37話 来訪者
アイリスは不安そうに契約精霊の名前を呼ぶ。
「カルナちゃん?」
召喚されたはずの火曜日の精霊カルナはアイリスの呼びかけには応えない。
「もう日付は回っていますよね?」
「ええ、今は0時2分よ」
セシリアは胸元から懐中時計を取り出し時刻を確認する。
几帳面なセシリアは持ち物のメンテナンスも怠ることはない。時計が狂っているということはないだろう。
「おい! なんだありゃ!」
マードックが指先を差した地面には、魔法による闇沼ができていた。そこからヘドロなような黒い闇を纏いながら何者かが浮上してくる。
「カルナちゃん……じゃない……?」
一見するとカルナが使用する闇属性の魔法に酷似しているが目の前の人物から感じ取れる魔力はカルナのものではなかった。
「敵なら容赦しねえぞ!」
マードックは威勢よく叫ぶと魔法陣を展開。ジョージ戦のように巨大な岩石を召喚する。
「岩石弾!!」
拳に砕かれた岩石の破片が敵を直撃する。しかし手応えがまるでない。まるですり抜けたように後方に着弾する。
「何の手品だよ……おい」
マードックは攻撃が回避されても、興奮することなく冷静に起こった事実を分析する。今の彼は完全に戦士の目をしている。
「ひどいじゃないか……僕は何もしていないだろう?」
弱々しい男の声がアイリス達の後ろからした。いつの間にか背後を取られていた。男は闇の魔法を身に纏い、長めのコートにフードを被っているため顔はよくわからない。
男の声に反応して、3人とも一斉に後ろに下り男から距離を取る。男を囲むように、そして互いが互いをカバーできるギリギリの距離感を保つ。即席チームとはいえ、これだけスムーズに行えるのは3人とも名門の狭き門をくぐり抜けた逸材であり、数ヶ月に渡る学院での戦闘訓練の賜物だろう。
「カルナちゃんをどこにやったんですか?」
アイリスは男を睨みつけるように尋ねる。
「カルナ? あの精霊のことかな? 彼女なら少し大人しくしてもらっているよ。あの中でね」
男が指差したのは男が最初に現れた闇沼だった。アイリスがそこに駆け出そうとした瞬間に、男は指を鳴らし闇沼を閉じる。
「害を与える気はないよ。ただ、彼女は話し合いには向かないからね」
「信じられませんね……」
得体の知れない相手の言葉は、普段能天気なアイリスであっても鵜呑みにできるものではない。
「まあだろうね」
「あの、貴方は話し合いと言いましたね? それはどういうことですか?」
『人語が話せるのは上級魔族』
その言葉を頭の反芻するだけで恐怖が込み上げてくるが勇気を奮い立たせ相手に対話を試みる。
「言葉の通りだよ。僕は君達と話がしたいだけさ。戦うつもりは毛頭ないよ。君の精霊も話し合いが終われば返してあげるよ」
聞き慣れたような優しい言葉遣いは根拠のない安心感をアイリス達に与えた。
「てめぇ魔族だろうが! 信用できっかよ!」
しかし2人と違いマードックは男に対して明確な敵意をぶつける。
「う〜ん……魔族とは少し違うんだけどな。まあその辺りも追々話していければ――――」
男の言葉を遮るように後方から轟音が響く。闇が包む夜の森を一本の巨大な火柱が照らし上げる。彼女を閉じ込めていた闇沼は消滅し、代わりに彼女自身の闇の魔力が辺りに立ち込めている。火曜日の精霊カルナである。
「まさか僕の結界を破るとはね」
男は驚いたようにカルナを見る。
「よくも……よくも……この私を……」
召喚の瞬間、不意を突かれたとはいえど敵の魔術に嵌まってしまったことにカルナは激昂する。わなわなと怒りに震えながら男を睨む。
「地獄の苦しみをあなたに与えるの……」
「カルナちゃん一回落ち着いて下さい!」
「アイリス! こいつは今ここで殺すべきなの!!」
カルナは逆上しているせいか、アイリスの言葉も頭に入らないようだ。
「死ね」
カルナはそう言うと魔力を練り始める。カルナを覆う闇と炎の二属性の魔力が男に向けて突き出した人差し指と中指に吸収されるように集約されていく。
「配合魔法 灼熱の闇光線」
漆黒の鋭く尖らせた槍のようなレーザーが、男目掛けて無数に飛んでくる。男はとっさに透けるように地面に沈む。
カルナは意に介さず、男が地面に沈んだ周囲に灼熱のレーザーを連発で撃ち込む。地面はマグマでも通った後のように焼け爛れ、コールタールを塗りたくったような大きなクレーターをいくつも作る。まるでこの一帯だけ戦車隊の砲撃を受けたような有様だ。
「うそ……」
「マジか……」
上級精霊カルナの本気にセシリアとマードックは言葉を失う。以前ジョージに恐怖を植え付けたカルナだったが彼女からすればあれはお遊びみたいなものだった。
しかし今は殺意を持って相手を殺しにかかっている。発動した魔法も高度な合体魔法だ。
「ふうっ……ふうっ……」
カルナは興奮しているのか肩で息をしている。
「ちぃっ……どこにいったのっ!?」
強力魔法を放つも手応えはなく、カルナは男の行方を探すためキョロキョロと周囲の気配を探る。
「カルナちゃん」
「え? わぷうっ……」
アイリスはカルナの目の前まで行き水の魔法で水鉄砲のようにカルナの顔に水をかける。
「な、何するの!?」
カルナは抗議したがアイリスはまあまあと宥める。
「とりあえず一回落ち着きましょう。どうやら敵ではないみたいですよ?」
「そんなわけないの! 召喚の瞬間を狙うなんて卑怯なの! 無礼なの!」
よくわからない精霊なりの感覚があるようだ。人間でいえば寝起きを襲われるようなものなのだろうか。
「とにかくまずは話を聞きましょう。それで納得できなければぶっ飛ばしても構わないので!」
「むぅ……アイリスが言うならそうするの……」
とりあえずカルナは納得したようだ。
「あの、私達もそちらに行っても大丈夫かしら?」
木の影から、アイリスとカルナの様子を見ていたセシリアとマードック。カルナの魔法の巻き添えにならないように隠れていたようだ。
「ええカルナちゃんも落ち着いたみたいなので」
4人は集合して周囲を窺う。
「これ…死んでないですよね?」
カルナの攻撃は回避していたように見えたが、地面の下まで貫通した魔法の威力は凄まじく、アイリスは男の安否を気にする。
(森が焦土って冗談じゃなかったのかよ……)
マードックは呆れたようにマリアの言葉を思い返す。
「もう出て来ても平気かな?」
地面からぼこりと姿を男は姿を現す。カルナは再び敵意を出したがアイリスが諌める。
「学院の生徒が上級精霊を何体も使役しているとは驚かされたよ」
「私達が学院の生徒だと知っているんですか?」
アイリスが男に尋ねる。男は一度息を吐き丁度いい岩に腰かけ、アイリス達にも座るように促す。そしてアイリスの目を見て話し出す。
「まずは自己紹介から始めようか。僕はアンデットのハーネット。かつて王立魔法魔術学院の生徒だった」




