207話 墜ちる正義
リリィの死亡を確認すると、素早くその場から離脱する。ビルの合間を縫うように移動し、現場から十分に距離を取るとそこは船着き場だった。
(海か……)
大陸育ちのジェノスにはあまり縁がなかった。物珍しい景色をしばらく眺めていると3つの人影が現れる。プロミネンス達だった。
全てを見ていたように満足そうな笑みを浮かべていた。
「しかと見ていたぞ。大天使の最期をな」
「まるで手応えがなかった。何故私にやらせた? 君達ならもっと楽に殺れたはずだ」
ジェノスはリリィのことを多少弱っていても、精霊の王と呼ばれるからには相当の実力者だと思っていた。だが、実際のリリィからは並の精霊程度の魔力しか感じなかった。プロミネンス達ならば、いつでも始末できたはずだ。
「奴は精霊界を追放された裏切り者だ。我等が手を下すまでもない。精霊の王でありながらただの人間に殺される。裏切り者に相応しい末路だ」
プロミネンスは心底嬉しそうに白い歯を見せた。
「それは沽券に関わるんじゃないのかい?」
「我等が意図して殺めたのだから問題はない」
(それだけのために……)
ジェノスはプロミネンス達の思考を訝しんだが、リリィは自分にとっても邪魔な存在だったため、それ以上考えないことにした。
「利害の一致というわけか」
「貴様には十分な対価を支払ったつもりだが?」
「ふん、まあいい。魔女は死んだ。これでジークも目を覚ます……」
ジェノスは濁った目で薄気味悪い笑みを浮かべた。
「そいつは我等にはどうでもよいが、仲間にするのなら余計な疑いがかからぬように日を空けることだな」
「わかっている」
リリィが死んでから1年が経った。妻を失ったジークの悲しみも癒えた頃だろうと、ジェノスは何食わぬ顔で再びセントラルに足を運ぶ。もちろん改めて騎士団へ勧誘するためだ。結果として勧誘は不発に終わってしまう。死後1年経ったにも関わらず、ジークのリリィへの想いは消えていなかった。むしろ悪い意味で彼女への執着を見せていた。
さらに数年の刻が流れた。ジェノスは事あるごとにジークの元へ足を運ぶが、まともに取り合って貰えなかった。それどころか、一層リリィに対する執着を見せるようになっていった。外部に調べさせた報告によると、会社の経営すら蔑ろにして怪しげな実験を繰り返しているらしい。人格的にも徐々に破綻していっているようだ。
「何故だ!? 魔女は葬ったのに何故ジークは!!?」
「ふん。それだけリリィにご執心だったのだろう」
「おかしい!! こんな……こんなはずでは!!」
プロミネンスは鬱陶そうな目でジェノスを見る。プロミネンス達にとって、ジェノスは人間同士で内乱を起こすためにまだ必要な人間だった。それ故リリィの死後も元帥の皮を被り彼に協力してきたのだが――――
(洗脳が行き過ぎたか……これでは使い物にならぬ……)
それから時間が経つにつれ、ジェノスはジークに憎しみのような感情を持ち始めた。プロミネンスはそこに漬け込む。
「ジークを……殺すだと!?」
プロミネンスはジーク・アンフィールドの殺害をジェノスに持ちかける。当然ジェノスはその提案を拒絶する。
「まあ聞け。貴様がジーク・アンフィールドに執着する理由は奴の実力だろう?」
「……そうだ。ジークの剣には世界を変えるだけの可能性が秘められている。私はそれをこの目で――――」
「わかったわかった。要するに騎士団を立て直すだけの実力とカリスマ性。貴様はこれを欲しているのだろう?」
「…………」
それはイコール、ジークが必要だと思っているジェノスにはプロミネンスの言葉は解せなかった。
「ジークを殺せ。さすれば我等がジークと同等の人形を造ってやろう」
「人形だと?」
「ホムンクルス。人間界ではそう呼ぶらしいな、ようするに人間もどきのことだ」
「ホムンクルスなどでジークの代わりができるものか」
「本人そのものに成り代わることはできぬが、限りなく近い存在を造り上げることはできる。特に本人の血肉があればより精巧な人形が出来上がる」
「だ、だからと言って……ジークを殺すなんて……」
ジェノスはジークに対して憎しみを抱き始めていた。だが、まだ殺意は芽生えていないようだ。しかしこれもリリィのときと同じだ。この僅かな憎しみを育ててやればいい。
「考えてみろ。今のジークに騎士団を変える力があるのか。妻の死後、会社も家族も蔑ろにするような男だぞ? それにどれだけ剣を振っていない? 肉体だって日々衰えていくのだ。そんな男にどれ程の価値があると言うのだ?」
「そ、それは……」
実際ジークが剣から離れて10年以上経っている。ジェノス自身も彼の衰えた肉体を目にしている。ジェノスが追い求めているのは学院時代、剣聖と呼ばれていた頃のジークだ。だが、その時代のジークはもういない。
「奴の血肉を使えば、若く従順な最強の騎士が手に入るのだ。貴様は騎士団を復権させたいのだろう?」
「…………」
ジェノスはもはや薬物中毒者のような状態だった。時折、正気に戻りリリィを殺めた自責の念に駆られることがあっても、すぐに「あれは正しい行いだった」と脳内が書き換えられる。プロミネンス達の洗脳は、ジェノス・ランドールという人間を完全に狂わせていた。
そして正気を失ったジェノスは凶行を繰り返す。




