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天は厄災の旋律(しらべ)  作者: ながる
第三章 賑やかな華の帝都

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42 記憶の中の本

 名残惜しむようにいつまでも裏表紙裏を眺めていて、ふとビヒトは思い付く。

 家に、あるのではないか。

 カンターメンの名のつく者が写した資料だ。これがどうしてこちらにあるのかは分からないが、同じものか元の著作はあっておかしくない。けれど、ビヒトは家にあった本や資料の中に同じ記述を見た覚えがなかった。

 家にある物は粗方読んだはずなのに。

 見ていたなら、もっと興味惹かれたはずだ。

 読めていないのは、勝手に入ることを許されなかった父の書斎にあった物くらいで……


『お前にはまだ早い』


 父の声がそこにいるかのように聞こえてくる。

 視線を上げ、思わず振り返る。湖のある方――アレイアの方向を。

 あの本は。

 古い言葉で書かれていた、あの頃はよく読めなかった、あの本は。


 父の書斎の机の上で、風にあおられ頁が捲れていく。

 記憶の中の幼いビヒトが、風に誘われ、開いたドアから覗き込んでそれを見つけて、ふらふらと近づいた。


 ビヒトは家長であるヴァイスハイトから、雷の魔法について通り一遍のことしか聞かされていない。

 昔々に取り上げられた魔法。呪文は()()()()()()()()

 もしも、これとあれが同じものなら……あちらは本の形を保っていたのだから、抜けた頁も揃っているはずで。

 そうなら、彼の父は嘘を吐いたことになる。

 あの記述の後に、書かれていた呪文を彼が見ていないはずがない。


 ビヒトは机に手をついたまま思わず立ち上がって、そこで動けなくなる。

 『まだ早い』それは、父がまだヴェルデビヒトが魔術師になれると信じていた頃の言葉だ。今、この場で取って返して頼み込んでも、彼は首を横に振るに違いない。

 粋がって家を出て、何も成し得ていない、生きているだけの冒険者には、彼は彼の書斎に踏み込むことを許さない。


 机の上でいつのまにか拳になっている手に力が入る。

 少年の頃、四六時中感じていたもどかしい想い。

 そこにあると分かっているのに、どうしても手に入らない。その感覚を、また。


 ビヒトは自分の爪が手のひらを傷つける前に、深く深呼吸した。

 ゆっくりと手を開き、椅子に座り直す。

 焦るな。

 自分に言い聞かせる。

 解ってたじゃないか。近道は無いと。何のためにここまで来たのか。ここまで来て、確かに道筋は見えた。それが、元の場所に戻るものだったとしても。

 そこに辿り着くまでに、さらに遠回りをしなくてはいけないとしても。


 平静を取り戻して、彼は次の書物に手を伸ばす。

 頁を繰り始めると、若い神官が戻ってきた気配がした。



 ◇ ◆ ◇



 残りの書物には特に目を引く記述は無かった。

 目を落としてはいても、あの資料のことが気になって読み飛ばしてしまった箇所があることもビヒトは気付いていたが、もう一度頁を戻す気も無かった。


 全ての本を読み終えたのは、四刻の一つ目の鐘の鳴る前だった。

 昼には気付かなかったけれど、地下でもきちんと鐘は聞こえるようになっているようだ。

 ビヒトが立ち上がると、カウンター内で何か作業していた神官も気付いて顔を上げた。


「ありがとうございました。片づけたらお暇します」


 声をかけられて、神官はひとつ頷き、立ち上がる。そのままカウンターを回り込んでくると、ビヒトが抱えようとしていた資料をいくつか引き受けてくれた。


「熱心ですね」


 平坦に言われて、ビヒトは苦笑しながら棚に向かった。


「今しか来られないと思うので」

「なるほど」


 彼は手早く棚に書物を並べて、ビヒトの先を行く。


「長い時間ありがとうございました」

「いえ。仕事ですから。お役に立てたのならそれで。お気をつけてお帰り下さい」


 受付には別の人物が座っていて、彼はビヒトを出口まで見送ると、軽く一礼して中へと戻って行った。

 さて、とビヒトは街の中に足を向ける。

 マスターに頼まれた物を持っていくだけではなんなので、何か手土産になりそうな物はないかと店先を覗き込むようにして物色していく。

 歩いて行くうちに女性が何人か並んでいる店が見えてきて、最後尾の女性に声をかけてみた。


「ここは何のお店ですか?」


 女性は少し驚いてビヒトを見上げると、店の看板に視線を移した。看板にはポットに星型の花が添えられたイラストが描かれている。


「紅茶と、エガーブの砂糖漬けを売っているのよ」

「エガーブ? ……手土産にしたら、喜ばれそうですか?」

「そうね。ここのはほんのりバニラの香りがして人気があるから、きっと」

「ありがとうございます」


 そのままビヒトは女性の後ろに並ぶことにした。

 何だかはよく解らなかったけれど、砂糖漬けと言うのだから甘いもので、女性に人気がある商品だろう。そう思ってのことだった。

 店内に入ると、ふわりと茶葉の香りがした。缶に詰められたものの他に大きな瓶がずらりと並び、量り売りもしているようだ。先に並んでいた女性達はお目当ての銘柄と砂糖漬けを淀みなく注文している。

 ビヒトはお茶の銘柄など気にしたことは無かったので、すでに包装されている砂糖漬けと、一番人気の物を注文した。紅茶は一番小さな缶にしたにも拘らず、銀貨三枚が飛んでいくことになったが、たまにはいいかと自分を慰める。


 銀貨三枚あれば、朝食付きで泊まれる宿がある。

 看板にあるイラストと店のロゴが入った麻の袋を手に酒場へ向かえば、マスターがそれを目にしてにやりと笑った。


「随分高級品を買ったな。真面目に口説くつもりなら、あいつにはもう少し庶民的な物の方がいいぞ」

「は? 口説くつもりなど無い。たまたま通りかかったのがこの店だっただけで。……有名なのか?」


 やれやれと、マスターは肩を竦める。


「お前さん、庶民の出じゃないな。装ってはいるが、特に女性の扱いになると、無意識に教え込まれたことが出るんだろう。それが、勘違いの元になる」


 なんとなく身に覚えがあって、ビヒトは黙り込んだ。

 『女性の扱い』は姉に嫌というほど矯正されたから。面倒臭いと避ける傾向にあるのは、あるいはそこにも理由があるのかもしれない。


「土産を買うなって言ってんじゃないぞ。何事もそれなりってもんがある。相手に興味がなくとも情報収集を怠るな。依頼を受ける時と同じだ。なまじ興味がないから妙な行き違いが生まれるんだ」

「……覚えておく」


 ぐうの音も出なくて、ようやくそれだけを口にする。

 それを見て、マスターはまたにやにやと表情を崩した。


「どんだけ坊ちゃんなんだよ。ちなみに、それは王族へ差し出しても喜ばれる品だ。話のタネとしちゃあ、悪くねえよ。お前さんなら甘い言葉なんて添えそうにないから、嬢ちゃんも分かるだろうしな。その気がないなら妙なことはしてくれるなよ」


 両の指をパキパキと鳴らしながら、マスターは軽く凄んで見せた。


「ああ。大丈夫だ。誓うよ」

「そうあっさりと言われるのも、なんだか癪にさわんなぁ」


 口を尖らせたマスターにビヒトが笑う。


「まるで、あんたの娘みたいだな」

「まあ、似たようなもんさ。縁っちゅうのは不思議なもんだな」

「……確かに」


 深く頷いて、ビヒトはマスターからの差し入れを受け取った。

 まっさらな布巾の被ったカゴの中からは香ばしい匂いが立ち上っていて、昼食を抜いているビヒトには少し刺激が強かった。

 腹の音を誤魔化しながら、乗合馬車でマリベルの工房へと向かう。

 周りの人たちが興味深そうにカゴを眺めるので、ビヒトは始終眠っているふりをしていた。




 ちょうどマリベルの工房手前で馬車が止まったので、御者に声をかけてそこで降ろしてもらう。

 目の前には小奇麗な馬車が停まっており、それが広くない道を半分塞いでいるため、乗合馬車は止まらざるを得なかったようだ。

 御者同士が何やら話し合うのを横目で見ながら、ビヒトはドアベルを鳴らした。

 その手を下ろすか下ろさないかのうちに、目の前のドアが勢いよく開いて面食らう。

 

「はいはいはい! どなたさまですか。まあ、よくいらっしゃいました。どうぞお入りくだ……お入りください。お待ちしておりました!」


 ほとんど棒読みのセリフ状態で捲し立てた言葉を、ビヒトを認めた途端、一瞬詰まらせてからすぐにまた続ける。

 腕をぐいぐいと引くマリベルには有無を言わせぬ迫力があった。


「マリベル?」

「マリベル」

「ご覧の通り、お客様ですの。お引き取り下さいませ」


 第三者の声にビヒトが顔を上げると、三十手前くらいの軽薄そうな男が、作り笑顔で彼女を見ていた。

※四刻・・・午後三時くらい

 四刻の一つ目の鐘・・・午後四時くらい

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