナはイサミを呼び止める。最後の「待て」はかなり尻すぼみした声だった。
「はい?」
「その……なんだ、鍛錬に付き合ってくれたんだ……礼にお茶でもどうだ?」
かなり照れくさいのだろう。ミーナは顔を赤く染め下を向く。そんなミーナを見てイサミはクスリと笑い、優しく返事をした。
「ええ、喜んで」




