さよならロム
本当に長い…一章でした…
お付き合いいただきありがとうございます。
死への恐怖に耐えられなくなり目をつぶる。
しかし、予想していた痛みは訪れなかった。
遅る遅る目を開けると、竜は顔を手で覆い、苦しそうなうめき声をあげていた。悶絶している様子だ。
一体何が起こったのだろう。辺りを見渡すと、白く照らされた土の上に小石が落ちていた。
「これ持って」
後ろから現れたリリーに腕をひかれ、起こされる。差し出された手にはラビィの剣があった。
ラビィは呆然と立ったままだ。リリーは、ラビィの掌に無理やり剣の柄を握りこませた。
混乱しているようだった。
だが、それも一瞬だけだ。次の言葉で正気に戻ることになる。
「老樹林に来たことないラビィでも、私を囮にすれば逃げ切れる。向こうに走って」
今リリーは何と言った?腕に力が戻る。竜の挙動が視界に映る。
目に石を投げられた竜は、大きな翼を振り回し、辺りの葉っぱを巻き上げていた。
「私はラビィみたいに足が速くないから逃げられない。どっちも死ぬくらいだったら、生き残れる方が生き残った方がマシ。」
獣人より高い社会性を持ち、他者との共同体という単位を重要視する。
人間らしい考え方だ。
ラビィは場違いにもそう思った。ラビィがもしリリーの立場なら思いついても言うことができただろうか。
「勝手に着いてきたのは私だしね。ラビィは気にしなくて良いよ。」
自己犠牲の提案だ。逃げた先にあるのは罪悪感だ。
リリーを無理にでも町に残してきていれば、ラビィはきっと人知れず老樹林の森で死んでいた。
リリーが付いて来たのなら、リリーは竜から逃げられないから絶対に死んでしまう。
こんなことなら町を出なければ良かった。そうすれば…
「竜が隙を見せてる内に、早く」
リリーは返答を待っている。
ラビィが逃げ出すという行動でそれに答えることを。
黒髪の少女の険しい瞳がラビィを真っ直ぐ見つめていた。
「嫌だ」
肯定なんてできるわけがない。
リリーを囮にする位なら。自分も死んだほうがマシだ。
リリーの言うことはきっと正しい。
ラビィは自分が死ぬという意味を知っているつもりだった。
だからこそ一度冒険者になる夢を諦めた。
ラビィは自分の家族が血の繋がっていないものだと知っている。
どうやったって、熊の両親から兎の子供は生まれない。
本当の親はわからないし、どういう気持ちだったのかは想像でしかない。
ただ分かっているのは、ラビィは獣人を守るための檻の中で育った。という事実だ。
ブルーメルはこの世界の何処よりも獣人にとって安全なで暮らしやすい町だ。
外の世界の獣人からしてみたらユートピアと言っても良いかもしれない。
そんな場所にいる理由は容易に予想がつく。
兎の獣人は守られて生きることを望まれたからだ。
自分はこの世で唯一の貴重な兎だから。
死んではいけないから。
夢を殺して命を繋がなければならない。
だからラビィは死にたいなんて望むことは、自分勝手な行為だと考えた。
無論、命を危険に晒す地に赴くことも。
それが自分が死ぬということの重さ。自分の命の価値だ。
だからきっとリリーの言葉通りに逃げることは理にかなった行為だ。
社会的にみればそれが正解なのだろう。兎の獣人を守るために沢山いる内の1人の人間が死んだところで、世界規模では何の損失にもならない。
リリーが親友だと言うのはラビィの私情でしかなくて、リリーを特別だと感じているのラビィだけで。
リリーを知るブルーメルの住人達が悲しむだけだ。
でも、ここで逃げて自分は何処にいけば良いんだ?
救ってもらった命を自ら捨てに外の世界に向かうのか。
それとも、親友を殺しておいて何食わぬ顔で町に戻るのか。
どっちにしても矛盾している。ラビィの倫理観に反した行動だった。
それに
「魔物の相手をするのは僕の役目なんでしょ」
もう二度と、自分の所為で親友を失うのは嫌だった。
勝てないなんて、無責任だ。ここでコイツを倒せなければ僕はどうせいつか死んで終わりだ。
振り回される翼を掻い潜り、もう一度切りかかかろうとした瞬間だった。
突然、竜が大きな唸り声を上げた。
生物が発している音とは思えない、複雑で耳障りな振動が鼓膜を攻撃した。
頭が破裂するのではないかという程の強烈なショックがラビィを襲う。
嫌だ。
意識を失うわけにはいかない。
ガンガンと暴力的な音波の弾丸が無数に打ち付けられる。
白い耳が穴だらけになって千切れて、ぼろぼろ地面に落ちていく。
ラビィは脳裏にそんな幻想をみた。
地獄のような不快音の中に小さな光が灯った。
必死に耳を凝らして探し出す。
爆音の中に聞きなれた声が混じった。
「何事だ!!」
三角の耳と、大きな体格はこの町で最も強く気高い一族の証。
刃のような鋭い瞳が老樹林に現れた外敵を貫く。
警備隊が誇るルーキーが白い光の中に立っていた。
ロムは夜の森で竜に出会った。
白く輝く古木の群れ、中心にそびえ立つのは黒い影。
蝙蝠のような半透明な翼が、紫の影を白い大地に落としている。
これが竜なのか…?
博識の年寄り達に聞いた話より随分と小さかったが、それ以外の情報はすべて一致している。
驚いた。
最近、老樹林の森の様子がおかしいと思っていたら、ついに竜まで現れるようになったのか。
急いで警備隊のやつらに伝えなければ。
来た道を戻ろうとしたロムの瞳に、信じられない光景が映った。
頭部を押さえつけながら半狂乱する竜の直ぐ側の地面に、長い耳を丸めた兎の獣人がうずくまっていた。
「ラビィ!!」
ロムは即座に友人に駆け寄った。
「一体これは何だ、何故お前がここにいるんだ!!」
「ロム…」
ラビィはまともに返事をする元気もないようで、いつもよりずっとか細い音を発している。
「良かった…これで」
ラビィはロムの来た道と反対の方向を指差した。
そこにいたのは長い黒髪を揺らす目付きの鋭い少女だった。
ロムは目を丸くした。
「リリー!!?お前まで!!」
リリーは居心地悪そうに目線をそらした。
しかしすぐに顔をあげると、強い口調で言った。
「ロム、ラビィを連れて森を降りて」
「はぁ!!?」
意味がわからない。そもそもこれは一体どんな状況なんだ。
森への侵入者はこの2人だった。でも一体何故?もう子供じゃないし、迷子なわけがない。
出掛けるにしても警備隊に連絡は入っていない。
ごった煮状態のロムの思考の海に新たな食材が投入される。
「リリーを町へ戻して欲しい」
「私は帰らないよ。大切な人たちを探し出すまで」
ロムを挟んでラビィとリリーが言い争いを始めた。
「二人とも、今はとにかく後ろに下がれ!!」
ロムがそう言い終わると同時に、竜の爪が土の上に突き刺さった。
竜の瞳が3人をじっと見つめている。
その表情が怒っているものであるということは、出くわしたばかりのロムでもよく分かった。
間近に感じるその気迫に、リリーは2、3歩と足を後ろに運び、地面に尻餅をついた。
ラビィとロムは竜の瞳に映る自分達の姿から目を離さなかった。
隙をみせれば、直ぐにでも命が刈り取られる。剣士としての勘だった。
「俺が相手をする」
二人に筋肉の浮き出た背中が向けられた。使い込まれた柄に大きな手のひらが伸びる。
抑揚のない言葉。絶好の獲物を見つけた獅子の双眸がギラリと輝く。
ラビィがロムの背中を引き留めた。
「ロム、無茶だ。いくら君でも」
兎の獣人は考えていた。
ラビィは今までロムと何千回と剣を打ち合わせてきた。
ロムは確かにラビィより遥かに高い剣の実力を持っている。
しかしロムがたとえこの町で最も強く、外の世界に通用する程の力を持っていたとしても、それでも目の前の魔物には勝てないと。
全身が凶器になりうる、圧倒的な攻撃力。
そもそも竜の体は剣を通さない。
それもその筈だ。竜の退治は、魔法使いによる筋力強化の魔法が必須だと言われている。
ラビィが戦っていた時、あの竜は余裕を見せていた。そこから生まれた油断から、長い間ではないが、ラビィでも相手をすることができたのだ。
ロムが死んでしまう。
ラビィはいざとなればロムの身代わりになれるように、準備をした。
だが、その予想は全く逆の結末に置き換わった。
ラビィが剣の稽古で今までずっと本気で勝とうとしてこなかったように、ロムも本気を出したことはなかった。
当たり前だ。獅子の狩猟は一瞬。
いつも老樹林の森でやっているような戦闘は、もはや人に教えられるような剣術ではない。
守りも、逃げも、持久戦も必要のない。ただの一方的で瞬間的な制圧。
ラビィに教えていた剣の技術の高さなど、獅子の獣人であるロムにとっては、所詮小手先のお飾りでしかない。
一撃一撃の重さを受け止めきれず、逃げながら戦うことしかできなかったラビィとは違う。
竜の尾にくくりつけられた鈍器が、ロムの影の上に影を重ねた。
その影はピタリと拡大するのを止めた。
尻尾の下に触れている太い腕。
ロムはたった片腕で、地面を抉ったあの衝撃を受け止めたのだった。
竜は怒り狂った表情から、慌てたような様子に変わった。
翼が紫色のカーテンのように広げられ、ぶわりと風が吹き下ろされた。枯れ葉が低空飛行で流されていく。
しかし、その場から飛び立つことは出来なかった。
尻尾が、ロムの片腕から離れない。
片腕は尻尾をグッと引き寄せた。反動で、獅子の体は竜の背中の上に浮く。
刹那、翼を二分する一閃が宙に描かれた。
紫色の膜が破れ、薄い断面からインクのような体液が溢れだした。
翼の上半分が地面に音をたてて落ちた。
続いて重量のある音が辺りに響く。
子竜は急いで身を起こすと、傷つけられた翼を引きずるように、森の奥へと消えていった。
ロムは剣から滴り落ちる黒い雫を振り払い、それを鞘へと納めた。
真っ赤な瞳が、知らない獣人を呆然と眺めていた。
「説明しろ、何故町の外に出た」
ロムは兎の獣人に向き合った。
いつも人の話を聞くときはニコニコと愛想よく微笑んでいるラビィの表情は、今はどこかぎこちなさを感じさせるものだった。
「それは…」
冒険者になるためだ。
ラビィは決意をしていた。親友の消息が絶えたあの日から、ずっと心に決めていた。
だが、竜に出会うまでは確かに持っていた筈の威勢は、呆気なく崩れた。
ロムの質問に答えられる言葉が見つからない。
森に暫くの静寂が戻る。
「…」
「…」
ロムも質問を取り下げる気は全く無いようで、沈黙が流れる。
透き通った、それでいて意思の強い声が響いた。
「ラビィは冒険者になるのよ」
ラビィの心臓がドクリと跳ねる。
まるで嘘を付いているのがばれたときのような感覚。胸の裏側にじっとりと嫌な気持ちが広がる。
ロムは一瞬驚いた顔をした。
だが直ぐに今日の昼の記憶が甦って、納得がいった。
「それは諦めて貰わなきゃいけないな。獣人が外の世界に出るのは危険だ。兎の獣人なら特に」
剣の稽古の後に同じような会話をした。
大切な友達であるラビィを失いたくない。
無事に帰ってこれる筈が無い。賭けにすらならない。ただただ無謀だ。
「ラビィは歩く財宝みたいなものだし、そのうち拐われて売られちゃうかもね」
リリーはあっけらかんと答えた。微笑みを浮かべ、腕を大袈裟に曲げている。
「お前分かってるのに…!!?」
「大丈夫だよ。ラビィは強くなった。さっきは相手が悪かったけど」
長い睫毛に縁取られた目線がラビィの方に向いた。
リリーが小さく微笑んだ。
兎の獣人は守られる側の存在。
町全体の認識であり、とくに身体能力の優れた獅子の獣人にとってそれは揺るがない事。
ロムはそう思っていた。近頃のラビィの剣の上達っぷりを実感するまでは。
「…俺はどうするべきなのかわからない」
「どういう意味?」
獅子の耳が下を向く。
俯いて苦悩の表情を浮かべた。
「でも、お前らが冒険者になって何がしたいのかは、俺みたいな馬鹿でもわかる」
だってアイツ等は…
ラビィとリリーは彼の友人だったのだ。
愛すべき家族だって、おしゃべり上手な友人だって、何でも知ってる博識だって、一緒にいられる時間には限界があるものだ。物理的な問題じゃない。どんなに楽しくたって長い時間を共にすれば、相手の嫌な部分が気になってくるだろうし、世間話のネタは尽きる。
だんだん苦痛になっていって、精神的に嫌になるのだ。
飽きる、という単語が一番的を得ていると思う。飽きたから恋人と別れる。なんてよく聞く話だが、それは子供の友人関係でも同じことが言える。
でもアイツ等は違った。
毎日毎日、一日中。ずっと、一緒に遊んでいたのだ。
弟もラビィも、人当りがよく聞き上手で、友好関係は広かったし、リリーにも同性の友達がいる。
なのにも関わらず、好んで親友をやっていたのだ。
ロムにとって彼が特別な関係で会ったように、ラビィとリリーにとっても彼は切って切れない特別な関係なのだ。
ロムの脳裏に悪夢が甦る。
いつものように友達と遊びに行くって家を出ていって。
二度と彼が夕飯時に玄関を開けることはなくなった。
「ルークのこと…探しにいってくれるんだろ」
ラビィもリリーも今では友人だ。
ロムにとって特別仲が良いと言える程の。
雑貨屋の手伝いをしている小柄な少女が、トランダからの手紙を持って、ロムの家の戸を叩いた日。
5年前のその日が最初の出会いだった。
「うん…」
ラビィは小さく頷いた。
リリーと出会った後、ラビィとも知り合いになった。
始めは、町ですれ違えば挨拶する程度の仲だった。
仲良くなれるなんて思っていなかった。
ロムは本なんてまともに読んだ事が無かったし、女子の気持ちはよく分からない。
何より、ラビィとリリーはルークの親友だったからだ。
「お前らを引き留めない。だがな」
ロムは屈託の無い笑みを浮かべた。
ロムの視界に映る、長い兎の耳を垂らした青年。
男の癖に背が低くて、なよなよしている。
そのわりに以外と肝が据わっていて、出会った時から、一般的に怖いと評されるロムの容姿に物怖じせず、ニコニコと話しかけてきた。
読書家で頭がなかなかにキレる所は流石はルークの親友といったところだろうか。
横にたたずむ黒髪の少女。
可愛らしい顔立ちで、雑貨屋に通う警備隊の間では天使のようだと噂されていた。
だが、友人といる時は、雑貨屋で見る営業スマイルは影を潜め、クールで冷静な印象を与える。
最初はそのギャップに驚き、なかなか親しくなれずにいたが、今では唯一の女友達だった。
「俺はお前らを追いかける」
「弟の事を託そうなんて人任せなことはしない」
だが、と一拍置いてからロムは続けた。
「近々の森の異常が解決するまでは、俺は町を離れたくない」
「ロム…ありがとう」
白い森を2つの人影は、進んでいく。
古木の本数が段々少なくなっていき、目の前に色の違う地面が現れた。
木が伐採され、障害物になりそうな石や植物が除かれている。
獣道ではない。
明らかに人の手によって整備された道がずっと先の方まで続いていた。
トランダはもう直ぐそこにある。
木々の放つ輝きが、煙のようにぼんやりと、薄闇の中にとけていく。
最早、白夜の森ではない。
黄色い光がぽつぽつと葉の隙間から零れ始める。生物の足音が聞こえ始め、眠る森は朝に向かって動き出した。
守られるだけの兎の獣人は、寝かせておくのに丁度良さそうだったから、夜の老樹林に置いてきた。ここにいるのは、目をギラギラと輝かせる、夢見る青年。実にありふれた量産型の駆け出し冒険者である。
ラビィの長い夜が終わりを告げようとしていた。
獅子の獣人「必ずまた会えるよ」