40話 契約
「と、まあこんな感じだよ」
アイリスはハーネットの想定外の話に言葉を失った。
「お、おおよその事情は理解しました。今は私達を見ても……その大丈夫なのですね?」
ハーネットの殺戮衝動が自分達に向かないのかセシリアは心配だった。開校以来の天才だったハーネットがその気になれば自分達はひとたまりもないからだ。
「大丈夫だという自信があるから姿を現したつもりだよ。心配しなくていい」
「そうですか……」
とりあえずは安心という具合でセシリアは胸を撫で下ろす。
「森に入って魔族や獣がいねーのは、あんたがみんなやっちまったからか」
「この森も広いからね。完全にとはいかないだろうけど、あらかたは片付いているはずだよ。まあ僕みたいなアンデットも相当な数がいたんだけどね」
「さらっととんでもないことを言いやがりましたね……」
「貴方以外にも生徒を襲うアンデットがいるのですね」
「大半は既に破壊済みだ。まあ強力な奴が1体残っているけどね」
残るアンデットがたった1体とはいえ、ハーネットのような戦闘力がある敵がいるのは生徒達にとって十分脅威だった。不安そうな顔をするをセシリア達にハーネットは付け加えの説明をする。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。残るアンデットは僕と同じくらい強い相手だけど彼女はこちらから戦意を見せなければ誰彼構わず襲ったりしないんだ。僕と違ってね」
「結局私達は何をすればいいんですか?」
「そうなの、話が長いの」
アイリスに同意するようにカルナがツッコむ。
「残るアンデットを説得……できなければ破壊して僕を連れて森を出てほしい」
「森を出るだぁ?」
「僕は殺戮衝動の術式を解術できても、森を覆う結界だけはどうすることもできなかった。君達も自力では無理だろう?」
「そういえば学院が用意した魔法陣で森に入りましたね」
「僕はもう死んだ身だ。今更生にしがみつくつもりはない。だが、誰がなぜ生徒を殺すために僕を蘇らせたのか、それが知りたい。僕を連れ出してくれるなら、君達が森にいる間の身の安全は保証するよ。もっとも大して敵はいないだろうけどね」
死んでしまったことは仕方ない。命を落としたのは、天狗になり命のやり取りを軽んじた自分の愚かさ故だ。自身の死については、ハーネットは受け入れることができていた。しかしアンデットにされ、自分の意志とは関係なく、殺戮兵器にされたことに関しては決して許容できるものではなかった。
ハーネットの望みは、森を出て自分をアンデットにしたあげく生徒殺戮の術式を組み込んだ人間に復讐することだった。
「アンデットなんか森から出したらやべーだろ」
世間的にアンデットの扱いは魔族とほぼ同義である。ハーネットを結界の外に連れ出すことは決して安請け合いできる事柄ではなかった。
「悪い人ではないみたいですし、一緒に出てあげてもいいんじゃないですか?」
「いいわけないの! アンデットなんか信用できないの!」
文字通り安請け合いしようとするアイリスをカルナが窘める。カルナからすればアンデットは敵であり協力することはありえない選択だった。
「これは一生徒である私達の裁量を超えた案件です。今ここでは判断致しかねます」
セシリアは優等生らしい至極真当な意見を口にする。
「同感だな。俺達じゃどうしようもねえ……」
マードックもセシリアに同意するも、アイリスは首を捻りながら発言する。
「でもその気になればカルナちゃんを閉じ込めている間に私達を脅すこともできましたよね?」
ハーネットが全力を出せばまともに対抗できるのは上級精霊のカルナくらいだ。そのカルナを一時的に閉じ込めたハーネットには、アイリス達を脅迫することや3人の内の誰かを殺す選択肢もあった。あるいは人質にするなど方法はいくらでもあっただろう。にも関わらずハーネットが選んだ手段は「対話」だった。
「なので私はハーネットさんを信用します!」
自信たっぷりと言い切り、自慢の胸を張るアイリス。
「アイリス、気持ちはわかりますが……やはり私達だけで判断していい事案ではないと思うの……」
セシリアはハーネットの紳士的な振る舞いには理解を示していた。ただアンデットという未知の存在をどう扱ってよいか測り兼ねていた。不測の事態が起こった際に、自分の力ではどうしようもないというのも懸念材料のひとつだった。
マードックも同様に自分達の力量を大きく超える存在に慎重な姿勢を示していた。
「アイリス。本気でこいつを外に連れ出す気なの?」
理性的な声色でカルナがアイリスに問う。
「ええ、もちろんです。それに私達が連れ出さなくても他の生徒に同じ提案を持ち掛けるだけでしょう。それに次は実力行使に出るかもしれませんしね」
目を細めて口角を上げハーネットを見るアイリス。ハーネットは、得意の愛想笑いでアイリスからの疑いの目を躱すが、心の中ではわずかに波が立っていた。
それはまさにアイリスの言う通りだった。森の外に出るためには、アイリス達でなくてはならない理由はない。要は誰でもいいのだ。ハーネットは学院のカリキュラムをある程度理解しており、生徒が森に入る際は班を組み複数のグループで動く。アイリス達が駄目でも候補はまだいくらでもいる。幸い森の脅威は自分が大半は排除した。
そして本来無益な血を流すことを嫌うハーネットだが、いざとなれば生徒を脅せば済む。それを行使するつもりはないがやればできる。
「わかった。アイリスがそう言うなら私は反対しない」
アンデットであるハーネットに対して、最も敵意を示していたカルナは主人であるアイリスに従うようだ。
「お二人はどうでしょうか?」
「そうね、確かに私達が拒否しても問題の先送りにしかならないわ」
セシリアは、いずれ誰かに降りかかる問題なら自分達で処理しようと考えを改めた。マードックは未だに口を閉ざし何か別のことを考えていた。
「おめぇー何かあったらあいつに勝てるのか?」
ぶっきらぼうにカルナに尋ねた。マードックは何か起こった際に、自分達の戦力でハーネットを抑えられるかを計算していた。自分達の中で最も戦闘力が高いのが上級精霊のカルナだ。
不意に声を掛けられたカルナは首だけぐるりと回して答える。
「人間。お前、誰に口を聞いているの?」
マードックの口調と質問がお気に召さないようだ。
「私があんなアンデットなんかに負けるはずないの」
「お、おう、そうか……」
カルナの発する圧にマードックは気後れする。彼女の実力を直に見たからだ。もしハーネットに向けた殺意が自分に向いたらたまったものじゃない。
「ふふふ。まあ、僕の本気があの程度だと思われるのは困るなぁ……」
カルナの発言に挑発的に答えるハーネット。カルナに下に見られたことで、かつて天才と呼ばれた男のプライドをくすぐられたのだろうか。
首を45度傾けて無言の圧力をかけるカルナ。それを涼しい顔でかわすハーネット。
緊張を覚えたセシリアとマードックだが、アイリスだけはいつもと変わらぬ態度で両者の間に入る。
「はい! 煽らない、煽らない」
手をパンパンと叩き2人を諌める。
「もー森を出たいならカルナちゃんを煽らないで下さい」
「はは、申し訳ないね」
味方についたことで砕けた態度を見せるハーネット。これが本来の彼の性格なのだろう。
「とりあえず契約成立ということでいいのかな?」
「ええ、よろしくお願いします!」
アイリスはハーネットは握手を交わしひとまず問題解決だ。
「妙な動きをしたら……」
「わかっているさ。僕は森を出られるなら君達と争う気は毛頭ない」
ハーネットを牽制するカルナ。セシリアとマードックもカルナがいるならと安堵した。
とりあえず移動しようとした時にカルナが立ち止まる。
「あっ!」
「カルナちゃん? どうしました?」
「アイリス、森を出るのはいつ?」
「え〜と……もう日付は変わりましたから明日? いや丸3日なら木曜日ですね!」
「わたし……火曜日の精霊なの……」
アイリスは一瞬思案した後、やらかしたと言わんばかりの顔をする。森を出るのは2日後。カルナは今日中しか召喚できないために計算が合わない。ハーネットの見張りは次の精霊に託す必要がある。
明日召喚される精霊のことを思い、アイリスは天を仰ぐ。
「そ、そういうわけだからよろしく頼むの……」
カルナは申し訳なさそうにアイリスを励ます。現在試練2日目、午前1時過ぎ。魔族から襲われる不安はなくなったが、代わりに危険なアンデットがパーティーに加わった。




