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天は厄災の旋律(しらべ)  作者: ながる
第三章 賑やかな華の帝都

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37 足掻き

 短剣など、斬りつけても竜馬の固い皮膚にはほとんど影響はない。下手をすれば刃の方が折れる。

 突き刺せばある程度のダメージはあるだろうが、竜馬を倒すのがビヒトの目的じゃない。できれば無傷で従わせたかった。

 頭を低くして向かってくる竜馬をすんでで右に避け、その首筋に腕を回そうとしたビヒトは、竜馬に身体を当てられて仕方なくそのまま横に飛び退く。

 相手も咄嗟の判断だったようで、それほどの衝撃は無かった。

 お互い、今度は間合いを確かめ合いながら向き合う。


 試しに短剣を振るってみても、竜馬は意に介さなかった。

 避けるでもなく待ち受け、前足を振り上げビヒトを蹴り飛ばそうとする。

 ビヒトは竜馬の足元に滑り込み、身体を回転させて横に逃げた。転がり出た先にいた白い犬が歯を剥いて飛びかかってくる。

 反射のように左腕でそれを受けると、三つの真空魔術(ワクウム)に刻まれた体と血がビヒトに降り注いだ。


 考える暇もなく、また身体を回転させてその場を離脱してから飛び起きる。

 竜馬の鋭い歯が噛み合う音がすぐ傍で聞こえた。

 一瞬だけ目が合って、ビヒトが体勢を立て直す前に、竜馬はさらに間合いを詰めてくる。

 低くした頭に持ち上げられて、ビヒトは縋りつくようにその角を掴んだ。


 振り上げられた身体を途中で捻り、竜馬の背中へととりつく。首へと手を回し、振り落とされないようにとしがみついたが、暴れながら後ろ足で立ち上がる竜馬に大きくのけ反られて、血の付いた手が滑った。

 滑り落ちるように地に落とされ、立ち上がる頃には大きくあけられた口がビヒトの左腕に咬みつこうと迫っていた。彼は咄嗟に身体ごと回転させ、右腕をその口に突っ込む。


「……っく……っ!」


 短剣は左手に持ち替えて、噛まれた腕をさらに押し込むようにしながら、ビヒトはそのギラギラした瞳にナイフを突きつけた。


「……乗せろ。乗せてくれ。犬どもに追いつくまででいい」


 睨み合いに気付いた他の竜馬が一頭、鋭く吠えてビヒトへと向かってきた。

 ビヒトは目の前の竜馬から目を離さぬまま、ゆっくりと左腕を振り上げる。竜馬はその腕にある腕輪を瞳で追っていた。

 後方へ腕を振ろうとしたところで、竜馬はビヒトの右腕を放し「ギャッ」と声を上げた。

 後ろから迫っていた気配が止まる。


 若干不服そうではあるものの、そいつの攻撃的な気配は消えた。

 クルルルと高い声が響き合う。

 そのうち、二頭が道の先へと走り出した。

 一息ついて辺りを見渡すと、野犬たちはほとんどが虫の息だった。

 野犬のボスも傷だらけで、立っているのがやっとに見える。

 決着をつけてしまいたい気もしたが、マリベルが心配だった。ボスに背を向けて竜馬に飛び乗る。


 ……それが、気に食わなかったのだろう。

 不意に魔力の動く気配がした。正確にはもっと細かい、空気中に漂う魔素が一か所に流れ込むような微小な気配。

 振り返ったビヒトに、野犬のボスは怒りのこもった一声を上げた。

 魔術式が組み上がる。おぼろげで、拙い、ただ、真直ぐにビヒトに向かって。


 ビヒトは左手の短剣を軽く振って、それを弾き返す。

 その程度のものだった。

 その程度のものでも、戻った力はボスの首を半分切り裂き、彼の息の根を止めた。

 何か、信じられないような物を見た気がして、ビヒトはしばし呆然としていた。

 竜馬が苛立ったように動き出して、慌てて彼は短い鬣に手を伸ばす。右腕に痛みが走り、さらに慌てて短剣を握ったままの左手で鷲掴む。短剣が体に当たって痛かったのか、竜馬が短く声を上げた。




 全速力で駆けている間、ビヒトはずっとボスのことを考えていた。

 あいつは魔獣ではなかった。少し体格は大きかったが、魔犬ならば短い角があるはずだ。それに、魔法が使えるのなら、もっと早くから使っていておかしくない。

 使われたのも、真空魔術(ワクウム)とは呼べないくらいのもの。速さも、切れ味もずっと格下の。


 ――まるで初めて魔法を使ったような。


 聞いたことのない現象に意識が囚われる。

 図書館に行けば解るだろうか。ヴァルムに聞けば……

 自分でパエニンスラに引き止めたくせに、ビヒトは今すぐヴァルムを呼び出したい気分だった。

 腰の鞄にある通信具に視線を向けて、いや、と首を振る。

 このくらいで頼るわけにはいかない。

 とりあえずは帝都に戻って、図書館へ足を運んでみなければ。


 そう思いつつも、まだ引きずられていた意識を引き戻したのは、竜馬の低い声だった。

 前方に先行していった二匹の竜馬らしきものが見える。

 ぴょんぴょんと踊っているかにも見える動きは、野犬たちを足止めしてくれているようだった。

 少し向こうに馬車が一台停まっていて、こちらの様子を窺っているようだったけれど、マリベルではなかったのでビヒトはほっと息をついた。


 追いついた竜馬は後ろから一匹を弾き飛ばし、向きを変えてUターンする。

 振り落とされるように竜馬から下りると、足元がふらついて、ビヒトは二、三歩よろけた。竜馬が服を咥えて乱暴に引き戻す。

 親切なんだかよく判らなくて、振り回された頭を押さえつつ、苦笑する。

 血にまみれたビヒトを認識すると、野犬たちは身を低くして牙を剥き、唸り声を上げた。


 ビヒトが左手で短剣を構えたところで、乗せてきてくれた竜馬が遠吠えのような声を上げた。

 長く響いた声に、しばらくしてから応える声が微かに聞こえる。

 竜馬は身を翻した。


「あ。おい! 人は襲うなよ!」


 言って解るものか、そもそも、野生の彼等がどうして街道沿いにまで出てきたのか、ビヒトには分からない。

 停まっていた馬車が心配で振り返ったが、慌てふためく御者など無視して竜馬は走って行った。

 ふっと顔が陰って、ビヒトは咄嗟に腕を振り上げた。

 短剣を握った拳に当たった物体はくるりと身を捩って地面に降り立つ。視線を戻した時には二匹が同時に飛びかかって来ていた。軽く屈んでやり過ごす。


 最初の一匹がさらに向かってきたところを、短剣の柄で横殴りにして地面に叩きつけた。

 そのまま振り返った勢いで、飛びつく一匹を蹴りつける。一拍後から来たものは腕輪で受け止めた。勢いに押されるものの、犬の身体は爆ぜたように血濡れて落ちていく。


 足止めをしていてくれた竜馬たちは、もう興味がないと言うように黙って成り行きを見守っていた。

 ビヒトはどうにか残りの犬たちも仕留め、気が抜けたのと同時に足をもつれさせてその場に座り込んだ。空を仰ぎながら、深々と息を吐き出す。

 竜馬たちが死体とビヒトを見比べて喉を鳴らしたので、頷いてやった。

 一体ずつ死体を咥えると、彼等は元来た森の方へと戻って行った。畑の切れる辺りから草叢へと潜り込み、街道を逸れていく。


 立ち往生していた馬車がゆっくりと近づいてきて傍で止まり、御者が降りてきた。


「だ……大丈夫、ですか?」

「……ああ、見た目よりは、酷くない」

「あの竜馬たちは貴方のなんですか? 手綱も無かったように見えたのですが……」

「違う……が、多分、大丈夫だ。俺にも、よくわからん」


 水を一杯分けてもらって、次の街までどのくらいか教えてもらっていると、どこかに走り去っていた竜馬が凄い勢いで戻ってきた。

 ひぃっと声を失くして震えだす御者を背に庇うように立ち上がる。

 土煙を上げてビヒトの前に止まった竜馬は、ぐいと顔を寄せて大口を開けた。


「うぁああああ!」


 どさりと尻餅をついた気配にビヒトは振り返り、大丈夫だと笑った。


「こいつには腕を噛まれたが、食い千切られはしなかった。ここまで乗せてきてくれたし、貴方達に手出しは……」


 竜馬は話しているビヒトの服を噛み、ブンと首を振る。振り回される形になったビヒトは勢い余って竜馬の身体にぶつかった。

 目を丸くしてカタカタと震えている御者に一瞥もくれず、竜馬はクイと顎を上げる。


「……乗れということらしい。水、ありがとう」


 溜息を吐きつつ竜馬に跨ると、呆気にとられている御者を置き去りに竜馬は走り出した。

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