57話 イサミと杏里
「私は、人と深く関わることが怖いのです……」
完全に脱力したイサミが消え入りそうな声で言った。
「人と関わることが?」
セシリアの言葉を聞き観念したように事の経緯を話し出す。
「私は……皇国という国で生まれ育ちました」
皇国。代々の皇帝が国を治めてきた極東にある島国だ。他国との交流が極端に少なく独自の文化を築き上げている。皇国では魔法よりも「気」や「武術」に長けている者が多い。イサミが魔法をほとんど使えないのもこのためだ。
「異国との混血であった私は閉鎖的な皇国では迫害に近い扱いを受けてきました」
皇国では異国人であったイサミの父は名の知れた貿易商会の長をしており、異国との貿易を生業にしてるだけあり、処世術には長けており皇国人からも無下に扱わることはなかった。皇国人を妻に迎えたこともあり異国の地でも良好な人間関係を作っていた。
しかし子供社会は残酷だった。黒髪の皇国人が絹のようだと羨ましがる父親譲りのイサミのブロンドの髪も子供達にとっては「皆と違う」という理由で侮蔑の対象だった。外を歩けば陰口を叩かれ、時には石を投げられた。
同世代の子供達からは迫害されていたイサミには、友達はひとりもおらず孤独な日々を過ごしていた。ずっと家にいては病床の母が心配すると思い、外に出ては誰にも見つからない場所を探して回る毎日だった。
イサミの幼少期は辛い思い出ばかりだった。母親は体が弱かったので仕事が休みで父が構ってくれる日曜日だけがイサミにとっての楽しみだった。
ひとりで過ごせる場所を転々としていたある日、イサミはひとりの少女に声をかけられる。
「ねえ、貴女いつもなにしてるの?」
「え?」
古ぼけた神社の片隅に佇んでいた、幼き日のイサミに声をかけたのは杏里と名乗る少女だった。歳はイサミより少し歳上で艶のある黒髪が美しい聡明さが印象的な少女だった。
「いや……あの……」
同世代の子供にまともに話しかけられたことのなかったイサミは酷く狼狽えた。いつもなら他人に見つかれば追いかけ回され石を投げられるか、よくて遠巻きに陰口を叩かれるかだったからだ。
「いつも思っていたの。貴女の金色の髪、綺麗だなって」
「え……?」
「ねえ触ってみてもいい?」
そう言って杏里はイサミの髪を優しく撫でるように梳かしていく。同世代の子供に褒められた経験はこれが初めてだった。この日を境に、イサミと杏里は交流を深めていく。杏里との出会いは地獄のようだった日々に光が差したように感じた。杏里は近くの道場の娘で、優れた剣術の持ち主だった。杏里に誘われるがまま道場に入門したイサミは、自分でも気づかなかった剣の才能を開花させていく。最初は異国人と馬鹿にしていた門下生達も、時が経つとイサミを尊敬の眼差しで見るようになっていく。イサミの内向的な性格も自信がついたことや、杏里の影響もあり徐々に堂々としたものになっていった。
それからいくらか歳月が流れ――――
「私達が皇国守護?」
「そう、ほら今は内戦で大変じゃない? だからここみたいな田舎に回す戦力がないみたいなの。だから自治体で武芸に明るい道場なんかが皇国守護を受け持ってもらいたいって下知がきてるの!」
目を輝かせながら語る杏里。皇家により長く国を治められていた皇国だったが、近年皇国に仕えていた一部が離反。自らを「帝国」と名乗り国の東部を一部支配した。これにより皇国は内戦状態になり皇国内の戦力は疲弊する。したがって地方まで戦力を割くことができなくなり地方自治体に「皇国守護職」の名乗りを許し、自治体各々で治安維持するように御達しが出たのだ。
「呆れた……要するに田舎まで戦力を割けないから自分の身は自分で守れという話でしょう?」
「まあそうなんだけど……でもおかげで私達は皇家守護を名乗ってもいいのよ!」
皇家守護職とは皇帝を含む皇家や、城下町守護を受け持つ精鋭集団であり、武を志す者からすれば最高の名誉職である。形式上だけではあるが、その「皇家守護」の名乗りを許されたことは道場の娘である杏里には堪らなく嬉しかった。
反対にイサミは混血であり皇国に対する愛国心は薄かった。しかし親友である杏里の喜び方をみれば、皇国守護職として治安維持に力を奮うことはやぶさかでなかった。
「まあ、実戦で腕試しができることは悪いことではありませんね」
「本当!? ありがとうイサミ!!」
照れ隠しをするように言うイサミを杏里は力いっぱい抱き締める。既に道場随一の実力者であるイサミが協力してくれるならこの上なく頼もしい。何より親友と共に国を守れる喜びが大きかった。
それからイサミ達「剣術道場明衛館」の門下生達は皇家守護職として治安維持を務める毎日を過ごす。犯罪者の捕縛や妖魔(魔族)の討伐等も行なった。イサミと杏里が道場筆頭として活躍していき、徐々に名を上げていき周囲の集落からも頼られるようになった。そんなある日――――
「竹町への助勢ですか?」
「うん。なんかやっかいな妖魔が出てるんだって」
「しかしあそこには名門の正道館があるではないですか。彼らは何を?」
「詳しいことはよく分からないけど行ってみない? 討伐すれば金一封も出るみたいだし!」
「ふふふ。貧乏暇なしとはこのことですね」
こうしてイサミ、杏里含む明衛館精鋭8名は5里(約16キロ)離れた竹町に向かった。
「これは……」
竹町にある名門正道館に向かうと既に道場は全滅していた。死体となった正道館の面々に加えて、建物は荒れ果て大人数で斬り合ったのか、道場内の至る所に刀傷や血痕が残されていた。しかし違和感もあった。
「妖魔の仕業にしては妙ですね……」
「うん。人間同士で斬り合ったみたい」
するとひとりの道着を着た男が呆然と立ち尽くしていた。手には刀を持ち道着は血に塗れていた。
「あのすみません……」
明衛館の門下生のひとりが男に声をかける。男に反応はない。
「おい! 聞いているのか!?」
無視されたと思い、門下生が男に詰め寄り肩を掴む。その瞬間男は素早い動きで振り返り門下生を斬りつける。
「ぎゃあああ!!」
袈裟斬りにした門下生を突き飛ばし、男はイサミに斬りかかる。相手の剣筋を読み寸前で躱し反撃をする。
「せいっ!」
男の腹部を真横に斬りつける。
「はああっ!」
僅かに怯んだ隙に杏里が男の首を斬りつける。首から鮮血を吹き出しながら倒れ、痙攣する男の体の心臓に刃を突き立てるイサミ。刺した刀をそのまま捻じり完全に息の根を止める。
「どうですか?」
斬られた門下生の安否を確かめる杏里に問うも首を振る。どうやらもう息はないらしい。男の死体を確かめると顔は異形の者だった。
「妖魔に取り憑かれたようですね」
「それでこの有り様なのね……」
どうやら妖魔に取り憑かれた正道館の門下生が仲間を斬り殺して回ったようだ。いきなり仲間に斬りかかられて、動揺してすぐに反撃ができなかったせいか被害は甚大になった。
「たったひとりで正道館を全滅させられるとは思いません。何人か取り憑かれてさっきの男が生き残りだったのでしょう」
その後イサミ達は集落を見て回るも凄惨な結果だった。多くの人が斬り殺されていたのだ。恐らく取り憑かれた道場の人間がやったのだろう。傷を見ればわかる。刀で人を斬るのは難しい。人を死に至らしめる程に深く斬り込むには相当の鍛錬が必要である。
集落の人間からすれば、本来自分達を守ってくれる人間が襲いかかってきたのだ。多くの人が混乱の中、逃げ出すことも叶わず惨殺されたのだろう。
イサミ達は死者を弔い帰路についた。それからしばらくしたある日。ついにイサミ達の集落でも妖魔に取り憑かれた者が現れた。そしてイサミ・K・クローバーにとっての二度目の地獄が始まる。




