102話 四大精霊ユグドラシル
シャロンの眼前に現れた巨大な精霊は、岩石が数珠繋ぎのようになった体の大蛇で、体表には樹木が生い茂っていた。とぐろを巻いており、全長ははっきりとわからないが優に数十メートルはあるだろう。
(そんな……まさか……)
シャロンはこの巨大な精霊に心当たりがあった。もちろん直接目にするのは初めてであり、文献を読み知識として知っているに過ぎなかった。
この精霊の正体は――――
「四大精霊……ユグドラシル……」
マリアやカルナのような上級精霊をさらに凌ぐ、精霊界では「神」として扱われる最上級精霊。大地を司る四大精霊のひとり、ユグドラシル・ドラヴォーロス。精霊界を束ねる最上級精霊がアイリスの契約精霊として人間界に姿を現したのだ。
「馬鹿な……四大精霊が人間に使役されるなど……」
シャロンは心の声をうっかり漏らす。ユグドラシルはシャロンを一瞥するがさして興味がないようで、とぐろの中心にいるアイリスに話しかける。
「久しいな、姫よ」
アイリスは無言でユグドラシルを見上げる。その表情はぽかんとしていて、なぜユグドラシルが召喚されたのか理解できていないようだった。
ユグドラシルは涙が伝うアイリスの顔と、血に染まり力無く横たわるセシリアを見て状況を察する。
「ふむ」
ユグドラシルはアイリス達を庇うようにシャロンと対峙する。彼女をアイリスの敵と定めたようだ。
「四大精霊ユグドラシル……貴方は精霊界を追放されて死んだはずでは……」
シャロンは人間界における事実を口にする。十数年前に四大精霊として精霊界に君臨していた最上級精霊ユグドラシルは、精霊界の禁忌に触れ精霊界を追放された。そして死んだ……とされている。
「左用、我は遠の昔に死んだ。今はしがない契約精霊の身だ。故に、主君には忠誠を誓う。覚悟はよいな」
ユグドラシルは自分は死んだ身と言った。しかし現にシャロンと対峙する精霊の魔力は上級精霊を超える強大なものだった。
(もし本物ならば由々しき事態ですね……はっ!?)
シャロンはとっさに防御壁を張る。カルナからの攻撃だった。
「酷い目にあったの……」
シャロンからのカウンターをもらい、吹き飛ばされた5体の精霊はかなりのダメージを負っていた。
「いやぁ〜ゼロ距離のうえに防衛魔法を使う暇もなかったからね〜」
「ねえールイルイ、あたし髪の毛焦げてない? へーき?」
「知らん」
「お嬢様達は……」
5体の精霊達はダメージはあれど全員無事だった。そしてマリア達はユグドラシルを視界に捉えた。
「どうやら俺達の出番は終わりのようだな」
「ユグドラシル……それも完全体のようですね」
「これであの魔女も終わりなの……」
「それよりアイリスつれて巻き込まれないように逃げよーよ!」
「こうなった以上はそれが賢明だね」
(四大精霊に加えて5体の精霊ですか……さすがに分が悪いですね……それに目的も果たしてしまいましたし)
シャロンは多数の魔法陣を展開する。ユグドラシル相手にまともに勝負するようだ。
(とはいえ……長い人生と言えど、四大精霊を相手にできる機会などそうそうありませんからね)
「うふふ、年甲斐もなく昂ってきました」
「ほお、立ち向かってくるとは勇気ある小娘だな」
「少々遊んでいただけますか?」
「よかろう」
ユグドラシルは巨大な体を捻りながら地面に叩きつける。その質量以上の衝撃で地面は裂け、大地は大きく揺れる。近隣はまるで大地震が起こったようだ。
シャロンは立っていられないような大きな揺れを回避するために、空中に移動する。しかし大きく伸びたユグドラシルの体躯が迫ってきた。
「滅界」
大きく広げたユグドラシルの口から魔導砲が放たれる。山ひとつ吹き飛ばす程の威力だ。シャルロットの結界をあっさりと突き破った。彼にとっては何でもない攻撃も、まるで兵器のようだ。攻撃を躱したシャロンの口角が上がる。
「宇宙魔法 大星群の鉄槌」
巨体故に避けることが叶わず魔法はユグドラシルに直撃する。しかし怯むことなく体を捻る。鞭のようにしなった大蛇の尾がシャロンを襲う。
「防衛魔法 闇の棺」
防衛魔法を唱えたが、四方に展開された魔法壁ごと物理的に吹き飛ばす。シャロンは数十メートル後方に飛ばされ、闘技場の客席下の壁にめり込む。
「小僧達は姫を頼む」
ルイス達に一声かけてからユグドラシルはシャロンの元に向かう。あの程度でシャロンが死ぬはずないと、ズルズルと地面を這って追撃に出る。
「お嬢様!!」
セシリアに寄り添うアイリスにマリアが声をかける。
「マリア……はっ!? カルナちゃん!! セシリアちゃんを治して下さい!」
アイリスは、契約精霊の中で唯一治癒魔法が使えるカルナに懇願する。
「アイリス……でもこいつは……」
カルナは逡巡した。セシリアはアイリスの命を狙っていた暗殺者だ。アイリスのお願いであっても、カルナは簡単にセシリアを許すことはできなかった。
「わ、私は忠告したの! こいつはアイリスにとってよくない存在だって! 現にこいつは悪い奴だったの!」
カルナは以前からセシリアを警戒していた。カルナは基本的に、アイリスに近づく人間全員を敵視している。それは以前、子供を使いアイリスを攫おうとした人間がいたためだ。幼い頃とはいえ、その子供にカルナも心を許してしまっていたために対応が遅れた過去がある。
それからカルナはアイリスに近づく人間に心を許すことはなかった。特に親しいセシリアには常に疑いの眼差しを持っていたのだ。
そしてその疑いはステラ襲撃の夜に確信へと変わった。
「アイリス……そいつは生かすべきではないの……」
「お願いします……カルナちゃん……」
泣きじゃくりながら懇願するアイリスにカルナは唇を噛み締めながら目を逸らす。
「カルナ」
マリアがそっとカルナの肩に手をおく。マリアも複雑な気持ちであった。カルナが近づく人間を疑ってかかるのは全てアイリスのためだ。カルナの敵意はアイリスのへ愛情と言っても過言ではない。
しかしセシリアは出会いこそ最悪な形だったが、アイリスを守ろうと命を懸けて戦ってくれたのだ。彼女の本質を見ればアイリスの良き友人となってくれる人間である。今死なすべき人間ではないとマリアは考える。
そして何より家族や精霊以外のためにアイリスが涙を流すのは初めてのことだった。
「治すなら早くした方がいい。血を流し過ぎてるよ」
エレノラが冷静に言う。応急処置ができる医療品は持ち合わせているが、セシリアの傷は深く魔法による治療なしでは長くは持たない。
「お友達……アイリスは私のお友達なの……」
カルナがうわ言のように呟いた。
「だから…………」
震えながら涙を流すカルナ。自分を納得させるように呟き、セシリアの患部に手を添える。
「癒やしの灯火」
カルナの治癒魔法がセシリアを優しく包む。
「ありがとうございます……カルナちゃん……」
アイリスは後ろからカルナを抱き締める。カルナからの返答はなかったが、彼女の頬には一筋の涙が流れていた。




