109話 友達
小雨の降る、肌寒い夜。ローブのフードを被ったセシリアがアイリス宅のベルを鳴らす。
ガチャリ――――
扉が開いた。応対したのはカルナだった。カルナは無表情でセシリアを一瞥してから背を向ける。
「入って」
カルナは一言だけセシリアに告げると部屋に戻っていく。決して友好的な態度ではないが、敵意を見せることもなかった。
「失礼致します」
フードを外し、部屋に上がるセシリア。
「お待ちしてました! セシリアちゃん!」
「いやぁ〜いらっしゃい」
部屋ではアイリスとエレノラが待っていた。一応用心のために玄関先ではカルナが応対したようだ。セシリアの顔を見るとエレノラは席を外す。
「積もる話があるだろう。私は寝室にいるから何かあったら呼んでね〜」
そう言ってさっさと退場していった。
「むぅ……」
カルナもやや不満そうだったが、とぷんと足元の闇に姿を隠す。これでリビングにはアイリスとセシリアのふたりきりになる。
「ごめんなさい。精霊の方には気を遣わせてしまいましたね……」
「いえ、私がお願いしたことですから」
「そう……体はもう平気?」
「はい。私は元々大した怪我なんかしてませんから! それよりセシリアちゃんの方こそ大丈夫なんですか?」
「ええ、シャロン先生に治していただいたから、もう痛みもないわ」
「それは何よりですね!」
「ええ……」
「…………」
「…………」
席に着く間もなく矢継ぎ早に話していたふたりは、お互いに沈黙して気まずい空気が流れる。しかしすぐにセシリアは口を開く。
「ごめんなさい……!!」
セシリアが深々と頭を下げる。アイリスは驚いて目を見開いたが、セシリアの謝罪の理由はわかっているだけに簡単に頭を上げろとは言わなかった。
頭を下げたまま微動だにしないセシリアに声をかける。
「もういいですから……」
本心だった。セシリアが自分の命を狙う暗殺者だとわかったとき、ショックだったのは間違いない。だが彼女は自ら正体を明かし、本心をさらけ出してくれた。その行動はアイリスが知っているセシリアのもので間違いなかった。
「私が貴女へしたことは決して許されることではないわ……」
セシリアはそう言って頭を下げたまま震えていた。彼女は自分で自分が許せないのだろう。アイリスの件に限らず、自分が生き抜くためとはいえ他人を殺めてきた過去の自分を。
「ていっ!」
「あうっ……」
アイリスの手刀がセシリアの頭に落ちる。
「アイリス……?」
「全く……セシリアちゃんは頭いいくせにたまに馬鹿ですね……」
アイリスは呆れたように言った。そしてセシリアの目をしっかり見ながら自信たっぷりに言う。
「私がもういいと言ったからもういいんです! 出会い方は間違っていたのかも知れませんが、私はセシリアちゃんのことを親友だと思っています! そしてセシリアも私のことを友達だと思ってくれているんですよね?」
アイリスの言葉にセシリアが呆けたような顔をする。
「親友……ええ……そうなればいいなって……ずっと思っていたわ……」
「ならもういいじゃないですか!」
「でも私は昔っ……」
喉元まで出かかった言葉が詰まる。「多くの人間を殺めてきた」既にアイリスは周知の事実だろうが、自ら口にするのは憚られた。
「私は今のセシリアちゃんが好きなんです。それに昔は私もそれなりにやらかしてますから……」
セシリアを気遣いながら、アイリスは少し照れたように過去の黒歴史を口にする。幼い頃にアイリスも故意でこそないが魔法事故を起こし怪我を負わせた人間がいた。
だから、セシリアが過去に何をしていようが関係ない。今の彼女を受け入れると――――
「アイリス……ありがとう……」
セシリアの目から涙が溢れる。
「本当に……私は貴女に出会えてよかった……」
心からの本心を口にしてアイリスを抱き締める。
「ふおっ? セシリアちゃん……!?」
突然の抱擁に照れながらも、アイリスも抱き返す。
そしてふたりは話題は交換留学に移る。
「シャロン先生はああ言ってましたけど……あれ嘘ですよね?」
アイリスは心配そうにセシリアに尋ねる。
「半分は、というところかしら。エヴァンレッジに通うことは本当なの」
「どういうことですか?」
セシリアはシャロンとの取り決めを話した。学院長の立場としては改心したとはいえ、元暗殺者とターゲットであったアイリスを同じ教室においておくことはできない。またXからの報復を考えて一時的に姿を隠した方がいいと。エヴァンレッジ魔法学校にはシャロンの顔が利くため、雲隠れするには丁度よい場所であった。
このセシリアの説明にアイリスは納得したようだった。
「わかってくれたかしら?」
「ええ……シャロン先生も色々考えているんですね」
戦いの夜にシャロンが、セシリアを殺してしまったんじゃないかとすら考えていたアイリスは安心した。しばらく会えなくなるのは寂しいが、二度と会えなくなるわけではないのだ。悪い予想は杞憂は終わり、ふたりは他愛もない話を続ける。
23時半。
「すっかり長居してしまいましたね」
「なんなら泊まっていってくれてもいいんですよ?」
「うふふ……気持ちは嬉しいけれど、留学までもう時間もないし準備も進めないといけないから……」
「仕方ないですねー。では次の機会に!」
「ええ、ではおやすみなさい」
「はい! おやすみなさい!」
玄関先で別れの挨拶を交わし、セシリアはアイリス宅から少し歩き森へ入る。雨は止んでいたが、濡れた木々から水滴が落ちてくる。頬に当たる水滴は何故か必要以上に冷たく感じた。
「別れの挨拶は済みましたか?」
木の影から現れたのは学院長のシャロンだった。離れた場所からセシリアの動向を監視していたようだ。
「ええ、最期の時間を作っていただき感謝致します」
「では参りましょうか」
「はい」
ふたりはしばらく歩き、少し開けた場所に出る。そしてシャロンは立ち止まり、セシリアと向かい合って口を開く。
「セシリア・グリーングラス。まさか貴女が我々アイギスの情報網を持ってしても、捕えることができなかったXの刺客だったとは……改めて感服致します。貴女の暗殺者としての技量、そして組織への忠誠心を――――」
それは自分よりも一回り以上若い魔女に対する素直な称賛だった。
「それ故に疑問なのです。アイリス・アンフィールド。彼女とはまだ付き合いは浅いのでしょう? 何故今まで積み上げてきたキャリア、そして人生を棒に振るような真似を?」
セシリアは組織からのアイリス暗殺命令を無視。その上でアイリスにとって有害になり得る学院の魔法兵器の存在に気づき破壊を目論んでいた。ひとえにアイリスの身を案じたためだ。シャロンにとっては、アイリスの何がセシリアをそこまで衝き動かしたのかわからなかった。
「さあ……どうしてでしょうね……」
セシリアは少し困ったように答える。
「元々好きで暗殺者になったわけではありませんし……向いてなかったのでしょう」
自虐的に答えるセシリアだが、彼女の顔に憂いはなかった。
「ずっと前から普通の人間として生きてみたかった。だからただの学生として過ごした、この数ヶ月は本当に楽しかった――――」
シャロンの問いにはズレた返答だったが、彼女は黙ってセシリアの話を聞いていた。
「結局私は心を殺し切ることができなかったんです。僅かに残した希望がアイリスの明るさに当てられて、非合理的な選択をしてしまったのでしょう」
ターゲットを殺す暗殺者としての『非合理的な選択』。これこそがセシリア・グリーングラスの本質だった。
唯一の拠り所である組織からの命令を反故にして、同僚のステラの暗殺さえ妨害した。さらに学院から目を付けられることを承知の上で「パンドラの箱」を捜索。シャルロットには自ら正体を明かし彼女を追い詰めるも、シャロンには惨敗した。そして結果命を落とすのだ。
暗殺者としては目も当てられない散々な結果だ。だがセシリアは屈託のない笑顔をシャロンに向ける。
「それでも後悔などありません。私は穏やかな気持ちで逝くことができます」
「まさかこんなことが本当にあるとは……人生長く生きてみるものですね……」
シャロンの口から不意に本音が溢れた。しかしすぐに気を引き締めてセシリアを見る。
「申し訳ありません。やはり私の立場と、貴女の過去を鑑みて見逃すわけには参りません」
シャロンは心底残念だという表情だった。
「当然のことです。では……お願い致します」
『アイリスと友人として過ごす時間』セシリアがシャロンに望んだ最後の願いだった。暗殺者としてではなく、本当の友人として僅かでもアイリスと一緒に過ごしたかった。
さらに暗殺者だからという理由で死ねばアイリスは少なからず罪悪感を感じてしまうだろうという、セシリアの配慮だった。留学の件は最後まで嘘をついてしまうことになるが、留学先で事故に遭い死んだことにでもすれば、少なくてもアイリスは自分の死とは無関係になる。セシリアは最後までアイリスのことを想っていた。
セシリアは真っ直ぐシャロンを見る。
「わかりました。セシリア・グリーングラス、貴女をアイギス主力戦闘部隊8番隊隊長の名の下に処刑致します」
シャロンは杖を取り出し、セシリアは覚悟を決めて目を閉じる。
「さようなら」
シャロン・セントレア・アールグレイは、一言そう言い残すと横一文字に杖を振る。かまいたちのようか鋭い一閃がセシリアの喉元を襲う。鮮血と裂かれた髪が宙に舞う。セシリアはゆっくりと脱力して地面に倒れる。
地面に散った彼女の銀髪が、僅かに姿を見せた月の光に美しく照らされていた。
日曜日のアイリス 第2部完
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早坂凛




