後編 〜Side 美織 〜
「あの……これ、返す」
そう言って、差し出されたチョコレートを見て、私は言葉を失い、その場で固まってしまった。
気まずそうに視線を逸らしたまま、チョコを私の前に出した。それが示す意味は、私のチョコは要らないということ……。
「……あ、うん……」
何とか返事をして、手をギュッと握り、力を入れてから、少し震えつつも彼からチョコレートを受け取る。涙が溢れそうになるのを必死に堪える。吉川君から直接的に振られる言葉を聞いたら泣いてしまうと思って、俯いてしまった。
「あ、あの、篠崎さん。ごめん……」
少しの沈黙の後に続いた彼の言葉で、心がグチャグチャに潰されたような気持ちになった。
私のチョコレートは彼にとっては迷惑以外の何ものでもなかったと突きつけられた。申し訳なさそうに言う吉川君に「気にしないで」って言わないとと、何とか言葉を捻り出そうと自分を奮い立たせる。
「あ、ち、違うんだ! そうじゃなくて! あの、要らないから返すってわけじゃなくて……。えっと、ごめん、いきなり返すって言って。あの、このチョコレート、俺の机の中に入ってたんだ。……けど、俺のクラス、昨日の放課後に席替えしてて」
吉川君が謝ったのは、返すと言ったことに対してらしく、なぜか、しどろもどろになりながら、一生懸命に何かを伝えようとしていた。
席替え?
昨日の放課後に彼のクラスで席替えがあった事は、もちろん知っている。だから、昨日の放課後に彼の席を調べて、今朝、彼の机の中にチョコレートを入れたのだ。もちろん、念には念を入れて、机の中にある教科書の名前も確認して吉川君の机であることは確かめた。
「えっと、俺の席は、昨日までは立野譲の席だったんだ。それで、今朝、俺の机の上には、席替えしたのを知らない他のクラスの女の子達が置いてった譲宛のチョコレートが沢山あって、全部譲に渡したんだけど……放課後になって、俺の机の中にこのチョコレートが入ってた事に気付いたんだ。メッセージカードの封筒には篠崎さんの名前があったんだけど、宛名が書いてなくて……」
あ!
そこで気づいた。私は、間違って他の人の机に入れないように注意を払い、席替え後の吉川君の机であることを確かめてからチョコレートを入れた。でも、席替えがあったからこそ、彼は宛先の書いてなかったチョコが自分宛ではなく、他の人に宛てたものだと思ったということを。
「あの、それで、このチョコレートが……誰に宛てたものなのか教えて欲しくて」
それは吉川君へのチョコレートだ。
でも、おそらく、吉川君は立野君宛のチョコレートだと思っている気がする。ここ一年で知った彼の性格から考えると、宛先が書いてなかったから、念のために立野君宛で間違いがないかを確認しようしたのではないかと思う。
「えっと、譲なら、直接渡しても受け取ってくれるよ」
ほら、やっぱり……。
でも、そのまま話を進められても困る!
否定しようと顔を上げると、彼は悲しげな表情をしていた。彼がなぜその様な表情をしているのかを考える前に私は口を開き、早口で述べた。
「立野君宛なら自分で渡した方が良いから返したってこと? じゃあ、もし、これが、吉川君宛だとしたら……?」
「え……」
そんな質問は想定外だとばかりに吉川君は困惑し、驚いていた。少し目が泳いだ後に、私に視線を合わせると、ゆっくりと答えた。
「もし、俺なら、すごく、嬉しい」
彼の目元が緩み、それが本当であれば嬉しいと心から思っているのが表情にも表れていた。
良かった……。私のチョコレートは、迷惑だとは思われていない。彼はすごく嬉しいと言ってくれた。
さっき、迷惑だからチョコを返されたと傷ついたのが、私のただの思い違いであったことがわかり、ホッとした。
彼に渡したチョコにつけたメッセージカードには『好きです』と書いていた。
彼がそれを見たのかはわからない。まだ見ていなかったとしても、吉川君宛のチョコであることを伝えれば、遅かれ早かれ吉川君は私の気持ちを知ることになる。
だから、ここまで来たら、もう腹を括ろうと、覚悟を決め、勇気を出して、彼に向き直い、彼の目を見て伝えることにした。
「吉川君、あなたの事が好きです。チョコレートを受け取って貰えますか?」
勢いでした告白に対して、吉川君は、一瞬、言われた事が信じられないというように目を見張った。
でも、すぐに、差し出したチョコレートを両手でそっと包み込み、満面の笑みを浮かべて返事をくれた。
「嬉しい。チョコレートありがとう。……えっと、俺も入学式の日から、篠崎さんの事が好きでした。だから、俺と付き合ってください」
「ぇえ?! 入学式?」
吉川君も私の事が好きだったという嬉しい事実よりも、思わぬ言葉を告げられて驚愕した。
「う、うん。入学式後に、桜の下に佇む篠崎さんを見かけたんだ。それで、その時の桜を見上げていた篠崎さんの笑顔に、一目惚れしたんだ。……だから、篠崎さんが俺のこと好きって言ってくれて、本当に嬉しい。ありがとう、俺のこと好きになってくれて。……篠崎さんのこと、大切にするから」
吉川君は幸せを噛みしめるように、はにかみながらもゆっくりと目を見て伝えてくれた。彼のはにかむ姿は、なんか可愛い。
でも、まさか、彼が私に一目惚れしていたなんて。
驚きもあるけど、それよりも嬉しさが湧き上がり、私は自然と笑みが零れた。そして、吉川君は、手のひらで口元を覆って、ボソボソと呟いていた。
「あー、本当、両思いだったなんて信じられない……やばい。嬉しすぎる、どうしよう……俺」
彼の目が少し潤んでいる。それにつられたのもあるかもしれないが、とても嬉しい言葉を掛けられた私も思わず、うるっときていた。
段々と気分が落ち着いてきたらしく、吉川君はいつもの調子が戻ってきたようだ。
「そういえば、篠崎さんは、いつ? ……いつから、俺の事を?」
面と向かって色々と伝えるのは、まだ少し恥ずかしさが残るけど、吉川君が思ってる事をちゃんと伝えてくれたように、私も答えたいと思った。
「えっと、吉川君が覚えてるかわからないんだけど、1年の終わりに私が駅で体調を崩してしまった時、かな。あの時に色々と気遣ってくれて、優しくしてくれたのがすごく嬉しくて」
「え?! そんな前から……? うわ、嬉しいなぁ。
もちろん覚えてるよ。あのね、それって、篠崎さんが俺に笑顔を俺に向けてくれた日、だったんだ。だから、俺にとって、忘れられない日になってた。その後、何度もその時の笑顔を思い出してたし……」
最後の方は小声だったけど、全部聞こえた。
喜んでいる吉川君を見ると、私にも幸せな気持ちが広がって、ふふっと笑ってしまった。お互い微笑み合い、彼は私の両手を握った。
「篠崎さん、改めて、よろしく」
「こちらこそ。吉川君の彼女として頑張ります!」
「え? いや、頑張らなくて良いよ! 篠崎さんはそのままが良い。今でもすごく可愛いし、それ以上だと俺の心臓が持たなくなっちゃうよ……あ、でも、俺のことは名前で呼んでくれる?」
「智君?」
「うん」
「それなら、私の事も名前で」
「わかった、美織ちゃん。ははっ……なんか照れるな。でも、本当に夢みたいだ。美織ちゃんからチョコレートも貰えて、記念として飾っておきたいくらい」
「え、チョコは食べて欲しいな。せっかく作ったし……お菓子づくりは好きだから、また作るよ?」
「え! 手作り?! それなら余計に食べるのが、もったいない……けど、また作ってくれるなら、大切に食べる」
「うん」
そんな感じで智君とのやりとりを楽しんでいたら、いつの間にか下校時刻になっていたようで、先生が戸締りに来た。
智君と一緒に帰りながら、心の中で、バレンタインに勇気を出して本当に良かったと思った。
色々あったけど、智君の彼女になれた上、新たな一面を発見できた思い出に残る1日となった。