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【完結】日曜日のアイリス  作者: 早坂凛
第四章 天才の苦難、垣間見えた闇
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45話 敗走

 天才、アリス・フェアリーテイルは森を駆けていた。右手で木々を薙ぎ払い、左手にはクラスメイトのフーラを抱えていた。イサミに斬られ、軽くない傷を負っていたが丁寧に抱えて走る余裕は今の彼女にはなく、最低限の止血だけを済ませ一目散にイゴールから逃げる。

 惨めな敗走。弱者の末路だった。上級魔族のイゴールはすぐに追いかけてくる様子はないが油断はできない。敵が余裕を見せている内にできる限り遠くに逃げなければならない。


(これだけ離れれば大丈夫のはず……)  


 森を10分は全速力で走った。向こうが本気でないならば、かなり距離が稼げたはずだ。全身から様々な汗が噴き出している。心臓も今まで感じた事無い程に、高速で鼓動し口の中には血の味が滲んでいる。

 立ち止まったアリスは、血の味のする唾液を地面に吐き捨てる。自分の負の感情を少しでも精算したかったのだ。息が落ち着く頃にはいつもの冷静さを取り戻す。


(フーラをちゃんと診なくちゃ……)


 フーラをゆっくりと地面に寝かせ周囲に気を配る。今襲われたらたまったものではない。アリスはフーラの服を脱がし傷口を観察する。


(鋭利な刃物による切り傷……イサミの刀ね……)


 医者のように傷口を診察する。アリスは才能は魔法だけでなく、医術にもある程度精通しているようだ。


(毒物なんかの反応はなさそうね。まあイサミの性格的に武器に毒を仕込んだりはしなさそうだし……)


 クラスメイトに強い関心はないが観察はよくしており、個々の性格などはある程度把握できていた。


(完全に止血するには傷を焼いた方がいいかなー)


 傷を焼くのは激痛を伴うが、失血死するよりはマシだろうと思い指先に炎を灯す。その時、ふと視界の先に人間のようなものを見つけた。





 アリスの数十メートル先。双子の妹メイメイが小さな小川に水を汲みに来ていた。周囲をキョロキョロと見回している。昨夜の襲撃もあり警戒しているのだろう。恐る恐る小川から水を汲む。そのとき、背後から声を掛けられた。


「ねえ」


「ひゃあああー!!」


 メイメイは悲鳴を上げて飛び退く。


「ちょっと大きな声を出さないでくれる?」


 万が一にも、イゴールに見つかるわけにはいかないアリスはメイメイを(いさ)める。


「ア、アリスちゃん?」


「やっほ……」


 いつも通り明るく挨拶をしたつもりのアリスだが、その声色はいつもより数段低かった。


「怪我人がいるの。診てくれる?」


「え? あ、うん……いいけど……」


 唐突なアリスからのお願いも快諾してフーラをメイメイの隠れ場所へと運ぶ。岩場の隙間にできた空間だった。周りには草木が生い茂っていて、敵からは簡単には見つかりそうにない。


「素敵な隠れ家ね」


 イゴールから身を隠すために、一時的にここに厄介になるのもいい知れない。アリスはそんなことを考えた。


「お姉ちゃんただいま」


 控えめに声をかけるメイメイ。中には姉のリンリンがいるようだ。


「お邪魔するねー」


「イサミッ!?」


 アリスの声を聞き飛び跳ねるように体を起こすリンリン。


「えっと……わたしだけど?」


「アリス……?」


 アリスの金髪を見てイサミだと勘違いしたようだ。予想外の来客だったが心強い味方には変わりない。非力な自分達には必要な、他小隊との合流を果たせたのだ。


「お姉ちゃん、フーラちゃんが怪我してるみたいなの……」


「フーラが?」


 横たわるフーラを軽く診察してリンリンは呟く。


「あんまり良くないネ。致命傷じゃないけど失血し過ぎてる。アリスにしては随分と雑な処置したネ」


「そんな余裕なかったから」


 思い出すのも億劫(おっくう)な様子でアリスは平坦に言う。

 アリスはクラスメイトの能力は(おおむ)ね把握している。当然王姉妹が、薬草学を始めとした医学に詳しいことも知っている。その方面に関してなら自分よりも博識だろうと。だからこそ、メイメイを見つけたときにすぐにフーラの治療の依頼をしたのだ。


「メイメイ、まずは完璧に血を止めるよ。凛草(りんそう)とあと増血剤代わりにランガの実も」


 正確にメイメイに薬草の指示を出し、アリスのその場しのぎの止血も、包帯で丁寧に巻き直す。その手際の良さは医者さながらだった。


「さすがね……」


 リンリンの技量に意識せずに称賛の言葉が出た。リンリンは一瞬アリスを見るが、すぐに顔を背けて治療を再開する。


「てゆーか、回復薬はないの?」


 シンプルな疑問だった。魔法薬学に精通している彼女達なら、回復薬くらい持っていても不思議ではない。


「もう使ってしまったネ……」


「そう……」


 回復薬を使う事態が彼女達にはあった。アリスはそれだけで何が起こったのかを悟り、それ以上は聞かなかった。リンリンも淡々と治療を進めていくが不意に口を開く。


「私はこれしかできないからネ。攻撃だって他人(ひと)の魔力頼みだし……」


 一撃玉のことを言っているのだろう。強力な魔法もクラスメイトを魔力を閉じ込めただけで、決して自分の実力ではないと言いたいようだ。


「昨日だって……」  


 そう言い掛けてハッとなりアリスの顔を見る。


「イサミ! アリスは森でイサミを見なかった?」


 昨夜イサミに気絶させられて目を覚ますと、この隠れ家にいた。安否不明のイサミの行方が気になっていた。

 アリスは一瞬逡巡する。


(確かこの子達のもう一人って……)


 イサミが王姉妹と小隊を組んでいたことを思い出す。


「ねえ、ちょっと聞いてくれる?」


 アリスは今日、自分の身に降りかかった出来事を王姉妹に全て話していく。上級魔族が現れたこと、コリンとイサミが操られてしまったこと、そのイサミがフーラに傷を負わせたこと、そして上級魔族の前には天才と(うた)われたアリスさえも敵わなかったこと。



「イサミ……」


 しょんぼりと呟くリンリン。自分達が足手まといになったせいで、イサミが敵の手に堕ちたと責任を感じているようだ。


「助けにいかなくちゃ……!」


 リンリンは勇気を出してイサミ奪還を口にする。それをアリスは冷めた目で見る。


「冗談? 無理よ。私達でどうにかなる相手じゃないわ」


 直接相対したからこそわかる敵の力量。アリスは天才(ゆえ)に即座に敵と自分の地力の差を悟った。序盤は一見押しているように見えた戦闘も、相手に遊ばれていただけだった。あの場から、フーラだけでも連れて逃げられたことは幸運だったと言える。


「み、皆で戦えばもしかしたら……」


 アリスの投げやりな言葉に、リンリンが怒り出す前にメイメイはフォローを入れる。


「人数の問題じゃないの。仮に魔法クラス全員で挑んでも全滅するのがオチよ」


 なんとか光を見出そうとするメイメイを完全に絶ち切る。


「そんな……」


 リンリンはまだ納得できないようで悔しそうに唇を噛み締めている。アリスがクラス一の実力者だと知っているからこそ、その言葉は重い。


「わかってくれた?」


 実際はクラス全員で挑めば()()()はある。ただそれは、何人かを捨て駒のように扱うやり方であり、今ここで口にするようなことではない。まずはこの2人に相手の異常さを理解させなくてはならなかった。


「なら私達は何をすればいい?」


 リンリンはアリスに問う。その目には自分の力不足を嘆きながらも、何かできることを探そうとする使命感のようなものが宿っていた。


(いい医者になれそうね)


 リンリンの瞳に病に立ち向かう医者に近いものを感じたのか、アリスは一瞬口角を上げてすぐに冷静に指示を出す。


「まずはフーラを回復させて。ここは見つかりにくい場所だから無闇に歩き回るよりは安全だと思う」  


「私は周囲の様子を探ってくる。何かあったらすぐに逃げられるように荷物はまとめておいてね」


 アリスはそう言って隠れ家を出て周囲の巡回に向かう。巡回と言っても、敵に見つかるわけにはいかないので姿を隠しながら慎重に森の様子を見て回る。

 一段落したら小休止ができそうな岩陰を見つけて休息を取る。そして森に入ってからの一連の出来事を頭の中で整理し始める。


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