206話 リリィの最期
黒のローブを被り、セントラルの街中に佇むジェノス。ローブに隠れた目は狂気に染まっていた。セントラルに来た理由はもちろん、ジークを誑かした魔女を始末するためだ。
(あの魔女さえ、いなくなればジークは――――)
リリィと出会わなければジークは騎士団に入団していた。そしてジェノスと共に王国騎士団を世界一の組織に成長させていく。そんな妄想に支配されていた。
ジークはリリィと出会い、おかしくなった。故にリリィを消せば間違いは正される。プロミネンス達の洗脳にかかり、ジェノスは事実をこのように盲信していた。
(間違いは正さなくてはならない……)
雨の降る中、ジェノスは微動だにせずターゲットを待つ。待つこと数時間。女性が子供を連れてマンションから出てくる。傘で顔は見えないが、あの純白の髪は忘れない。あの魔女だ。ジェノスはふたりに気づかれないように十分に距離を取り尾行する。
セントラルは都会なので常に人目があり、なかなかチャンスが訪れない。機会を窺っている内にふたりは建物の中に入ってしまう。
(ちっ……仕方ない)
ジェノスはそのまま建物を見張る。そして1時間程でリリィが出てきた。幸運なことにひとりだった。リリィは来た道とは違う方向へ歩く。
好都合にも徐々に人通りの少ない場所へ歩いていく。
(殺るか……)
裏路地に入ったところでジェノスが剣を抜き、リリィと距離を詰めようとした瞬間だった。急にリリィが振り返る。
「何っ!?」
咄嗟のことで姿を隠す余裕はなかった。剣を持ったままリリィの前で立ち尽くす。
「あなた、私をずっと尾けてたでしょ? 気づかないと思った?」
姿を見られるとは思っていなかったジェノスは動揺する。しかしすぐに頭は憎悪で支配される。
「ふふふ、こうやって話をするのは初めてかな」
ジェノスはフードを取り顔を晒す。
「あなた……確か……」
リリィとジェノスは面識がなかった。だが、リリィはジェノスのことを知っていた。ジークが部屋に飾ってある学院時代の数少ない写真にその顔は写っていた。
「ジークの友達だった……」
「へえ、知ってくれてるとは光栄だね」
ジェノスは笑顔を見せるが目は笑っていない。
「それで私に何か用かしら?」
剣を持っている以上、目的はひとつだがリリィは敢えて尋ねる。
「決まっているだろう? ジークを誑かした魔女の始末だ」
そう言ってジェノスは剣を握る手に力を入れる。
(なるほど、そういうこと……)
リリィは思い出す。目の前にいる男はジークに度々騎士団へ入団を迫っていた男だ。
(何年か前に訪ねてきたってジークに聞いてたけど、この様子を見る限り諦めてないようね)
「私を殺せば、ジークが騎士団に入ると思ってるの? 話が飛躍しすぎじゃない?」
ジークは学院時代に王国騎士団を手堅い職業と言っていた。それこそリリィと一緒に旅に出なければ入団していた可能性もあっただろう。そうした経緯から自分が恨まれ、襲撃されていると理解する。
「そんなことはない。君さえいなくなればジークも目を覚ますだろう。――ッ!?」
リリィが放った魔法弾を弾くジェノス。
「知らないと思うけど、私、物凄く強いわよ?」
リリィはジェノスを牽制する。強い物言いとは反対に額から汗が流れた。
「その程度の魔法で僕を殺れはしない」
「へえ、そうなの」
精霊王リリィと騎士団大将のジェノス。本来であればリリィにとって、ジェノスなど相手にもならない存在だ。しかし精霊界に帰れず、アイリスを産んだ今の衰えた体と魔力では為す術はなかった。
ジークに迷惑をかけないように単独でジェノスを迎え討ったはいいが、完全にジェノスの実力を見誤ってしまった。
(大通りまで逃げれば……)
人通りのある大通りでは手を出せないと、ジェノスとは反対側に走り出そうとした瞬間だった――――
「おかあさーん」
(アイリスっ!?)
ジェノスを挟んで、裏路地の反対側からアイリスの声がする。ラボにいるはずのアイリスだが、リリィを探しにきてしまったのか、最悪のタイミングでその姿を見せる。
「あ! おかあさーん!」
幼いアイリスには母親以外の姿は視界に入っていないのだろう。無邪気に手を上げながらリリィに向かって走ってくる。
「アイリスっ!! 来ちゃだめ!!」
その瞬間、ジェノスが醜悪な笑みを見せる。アイリスに向かって剣を振り上げたのだ。
(いけないっ!!)
リリィはジェノスの剣など見ずにアイリスに向かって走る。アイリスを抱き締めた瞬間に体に衝撃が走る。
「――――っ!? ふふふ……アイリス捕まえたぁ〜」
「えへへ、つかまっちゃいましたー」
リリィは背中に走る激烈な痛みを全く表情に出さず、アイリスに笑顔を向ける。リリィに覆われるように抱き締められているアイリスにはジェノスの姿は見えない。
「だめでしょ? ひとりでお外に出たら」
「おかあさんをさがしにきました!」
「――――――――っそう……」
アイリスを庇った際に背中を袈裟斬りにされ、さらに背中から心臓を一突きされる。
「きゃああああっーーーー!!!!」
通りからジェノスがリリィを刺している現場をみた人間が悲鳴を上げる。
「ちっ……」
ジェノスはすぐさま女性に忘却魔法をかけ記憶を消す。そして再び、この現場を見ても何も思わないように感情麻痺の魔術をかける。
「あれ、わたし?」
叫び声を上げた女性はリリィを見ても無表情で通り過ぎていく。しかし女性の叫び声に反応して人が集まってくる。
ジェノスは壁を登る。これ以上人に見られるわけにはいかない。しかしリリィの最後を確認するために登った建物からふたりを観察する。
「おい! あんた! 大丈夫か!?」
「憲兵を呼べ!! 人が刺されたぞ!!」
周囲が慌ただしくなる中、ジェノスはリリィとアイリスを凝視する。
「おかあさん?」
アイリスはリリィと周囲の様子がおかしいと気づく。
「うっ……ゴボッ……」
「おかあさん!? またからだが……」
「平気よ……おかあ……さ、強い……もの……」
精霊王の王たるリリィだったが、今は体のほとんどの器官が人間と同じだ。大量出血に心臓を一突き。本来なら即死だがリリィは辛うじて生命を繋ぎ止めていた。
「アイリス……わたしの……こと、忘れて……ね」
「え?」
「しあ、わせに……」
朦朧とする意識で、アイリスの目を手で覆う。もう魔力はほとんど残っていなかったが、周囲の魔力をかき集め最後の力を振り絞り、アイリスに仕掛けていた魔術を発動させる。
「あ、れ……?」
魔術の影響なのか、アイリスはそのまま眠るように気を失う。愛する我が子の寝顔を最後の記憶に、リリィ・アンフィールドは絶命した。




