104話 シャロンの思惑2
「はい。その通りですよ」
シャロンの言葉に精霊達は殺気立つ。彼女に対する警戒心がまたも上がる。
「やはり!」
セシリアも動かない体で精一杯の敵意を放つ。すると慌てたようにシャルロットが間に入る。唯一ユグドラシルだけは冷静に成り行きを見つめていた。
「ま、待ちたまえ! マスターにも色々とお考えがあってだな……」
シャロンのことを「マスター」と呼ぶシャルロット。どうやら、ふたりは完全に主従関係にあるようだ。
「理由ってなに?」
カルナが一歩、シャロンに詰め寄る。彼女の返答次第ではすぐにでも戦闘が再開されそうだ。
「アイリス・アンフィールドの持つ魔力。これは世界にとって非常に危険なものです。彼女自身が引き起こす魔法事故もそうですが、何より渡るべき悪人の手に魔力が渡ってしまえば、世界に及ぼす不利益は深刻なものになります」
シャロンはアイリスを見る。シャロンの話は、アイリスにも心当たりがあるのか複雑そうな表情を浮かべている。アイリスは幼少期の頃から自身の持つ魔力が普通ではないこと、扱いを誤ると大変なことになると、ラボの人間や精霊達に教え込まれてきた。それでもアイリスは、幼い頃は今ほど魔法を制御できずに何度か魔法事故を起こしてしまった。当時はまだ引き出せる魔力も少なかったので、事故と言っても被害は軽微なものだった。しかし同級生や、その保護者に「畏怖」の感情を与えるには十分なものだった。結果、アイリスは孤立することになる。
「私は、貴女を学院に招いてからずっとシャルロットに監視を命じました。交流戦、試練の森と貴女を追い込み、魔力が暴走するか否かを試しました。しかし貴女は与えられた課題をポジティブにこなし、危惧していた暴走もありませんでした」
アイリスの入学後、シャロンは彼女にある程度の負荷を与え、アイリスが自分の魔力を上手く制御できるか観察していたのだ。しかし報告書にはなかったアイリスの天性のポジティブさと、入学以後は友人にも恵まれてアイリスの精神は安定していた。彼女自身の成長もあり、魔力は暴走する予兆すら見せなかった。
「ですが、私はひとつの懸念を抱きました。精霊術師として強力な精霊を使役しているばかりに、貴女は全力が出せていないのではないか、いいえ『あえて全力を出さないようにしているのではないか』と」
シャロンの指摘は正しかった。アイリスは全力で魔法を使うことに対して恐れを抱いていた。強力な魔力を持つ自覚がある故に無意識に力をセーブしていた。夏季休暇に覚えたての合体魔法を放ちマリアを負傷させてしまったように、不意に全力を出すと相手に思わぬ怪我を負わせてしまう可能性がある。昔の魔法事故がアイリスにとってはトラウマのようになっていたのだ。魔力に頼った力押しが持ち味なアイリスは、無自覚に力を抑えるという矛盾を抱えていた。
しかし力を抑えていても魔法の授業は支障なくこなせた。また有事の際も、強力な力を持つ契約精霊達がアイリスの矛となり、盾となった。そのせいか魔法の修得にも消極的になった。
「それでは意味がありません。全力を出した上できちんと己の魔力を制御できる技量と精神力。それを貴女が備えているか見極める必要がありました。だから私は貴女と接触して、才能を伸ばすことにしました」
夏季休暇に意図的にアイリスに接触したシャロンは、彼女の知的好奇心を刺激して成長を促した。勉学においては劣等生だったアイリスだが、元々備わっていた才覚を発揮して飛躍的な伸びを見せた。
「そして私は貴女にとって壁として立ちはだかり、全力を出すことに躊躇しないように絶対的な力の差を見せつけました」
シャロンの授業初日の魔法合戦だ。あの日シャロンはクラス全員を相手取り、圧倒的な差を見せつけるようにクラスメイト達を斬り伏せて、アイリスの合体魔法を正面から受け止めた。「技量」の部分でアイリスの本気を引き出そうとした。上級精霊のマリアにさえ遠慮してしまうアイリスに「全力を出しても問題ない相手」がいることを教えたのだ。
そしてXの刺客であるセシリアやステラの存在に気づきながら、あえて泳がして「友人が自分の命を狙う暗殺者だった」という事実をアイリスに突きつけた。彼女の「精神力」を試すために。
そして暗殺者と知りながら尚、友人と呼ぶセシリアをギリギリの精神状態の中、目の前で瀕死に追いやることで暴走を誘発した。
「これは正直賭けでした。ですが貴女は魔力を暴走させるどころか精霊術師としての才能を開花させ、あろうことか四大精霊まで呼び出してしまう始末。これには心底驚かされました」
「私をその気にさせる……そんなことのためだけにセシリアちゃんにあんな酷いことを?」
アイリスはシャロンに厳しい表情で問う。自分よりも友人が傷つけられたことの方が頭にきているようだ。だがシャロンは淡々と述べた
「貴女がどう思おうと、彼女は暗殺者です。正体を見破った段階で抹殺されても文句の言えない立場なのですよ?」
「…………」
セシリアは自分の立場を弁えているのか、シャロンの言葉に反応はしなかった。
「それでも……」
アイリスは食い下がる。
「彼女にしたことに葛藤がなかったといえば嘘になります。しかし彼女でなければ貴女の本気は引き出せない。そう思いました」
付き合いは浅くても、セシリアはアイリスにとって唯一無二の親友になっていた。暗殺者と、そのターゲットという歪極まりないふたりだが芽生えた友情は本物だった。
「お話の腰を折って申し訳ありません。結局のところ、魔力兵器をお嬢様に使用するというのは……」
ルイスが話に割って入る。ルイスにはシャロンの思惑などは割とどうでもよく、アイリスにとってシャロンが危険な人物なのかどうかが気になっていた。
「ああごめんなさいね。話が逸れてしまいました」
「いえ、こちらこそ」
丁寧な態度のルイスだったが、胸中ではシャロンを始末するか否かを考えていた。シャロンがその気になったときの危険度はセシリアやステラの比ではない。5体の契約精霊の力を持ってしてもアイリスを守り切ることは難しい。ルイスは直接戦い、そう感じていた。
だが、今なら四大精霊のユグドラシルがいる。さらに足手まといのセシリアも最低限回復している。マリア辺りに魔法で異空間を作らせ、アイリス共々閉じ込めておく。そして残りの火力の高い面子でユグドラシルと共に叩けば、あの魔女とて倒せる。ルイスはそう計算していた。
「結論から申し上げればアイリスさんに対してパンドラの箱を開ける気はありません。いいえ、その必要がないと言った方が正確でしょうか。」
「…………」
ルイスは冷静にシャロンの言葉を審議する。
「私の今までの行いは全て、アイリス・アンフィールドにパンドラの箱を発動させるか否か判断するためのものでした。簡単に魔力を暴走させるようなら、世界の平定の為、魔力を全て吸い上げ、彼女には杖を置いていただくつもりでした」
シャロンの言う「杖を置く」とは年老いた魔法使いや再起不能になった魔法使いが引退するときに使う言葉だ。つまりアイリスが自分の魔力を制御できず、世界にとって危険な存在と判断したときは、パンドラの箱によりアイリスの魔力を全て吸い上げ、魔法の使えない一般人になってもらうという意味だ。
「では、お嬢様の命を取ろうというわけでは……」
魔力を奪う=死と考えていたマリアの口から思わず溢れる。
「もちろんです。強大な魔力が原因で魔法事故を起こそうと、世界にとって危険な存在だとしても彼女は罪人ではないのです。殺すことなどあってはなりません」
「そうですか……」
「なにこいつ、別に悪い奴じゃないじゃん……」
シャロンの予想外の発言にマリアとグレース戸惑う。
「しかし、魔力を失うというのは貴女にとって、死ぬことより辛いことかもしれませんね」
魔力を失っても基本的に、生命に支障はなく寿命まで普通に生きることができる。しかし魔力を失えば精霊との契約は維持することはできない。魔力が供給されなけば精霊達は人間界に留まるだけで魔力を消費することになる。上級精霊と言えど、契約日外に人間界に一日中留まり続けるとかなりの魔力を消費する。そして回復が不完全な状態で歳月を重ねれば、かつてローマス卿に仕えたマリアの師である精霊ミランダ・ロフィアのような最期を迎えるだろう。
アイリスが望まなくとも、彼女の契約精霊達ならミランダと同じ結末を選択するかもしれない。それはアイリスにとっては自分が死ぬよりも辛いことだった。




